3章『やらない善意よりやる偽善。』

「っ梶井……また、お前か……!」

桐渓さんは忌々しげに彼の名前を呼んだ。
珍しい。大体の生徒には内心はわからないけれどにこやかに接している桐渓さんだ。
ここまであからさまに俺以外に苦々しい態度を取るのはあまりないことだ。

「はぁーい、おひさしぶり〜みんなのノブちゃんですよ〜。なーんてねぇ〜。」

桐渓さんの反応とは対称的に茶化すようにそうおかしそうに笑いながらそういった。

「あ、揉めてる感じだったり?それならほかのせんせ呼ばなきゃね〜どうやらせんせは一ノ瀬のことキライみたいだし〜?」
「ちょ……やめろ!」
俺らから背を向けて大きいリアクションと行動をわざとしているように、くるっと回ってえっと〜岬先生ならいるかな〜と梶井が大きい声を出すと桐渓さんは俺から手を離して梶井を止めるべく手を伸ばした。
「……他に誰かいなくてよかったねぇそーんな一生懸命になられちゃうとほんっとうに疑われちゃうよ?」
「っ」
手が届く寸前振り返って桐渓さんに向けてからかうような口調で、かといって親しみを込めているようには到底見えない態度で笑う。
「というかさぁ、そんな一ノ瀬に話したいことあるなら人目のないところでやってくんなーい?こんな誰にでも見られるようなところじゃなくてさ、呼び出すなりなんなりすればいいじゃん。ま、そんなことすれば多分伊藤が黙ってやしないけどさ。」
「うっさいわ!」
「伊藤が恐いからコソコソ一ノ瀬に突っかかってました〜なんて素直にいえないもんねぇ。」
「黙れ!もうええっ!」
弱いところをガシガシと抉ってくるような梶井の物言いに本当のことなのか何も言い返せない桐渓さんは梶井にわざとみたいにぶつかりながらその横を通り過ぎようとした。
「子どもに本当の言われたからって逃げるのかよ。どっちがガキだよ。」
「っ!」
「……?」
思いっきりぶつかられたにも関わらず梶井の反応は静かなもので、通り過ぎる際真横を通り過ぎる寸前梶井は桐渓さんになにか言っていたようだったけれどそれは小声で俺からはなにか言ったか?と疑問に思う程度にしか聞こえなかったが、桐渓さんは近かったからか聞こえていたようで梶井の声が聞こえたかと思えば、桐渓さんはバッと梶井を見て、睨みつけて舌打ちをして今度こそ通り過ぎていった。
「まーたねー」となんの感情を籠っていない声で手を振って梶井はその背を見送る。

……そして無音。
梶井と2人きりになった。
吉田から梶井と仲良くしようと言われて俺はわかり合いたいと思っていたからそれに頷いたけれど、いざ2人になったとき俺はどう梶井と過ごせばいいのか考えていなかった。
まだ会うのはずっと先の話だと思っていたから、まさかこんなところで会ってしかも2人になるとは思わなかったし……あんなところ見られるとも思ってなかった。
桐渓さんとのことは伊藤にだけしか今のところ言っていない、叶野たちにもいつかは言いたいけれど混乱させてしまうかもしれないと懸念していつ言い出すか悩んでいた。
どう見たって梶井からすれば俺と桐渓さんがああして不自然に言い合っているのは違和感でしかないだろう。
梶井と会うのだってあの屋上以来見かけてすらいなかったから1ヶ月ぶりで俺は嫌われているからどう声をかけて良いのかわからない。けれどなにか言わないと。

「さっきのは……。」
「あんなのどうでもいい。」

言葉が纏まっていなかったけれどとりあえず声を、と思ったが冷たくバッサリ切られた。
最早目も合わせることもされない、取り付く島もないというのはこのことかとどこかの冷静な頭でそう思う。……吉田すまない、仲良くなれる気がしない。
どうしよう。

「……ほんっと、一ノ瀬は良いよねぇ。」

梶井が口を開く。
ここで声をかけられるとは思っていなから少しだけ驚く。
けれどすぐに言われた意味を考える。
言葉だけなら褒められているけれど……これは絶対真逆なことを言われているのはさすがに分かる。

「……どういう意味だ」
「そうやって黙っているだけでも気付いてくれる人がいてさ。
自分のことで逃げても全部忘れてもそれでも甘やかしてくれる人間がいてさぁ。
でもどうせあれでしょう?」

梶井の顔を見ればいつのまにかその眼は俺を映していた、その瞳には蔑みと嘲笑が込められている……それだけでは無いとはおもう、だけどそれはなんて言って良いのかわからない。悲しい、いや少し違う気がする。

「少し前までは桐渓に責められることが唯一の罪滅ぼしで存在理由だって免罪符にしていたんでしょ?そうすればここにいてもいいんだって思える方法で、理不尽を抗わずに理不尽を受け入れて、そうして自分が楽になることを選んだんでしょ。自分自身の意思でさ。」
「……」

少し前までの記憶もなく誰にも求められず存在意義がわからなくなっていた不安定な俺にとって桐渓さんにああして責められることが、存在理由なんだと定義していると言われた。
ーー俺はそれを否定できない。
何故梶井がこのことを知っているのだろうかとも思ったけれど今は置いておこう。
梶井の言うことを頭ごなしに否定するものではない、否定する言葉なんて思いつきやしない。
だって、梶井の言うとおりだ。
不安定で両親は自分が原因なんだと言われていた俺にとって『罰』を受けるためにここにいるんだと思うことが俺の唯一の『逃げ道』で『楽な道』だった。
伊藤に打ち明けたとおり今まで受けてきた理不尽が痛くて辛くて嫌だったのは本当。
でも嫌だ悲しい苦しいと思うと同時に、考えることを放棄していたんだ。
両親が亡くなったのは俺のせいだでも確証はないだけど思い出したくない思い出すのが恐ろしくてどうしようもない。
両親が亡くなったのは俺のせいなんかじゃない、思い出したくないけれどいつか思い出して証明してやる、と啖呵切るという選択肢もきっと俺にはあったんだ。だけど、俺は弱くて。
そんな選択肢は思いつきもしなかった俺は傷つきたくないから傷つく道を無意識に選んでいたのかもしれない。抗わず、逃げる道へ。自分の力では自分の道を作れるほどの強さがなかった俺は、自分を責め立ててくる人の作った道を歩いてた。こうされればせめてもの罪滅ぼしになるんだと自分じゃない誰かに決めてもらってた。ずっと、そうして逃げてた。

「今は『伊藤鈴芽』という無条件に自分を甘やかして傷つけたりしない依存先が現れた。
次の自分に存在意義を見出してくれる人を大事にするようになった。自分を大切にしてくれるなら自分も返したいとまで思える。
でもだからといって桐渓に言い返せるほど強くなったわけじゃない。
大事にしてくれる人がいる今でも罰されることを望んでいるから。だから強くは言い返せたりはしない。さっき拒絶はギリギリしてたけれど、それは一ノ瀬あんた自身の意志じゃないよ。
結局依存先が変わったからそれに合わせて変化しただけ。
不安定な一ノ瀬は誰かがいないとすぐに自分の存在意義がわからなくなるから。」

何も言えなかった。
自分自身の意志で生きていくと決めたのに桐渓さんに関しては完全な拒絶は俺には出来ていなかったから。
ただ俺が傷ついたら伊藤も傷つくから、それだけは嫌だと思った。
だから、桐渓さんを拒絶することが出来たけれどそれは自分の意志というよりは伊藤のためと言われると否定できなかった。もうよくわかんない。
俺はなにを持っていればどんな意志があれば『一ノ瀬透』と呼べるのか、こうやって誰かに言われるだけですぐに揺らいでしまうのならそれは本当に『本当』と呼んで良いのか分からない。

「そうやって逃げて楽なところにいるくせに、一ノ瀬の場合は必ず誰かが助けに来てくれる。
……そういうところほんっとうに腹が立つわ。」

何も言えずただ立ち尽くすだけの俺に梶井は自身の少し癖のある髪をぐちゃぐちゃとを掻き回し苦々しく呟いてすぐ階段を登っていった。
話していた際その紫の瞳はずっといろんな感情で蠢いていて苦しそうに見えた、ように思う。

補習で学校に来て帰ろうとしたら桐渓さんに連れられそうになるし、梶井に自分の気がついていなかった情けないところを指摘されて、ちょっと苦しい。
汚い、とは分かっているけれど少し階段に座ることにした。

誰が踏んだか分からない箇所に次は自ら腰を下ろすのか、と一瞬思ったけれどこの状態で1人で歩いて家に帰るほうが精神的にきついかも、と考え思いっきり体重をかけて深く座り込んだ。
「……。」
先程言われたことや自分がここに来るまでのことを思い出す。
……自分って、なんなんだろう。
考えて無意識にぎゅっと膝を抱える。
俺は『俺自身』は本当は一体なにをしたいんだろう。
今まで俺自身のため、て言いながらも結局すべて伊藤ありきで考えていたことに指摘されて気付いて。
いつも自分のためじゃなくて、桐渓さんのため両親のため、伊藤のためって誰かのためにって言い訳してた。
確かに自分の意志がないのと同じな気もする。『誰かのため』を免罪符にしてきた。
記憶を思い出すのが恐いから思い出したくないという根拠なく思っていたけれど……
俺は記憶喪失、も免罪符にしていただけなのかな。
自分のことを知らなくても『記憶喪失』だから仕方ないと、ただの言い訳にしていただけなのかもしれない。
伊藤はそれでもいいって言ってくれたから、でもそれにあぐらかいて甘えないようにってずっと言い聞かせていたつもりだったけれどそれすらも自信を持ってそうしてきたと言い切れない。
依存先が変わった、それだけで俺が強くなったわけじゃなくて……。
あーだめだ、ぐちゃぐちゃだ。
考えがまとまらない。
梶井の言っていることはすべて本当で口を挟むことも出来なかった。なにが本当でなにが嘘なのか、どれが自分の本当の本音なのか……。

「あれ?一ノ瀬くん?」
「あ……。」

周りに誰もいないと油断して少し冷静になろうと息を吐き切ろうとして、わざとらしく大きくはぁぁぁぁーと声と一緒にため息を吐ききったら声をかけられて驚く。
声をかけたのは岬先生だった。
また上に行こうとしたのかそれとも別の用事なのか判断はつかなかったけれど、特に桐渓さんがなにか言っていたとかではなさそうでたまたま通りがかったみたい。

「具合でも悪いの?大丈夫?」
「……いえ、大丈夫です。」

教室で体調に気をつけるよう言われた後なのに早速具合が悪くなった訳ではない。
特に具合も悪くないし体調だけでみれば普通に帰路につける。
でも少し帰り難い。
このままもう少しだけここにいたい、けれど。
用がない用が済んでいる生徒は帰るべきだろうとは思う。
先生に見つかったなら特に帰るべきだろう。
岬先生も忙しいだろうし、迷惑をかけたくないし心配されたくない。このままここにいたいと言えばここにいさせてくれるだろうけれど、岬先生は優しいから心配かけてしまうだろうから。
そう思い直して立ち上がろうとする。
けれど、俺が行動を移す前に俺のとなりに岬先生がドカッと座ってきた。
予想外の岬先生の行動に驚いてじっと凝視してしまう。
「あはは、誰かに見られたら担任と生徒の二者面談てことにしちゃおう。
なんとなく帰りたくない日とかもあるよね。
座ってから言うのもあれなんだけど僕も隣にいていいかな?」
「あ……はい。」
穏やかにそう提案されて質問されて俺はただ頷いた。
挙動不審であろう俺の態度を特に咎めることはなく朗らかに岬先生は話す。
「ありがとうね。
そういえば2人で話すのは何気に初めてになるのかな?職員室だと他の先生もいるし一ノ瀬くんが1人でいるのもあまり無いよね。」
「……。」
「学校はどう?あれからなにかされたりとかないかな?」
実はついさっきまで桐渓さんと色々あって梶井とも色々ありました、と素直には言えなくて頷くだけでとどめた。
普段の学校生活でたぶん支障は出ないはずだし、きっと大丈夫な部類に入る、はず。
「そっか、それなら良かったよ。」
嘘をついている気はないけれどそれでも安心したように笑う岬先生に罪悪感でチクチク胸が痛む。
声にも出さずただ頷くだけの俺を咎めず「今日も嫌になっちゃうぐらい暑いよね」など返事があってもなくても平気な話題を出してくれるのが岬先生の優しさが表れている、気づかれない気遣いが出来る大人な人だ。……そういえば岬先生の下の名前って『優』と書いてすぐると読むんだったけ、名でその人を表すというのはきっとこの人のための言葉だろう。
……俺の両親はどんな想いで俺に『透』とつけたんだろう。それすらももう知るすべはないけれど。
「……。」
「ん?どうしたの、なにか僕に聞きたいことでもあるのかな?」
(……聞いて、みようか)
すべてを打ち明けるほどの強さは未だ俺にはないけれど、軽くもしも岬先生だったらこの場合はどうしたらいいのかだけ……参考に聞いてみたい。
甘えている訳じゃない。ただ、他の人の意見を聞いてみたい。それだけなら、きっと大丈夫なはず。
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