3章『やらない善意よりやる偽善。』


「肝試しですと?いいね〜行く行くー!いつ?」
「……10日に。夏祭りもある。」

8月に入ってすぐ国語の補修があって学校に来てみればすでに吉田がいた。
……相変わらず吉田と俺以外誰もいなかったし、部活動のために登校してきたヤツしか見ていない。それは時間がそれなりに経ってもうすぐ岬先生が来る時間になりそうになっても来なかった。
岬先生からすると嘆かわしいことだとは思うが俺としてはタイミングよく今吉田と2人きりだ。
教室入ってすぐ吉田にはなしかけられて補修の準備をしながらその話を聞いていたけれど、どうやら今日補修を終えたあとは溺愛するりなちゃんと会う約束をしているからダッシュで帰るんだーと言われたので帰り道ゆっくり話している暇はなさそうだなと判断して今肝試しのことを話すことにしたら、日にちはいつかも聞かずに了承されて少し面食らう。
改めて10日にあることをいえばまた改めて肯定される。

「これは『のぶちゃんと仲良し大作戦』の第一弾のおさそいという判断でよろしい?」
「……よろしいよ。」

前に言われた作戦名とは随分と省略されたけれど、やることは変わらないし名称はシンプルのほうがいいやすいし、特に突っ込む必要性を感じなかったので吉田の言うことに頷いた。
するとさらにパッと明るく笑う。

「そっか!イッチがちゃんとのぶちゃんとのことを考えてくれてうれしいな〜」
「……でも梶井はどう誘うんだ?」
俺は随分梶井に嫌われているしどこか不安定な印象があるため人混みのなかになるであろう夏祭りに来ない、もしくは行きたくないと拒否されてしまうかもしれない。そんな不安を吹き飛ばすが如く
「だいじょうぶ!!」
と何も確証はないのにそう言い切る吉田に何故か何とかなりそうだと思わせるその能力が凄い。
「はいおはよう。2人とも今日もちゃんと来てくれて嬉しいよ。」
「あ、すぐるせんせ!おはよ〜!」
「……おはようございます。」
「今日もよろしくね、はいじゃあそろそろ席に……」
「今度ね、イッチたちと夏祭り行くことになったんだ!おれすごい楽しみ〜!!」
「あはは良かったね。」

補修を始めようとする岬先生に気づいていないのか俺と約束したことを報告する吉田、そんな吉田に少し驚いたようだけどすぐに俺と吉田に穏やかに笑いかけた。
それは、適当に相槌を打っているとは思えないぐらい丁寧な返し方。
……もし桐渓さんに同じことをしてみたら、俺以外には笑顔で返してみてもきっと内心腸煮えくり返ってると思う。俺に対したら笑顔を向けずにありのままの桐渓さんを向けられるんだろうけれど。

「じゃあそろそろ……」
「あ、あとね!おれ放課後りなちゃんとね!!」

吉田にとってりなちゃんはとんでもなく大事な存在であるというのはいつもの会話でヒシヒシと伝わってくる、自分に嬉しいことが起きればそれを誰かに報告したくなるという癖のようなものがあるというのも最近わかってきた。そろそろ岬先生が補習を始めようとするのを再度吉田は被せてきた。
補習が嫌だから少しでも先伸ばしにしようと話を続けていない訳ではないというのは分かるが周り見えていないのか時計を見れば補習を始める時間が少し過ぎていてもそれでもなおも話をしようとする。少しハイになっている吉田に待ったをかけようとした。

「吉田くん。」
「あ、はい!また今度にしまっす!!」

一言だった。
ただ名前を一言つぶやいただけで吉田はハッとして何故かビシッと敬礼して隣の席に着いた。優しい笑顔も口調もそのままで注意もこうしろなどの指示を行ってもいないのに、なんだろう、岬先生のこの圧は。
優しい空気のままなので変な空気にはなっておらず、吉田もふてくされているようにも怒られている訳でもないから傷ついてもいないけれど、なんだろうか。この空気感。

「はい、じゃあ今日はーー。」

少し混乱する俺に対して岬先生は普通に補習を始め吉田も静かに聞いていて、普通に補習が始まったから俺も普通に補習に臨もうと思い変じゃないのに妙だなと考えてしまう空気感を無視した。
今日も吉田と2人きりの補習だった。



「すぐるせんせまたね〜!イッチはまた夜にでもメールするね!!」
「はい、またね。」
「……ああ待ってる。」
時間が来て補習が終えたと共に机の上にあった教材を乱雑に鞄の中に入れたかと思えば気付けばドアのほうにいて、律儀に俺らに挨拶をしてから教室を駆け出していった。

「吉田くんはいつも元気だね。でも一ノ瀬くんもだけど今年も暑いからちゃんと塩分と水分をこまめにとって倒れないようにね?」
「……はい。」
「うん、伊藤くんたちにも会うことがあったらちゃんと伝えてね。じゃあお疲れ様、次補習も最後だし来てくれると嬉しいな。」
帰りも気をつけて。と柔らかく声をかけて岬先生も自身の教材を持って教室を出て行った。
その背中を見送って、俺も帰ろうと未だシャーペンすらも筆箱のなかにしまっていなかったことに気付いて億劫な気持ちになりながらも帰りの準備を進めた。

誰もいない廊下、ひとりでペタペタと階段へと向かう。
そういえばこの間の補習のときは吉田と一緒にいたから、学校の最寄り駅からひとりなのはあっても学校でこうして一人で歩くのはあまりなかったな。
トイレに行くときと……転校初日、桐渓さんに保健室に連れられて逃げ出して教室に戻ったとき、ぐらいだろうか。
細かく言えばもう少しあるんだろうけれど印象が残っているのはこのぐらいだ、ひとりのときがそれぐらいしか思い出せないぐらいに俺はいつも誰かいる。
前の学校のときなんて授業で無理やりペアを組まされる以外はひとりでいたことしか印象になかったのに、な。
階段を下りながら少し笑う。
あのときの俺は確かに壁を作っていた。
今俺が生きているのは両親のおかげで、両親は俺のせいで亡くなっていて。
それを責められてずっと罪悪感にかられながら生きていた。
……自分が楽しもうとするつもりのない人間に周りが話しかけることなんて、確かにないよな。
それでも謝るしかしなかった俺にまた親友として接してくれて、クラスで普通に話しかけてくれた叶野にはやっぱり頭が上がらない気持ちになる。
俺は今ひとりじゃない。
みんなに好かれている訳ではなくとも、胸はってだれかのことを友だちと言えるようになったし、家でも学校でも勉強をすることはなくなって、普通の男子高校生と呼ぶには俺はきっと少し特殊でもそれはそれでいいやって思えた。きっと順風満帆とはこのことであるといっても過言ではない、はず。

でも……俺はこのままでいいんだろうか。
このまま俺は俺のままでいても、俺は前の記憶を思い出さなくても。
自分は一ノ瀬透。そう言って笑ってくれる人たちが今の俺にはいる、そう言ってくれるのは嬉しくて涙が出てしまうけれど。俺は『このまま』で良いのだろうかという疑問が拭えない。
伊藤のことを考えると、ぐちゃぐちゃになる。苦しい。息苦しいんだ。

グルグルと考えながら階段を下りきり1階の廊下に足を付けようとした瞬間。
後ろから衝撃。

「っ!?」

廊下に足を付けようとしていたから片足立ちの状態、かつ高低差があり不安定な体幹なときに後ろから押されればどうなるか、小学生でも分かると思う。
「っい!」
足をつけてそのまま下駄箱までを歩いて行くはずだった廊下に俺の身体はドザッと倒れ込んだ。ぼんやりと考え事をしていたこともあって受け身はとれなかった。
っひざ……打った……!
うめき声を噛み殺して右膝を抑える。
じわじわと痛みが浸透していく感じが憎らしい。
膝の痛みとともに鈍く訪れる胸部や肘への痺れのような痛みに悶えていて俺を押した人物のことを未だ見れていないけれど誰がやったかなんてなんとなく察してる、というか……。
俺にこんなことをするのは1人しかいない。

「よお、透。今日はボッチやんな。ついにあの小うるさいガキに愛想尽かされたかぁ?」

誰か、なんてすぐに予想はついてた。
押された感じで察するに手じゃなくて絶対足で蹴るように俺を落とすまでするような人はやっぱり1人しかいない。予想していた声と全く同じで驚くことなんてない、のに。

「……っ」

その声を聞くと身体が勝手に震える。
幾度となくこの人には暴言と暴力をふるわれてきて、その記憶が身体にも染み込んでる。
ここ最近話し合うときは岬先生と3人だったうえ五十嵐先生と伊藤に助けられたし、この間は吉田が回避してくれた。
こうして2人で会うのは大体3ヶ月ぶりだ。
……どうやって耐えていたか、どんな心構えで桐渓さんの前にいたのか、分からない。

「無視かい。まあええけど。
なんだか随分と楽しそーやな?ほんまその神経わからんなぁ、お前のせいで灯吏も香もいなくなってるのに。それにお前が1人なの久しぶりやないの?お前のしたこと隠しとるんやろうけど。」

俺を押したことに対して何も説明はなくいつも通り責め立てるように話し出す。
呼吸が乱れる。
見下し冷めた目で俺を見る桐渓さんに、そんな桐渓さんに目を合わすことも出来ず下を向いてその視線から耐える俺。いつも通り、いつだってこの場から抜け出したくて仕方がなかった。

「まーここで話すのもなんやし、来いや。」
ほら立てや。
ぐいっと腕を引っ張られて廊下に座り込んでいる俺を力任せに立たせようとしてくる。
この手がいつも痛かった。前の家にいたときたまたま使用人に見られたときも同じように力任せに引っ張って立たせられたことがあったし転校初日もそうされた。
俺はそれに従っていた。
それは俺はいつだって桐渓さんに罪悪感があったから。
親友と幼馴染を俺のせいで失わせてしまってごめんなさい。
今の俺には特に伊藤というかけがえのない大事な存在が出来たから、それが一気に2人なら悲しくて仕方ないし亡くなった原因である俺のことを憎いのも本当の意味で分かってきた。
桐渓さんから受けるものは仕方がないとずっと思ってた。

言い聞かせてきた。

「嫌、です。」

声は震えて力任せに掴む手を振り払う動作もぎこちなくなったのは自分でも分かった。
でも意外にもあっさりと掴んできた手を振り払うことが出来た。こちらが少し驚いてしまうほど。
振り払ったあと何も反応がないので、とりあえず開放された手を支えにして立ち上がる。膝の痛みはまだあるけれど立てないほどではない。
自分の力で立ち上がり、自分の意志で桐渓さんの顔を見た。
……俺の行動によっぽど驚いたのか未だ目を見開いて固まっている。
一瞬このまま全力疾走して帰ってしまうか迷ったけれど、その前には正気を取り戻したようで次は両肩を掴まれ、凄まれる。
「お前、何言うてんの?お前に拒否権なんてないやろ?」
目の前にあるのは俺を憎んでいる瞳がある。
俯く俺に苛立って無理やり顔を上げさせて目を合わせることは何度もあったけれど、今は桐渓さんが俺を見上げ睨みつけられている。……やっぱり情けないけれど今も怖い。掴まれている肩が震えるのが分かる、それは桐渓さんも分かってる。だけど
「っあり、ます。」
いつもは視線を逸らして言うことを聞いていたけれど、今回はあらがった。
息が詰まって変な声になったけれど、それでも自分には拒否する権利だってあることを伝えられた。
「なんやと?俺から大事なすべてを奪っておいて?」
「……それは、申し訳ないと思ってます。今の俺にはほんの少しだけ貴方の気持ちを本当の意味で分かるような気がしますから。」
俺だってもし伊藤に何かあったとして、その原因に対し俺はどんな反応をしどんな扱いをするか自分でも分からないから。
きっと俺の物言いに苛立ったんだろう桐渓さん……多分、俺が桐渓さんの気持ちを分かるようになったと言ったところが嫌だったと思う……は舌打ちした。
「そんならその罪滅ぼしに付き合って貰ってええんちゃう?」
「……嫌です。また伊藤を止めないといけなくなります。」
罪滅ぼしに付き合え、という桐渓さんの言い方に違和感を覚えながら端的に嫌な理由を告げる。
前に桐渓さんにされたことを伝えたときのことを思い出してゾッとする。
あのときは何とか止められたけれど、次ああなったとき止められる自信は俺にはないんだ。
俺はあの伊藤は怖くない。でもあの状態で外に出たとき何をするか分からない、俺が想像している以上のことが起こりそうな気がして、そうなると伊藤は停学になることだって有り得るんだ。俺はこれ以上伊藤と離れ離れになりたくなく、て……?
自分で考えたことに内心首をかしげた。
そんなに幾度となく『俺』は伊藤と離れ離れになっている期間は長くはない、はずなのに。
どうして最寄りも同じで家だってそう遠くもないのに学校という繋がりが無くなることにこんなに恐れているんだろうか。学校がなくたって伊藤は、俺といてくれるはずなのに。
自分で自分の考えていることや感じていることがよくわからなくなって混乱する、でも桐渓さんの声で意識が戻りそちらに集中させた。

「ハッ、それで伊藤が退学になるんならそれはそれで悪くないわ、ほらええから来い。」
「嫌です。」
「このっ……!」

伊藤の名を出せば口角が引き攣っているのに強がるようにそんなことを言う桐渓さん、来いと再度腕を引っ張られるが足を踏ん張って断った。
……想定以上に力はそこまで強くなくてこの場に留まれるぐらいの力だった、きっとこれが桐渓さんが限界まで力を入れているんだろうけれど……考えてみれば確かに俺が幼い頃に見た桐渓さんは大きくて力強くて憎悪に溢れた恐ろしい存在だった。
今の俺はどうだろうか。
桐渓さんを簡単に見下ろせて力もそんなに変わらないと思われる。
成長期を迎えて真っ直ぐ冷静に桐渓さんを見れば、少しだけ……感じるものはかわった気がする。
でも、やっぱり自分のことでの抵抗……それも記憶にないところだからどうしても俺は悪くないとも言えずちゃんとした謝罪をすることも叶わない。どちらともつけることが出来ない。
それなら思い出せばいい。
分かってる、だけど思い出すのが桐渓さんよりも何よりも怖くて仕方ないんだ。
情けなくて弱虫な俺。
きっと桐渓さんが言うとおりにされて罰されたほうが桐渓さんも少しだけ憂いを晴らせて、俺も少しだけ気持ちが軽くなるからそうしたほうがお互い良いかもという気持ちはある。
だけど俺が桐渓さんから暴力を受けることを心底嫌がって怒ってくれる人が今の俺にはいる。
今まで通りに桐渓さんから受けるものを甘受してはいけないんだ。
俺は、俺のことを大事にしてもいいんだって思える。
伊藤がいるから、伊藤が認めてくれるから。

「っこの、ええ加減にせえよ!!」

いつもと違って全く言うことを聞かない俺に桐渓さんは苛立ちのままに怒鳴った。

「おっや〜こんな暑い日なのになぁにとっくみあいしてるの〜?保健室のせんせーとあの天才一ノ瀬がこんなことしてるなんて、なーんてめっずらしい光景だこと!
しかも怒鳴ってるなんてねぇ、頭のなかにうじ虫でも飼ってらっしゃるのん?」

この場にそぐわない間伸びた話し方をしているけれど、どこか演技かかってわざと高めにしてテンションが高いようにしている作られた声が響いた。
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