3章『やらない善意よりやる偽善。』


「伊藤の好きな曲があって。そのPVで二人組が肩車して海に突っ込んでいくシーンがあって。」
「へぇ……伊藤くんがやりたいって言ったのか?」
「うん。」
「……よく一ノ瀬くんもオッケーしたよねぇ。」
「渋ったけど頼みこまれて。」
「一ノ瀬くんは伊藤くんに甘いね、逆もしかりだけど。」
「そうか?」

伊藤くんと一ノ瀬くんの謎の行動にすっかりツボに入ってしまった鷲尾くんはそれで吹っ切れたのか、全力であそび倒していた。
最初はあんなにはしゃいでみたいけれど、どうはしゃいでいいのか分からないようなもどかしい表情が嘘のようだったね。あんな全力で笑う鷲尾くんはきっと鷲尾くんの家族を除けば俺らぐらいしか見ていないんじゃないかなぁ。
泳いだりビーチバレーボールをしてたり砂遊びしてみたりと色々やっていたらいつの間にかお昼過ぎてたから休憩がてらお昼にしようということになった。で、今俺と一ノ瀬くんとで買い出しに行ってるところだ。え、どうなって俺らになったかって?それは単純にじゃんけんの負け組2人なだけ!
誠一郎に2人で大丈夫かと心配されたけれど、大丈夫……なはず。
それより今気付いたんだけど俺と一ノ瀬くん2人だけで行動するのって初めてだ。
初めて、と意識すると少し緊張する。なんで今日初めてになるのか考えてみるとすぐに分かった。
そうだ。いつもなら一ノ瀬くんのとなりには伊藤くんがいて……俺の隣には誠一郎がいたから。

……誠一郎といる回数は以前よりも断然減ったと感じてる。
仲が悪くなった訳ではない。
前だっていつも一緒にいるとかではなかったけれど、トラウマを持つ俺に寄り添ってくれていた。
それから俺は少しずつ距離を置いて行こうとしている。そのせいで誠一郎の重荷になっていたことに気が付いていない訳ではなかったから、俺のせいで誠一郎のしたいことが出来なかったのも知ってる。
俺はこれでも誠一郎の親友のつもり、だからこれからは俺からも誠一郎を支えられるようにしていきたい。そのためには俺自身が強くならないと。
誠一郎はああ見えて繊細だ。それに気付かないふりして甘えていた自分が情けない、少しでも自分の足で立って歩いていきたい。
少しでも……誰かを信じることに疑いを持たずにいた前の俺に近付いて行きたい。


「ねぇ見てあの子!」
「すごい綺麗……モデルかな?」
「えーモデルだったらわたしすぐ分かるわよ!」

女性の高い声があちらこちらから聞こえて来て意識を戻すと、周囲の視線の的になっていることに気が付いた。
それはちんちくりんな身体と10人に1人はいそうな顔を俺が……ではなく勿論となりを歩く一ノ瀬くんが、である。
(確かにモデルと勘違いされてもおかしくない容姿だわ……。)
水着のお姉さんが大きな声で話していることに内心同感する。
だって俺も第一印象下手なアイドルなんかよりも目を惹く人が転校してきたな、と思ったからね。
俺の容姿と一ノ瀬くんの容姿を見比べる。
身長は一ノ瀬くんのほうが確かに高いけれど、俺だって170㎝超えているし低い訳ではないし(俺の周りに良くいる人がたまたま俺より身長高いだけだし!)少し見上げるぐらいで身長差がすごくあると言うわけじゃない。
だからいつも不思議だった、一ノ瀬くんはほかの男子と何が違うのかよくわからなかった。存在感が違うんだろうなぁとか美形だから迫力があるからかなとかふわっと考えていた。
けど、圧倒的に違うことをたった今俺と見比べたことで分かってしまった。
それは……足の長さだ。
普段の制服だと体型の違いとかよく分からなかったけど、今いるところは夏の海であり当然水着で……体が良く見えてしまうのでしっかり分かってしまう。
そもそも腰の位置が違う。俺の腰の位置よりも数センチは高い位置にある。一ノ瀬くんの身長の高さはほとんど足の長さで、胴体部分はもしかしたら俺より低いんじゃ……そんな可能性に戦慄する。

「……どうした、無言になって。」
「あー……一ノ瀬くんってモテるなぁって。」

黙りこくってしまう俺を心配そうに聞いてくると一ノ瀬くんにそう返した。
思っていたことと少し違うけれど自尊心が砕けそうになったので許してほしい。それにモテるなあと思ったのも事実だしね。
俺がそう言えば何故かきょとんとした顔をされた。えっこんだけ騒がれといて無自覚なの?!

「……俺は別にモテない、と思う。」
「無自覚かー!!」

何ていうことでしょう!こんな美形で皆の視線の注目の的になっておいて自覚がないなんてっどんな希少価値なのです!?うそつけーい!!

「いやいや、さっきから視線すごいじゃん!」
「……視線は……まぁ確かにな。」
「そうよ!海で泳いだ後とかもすごかったじゃない!」

良かった!視線の的になっていることは自覚してるみたい!それなら自分がモテていることぐらいわかるでしょ!
水にぬれた一ノ瀬くんに男女問わず視線釘付けになっていたからね!?

「でも、視線がすごいからってモテる訳でもない。さすがにこれだけ人の視線に晒され続けてきたから自分の容姿は少し目立つというのは嫌でも自覚してるけれど……。
実際告白されたことないし、同年代の女の子とのかかわりもない。」
「んあーそれは……ほら、一ノ瀬くんが美形過ぎて話しかけづらいだけだと……。」

艶やかな黒髪に一つ一つの顔のパーツは均等に美しいと思えるところに並べられていて、その上日本人離れしているグレーの瞳をしている。
前に一ノ瀬くんが言った通りこれだけ炎天下で肌を晒し続けても美白は保たれたまま。
首も手足もすらっと長くて真横から見てもお腹が出ている様子は無くてかといって痩せぎすとは言わない絶妙なバランスだ。
一ノ瀬くんを見て10人中10人……いや100人中100人が『美しい』と言わざる得ないし、そう言わない人間こそ美的感覚を疑ってしまうほどだ。
俺とかはまぁ同じ学校で同じ教室にいてそれにほら……と、ともだちだし?最初は一ノ瀬くんも完全に無表情で本当に無口だったからちょっと威圧されてたけど、それが今では普通に話せる仲になっているのだから不思議だよね。

「俺は疎遠されやすい、から。」
「決してネガティブな理由ではないんだけど……。」
「叶野の方がモテるんじゃないか?」
「え、俺!?」

まさかの流れ弾に驚きの声を上げてしまう。一ノ瀬くんはそんな俺に驚いたようだったけれど。

「……そんなに驚かなくても。」
「いや、まさか俺が出てくるとは思わなくて。」
「自分のことで大変なのに周りに気遣えて誰かのために行動出来て優しい叶野なんだから、俺なんかよりもモテるだろ。」
「う、うおぉ……。」

突然褒められて変な呻き声のようなものを喉から唸り上げた。
今まで出したことのない声の恥ずかしさと褒められて嬉しくて照れから、暑さとは別に顔が紅潮していくのを感じそれに伴ってテンションもおかしくなって。

「叶野はジュース買ってきまーす!」

何故か自分の名前を一人称にしていつもよりワンオクターブ高くして大きな声で宣言してダッシュで一ノ瀬くんから離れた。
羞恥やら照れやらなんやらが色んなものがガーっと来ていた俺は率直に言うとテンパってた。
だから、ええ忘れてました。

「さっき美形くんと一緒にいた子だよね?叶野くんだっけぇ?」
「……ちがう、ますぅ……。」

自分の妙な体質を。
現在公立水咲高校1年B組叶野希望は何故かサングラスをかけているスキンヘッドのお兄さんと金髪のオールバックで髭を生やしている色黒なお兄さんに囲まれて壁ドンまでされております……。
いつからでしょうねぇ。
俺1人でいるとなにかと絡まれるようになったのは……ああ、あれかな羽佐間くんのことがあってからかなぁ……あ、今考えてみると本当にそうだわ、彼から離れてからこうやって絡まれる頻度1人でいると100%なんだけど!
未だに彼の呪縛は解けていないみたいでなんだかゾッとする……ここに来ていないよね…?本当にいそうで怖い。
本当に不思議なことに俺1人でいると絡まれるのに、誰かが一緒にいると絡まれることは皆無なんだよ。
団体でも単体でもなんでもとにかく誰かと行動を共にすれば平気。本来なら今一ノ瀬くんといるはずだったから絡まれることはないはずだった。
自販機で飲み物を買おうとしたら物陰に引きずり込まれた。内心恐怖しかないけれど、それでも勇気を振り絞る。

「ちがうますだって?うわぁ可愛い!」
「美形くんより可愛げあるな~おれ叶野くんのほうがこのみ~小動物っぽくね?」
「ほんとそれ。」
「……」

こわいこわいこわいっ!!
なんでかカツアゲとか喧嘩売られる意味で絡まれたことはないけれど、ものすっごい自分の身が危ない人たちに絡まれるんだよっ!おもに貞操的な意味でね!!

「あの美形くんは叶野くんの彼氏?」
「えっと……。」

違いますけど!?
いや、男同士でなんでそうナチュラルに恋人同士とか彼氏とかそう言う単語が出てくるの?!普通に友だちです!謎、いやもう本当に謎です!!

「彼氏じゃないなら今から俺らと遊ぼうよ~。」
「叶野くんなら気持ちよくしてあげるよ?ほら行こいこ!!」
「えっ待って、」
「ダーメ!」
「ひッ」
「怖がらせんなよ~」
「悪い悪いっ」

気持ちよくってなに!?
強引に肩を組まれ、さすがに抵抗しようと手を伸ばそうとしたがそれすらとられてしまう。
とりあえず察するに健全に海であそぶ、ではないなっ!

「あっち車あんだよね」

耳元で低い声でスキンヘッドのお兄さんに言われて背筋がぞわっとなる。
くるま?!これやばい奴……?いやヤバい奴!!
身の危険しか感じないぃぃ!!やっぱり俺羽佐間くんに呪われてません?ってそんなこと考えてる場合じゃねええええ!!
連れ込まれたらやばい!何がどうなってどうやばいのか説明は出来ないけれどこれのったら俺また後悔します!

「無理無理無理!!」
「チッ早く連れ込むぞ!」

状況を理解して暴れ出す俺に面倒くさげにオールバックの人が舌打ちしたかと思えば先ほどまでの穏やかな口調が嘘のように荒々しくなる。
それにガチでビビるけど、ここで抵抗しないといつ抵抗するんだってはなし!!
さっきまでは混乱から脳が働かなくて身体も動かせなかったけれど、危険と判断した脳はとにかくなりふり構わず抵抗しろと身体に命令されるがままに足も手も胴体も捩じって首を振って抵抗する。

「いってぇ!」

脛を思いっきり蹴りが入ったようで堅い感触がかかとに伝わって、痛みを訴える声が聞こえたと思ったら肩から手が外れた。それと同時に駆け出す。
はやく、はやく!人の気配のあるところ、人込みに紛れてしまえ。
それか一ノ瀬くんと合流するんだ、悪目立ちするのはこの人たちが動きにくくなるだけだ、きっとそこまで追ってこないはず。急げ、もっと急げよ!

「こんのクソガキ!!」
「っ助け……むぐっ!」

もうすぐで物陰から出れる、と思ったところで俺がそれに安心して油断したのか彼らの方が早かったのか、助けてと大声で言おうとしたところで追い付かれて口を手で覆われて俺が暴れないよう2人がかりで抑えられつけられた。
1人には片手を取られ口をふさがれて……もう1人は俺を抱きしめる形で。
素肌が触れ合い感覚にぞわっと鳥肌が立った。
怖い。
ドクドクと嫌に心臓が高鳴る。

「大人しくしてれば本当に優しくしてやるつもりだったのによぉ」
「もうここでやっちまうか。」

何か会話してるようだけどうまく聞き取れない。
怖い、辞めて。

「っこいつ!まだ暴れんのかよ!!」

辞めて、やめてやめて。俺に触れないで。怖いこわいこわいこわい、やだやだやだっはなして。
はなして、羽佐間くん。
今いる場所は海であり今絡まれているのは見知らぬ誰かで、ここはあの学校の教室でもないし俺を抱きしているのは羽佐間くんじゃない。
だけど俺の脳裏に過るのはあの日のこと。
付き合って。脅しと同じ言葉を吐かれ、心底俺のことを愛おしく見つめる羽佐間くんの姿が視界にはいないのに俺の頭のなかは彼の顔が消えなくて。
もしかしたら誠一郎に助けられて一ノ瀬くんたちのおかげで過去と向き合えたのは全部嘘で、あの日の続きが本当の現実なんじゃないかって疑ってそんな妄想を真実と処理してしまった。
見知らぬ2人に何かされそうになっている現状を、羽佐間くんに触れられ無理矢理何かされそうとなっているんだと思い込んだ。
そう思い込んだ俺は今度こそ狂ったように暴れ出す。声が出さないように口を覆われていてもそれでも微かに声は出せる。それに焦っている2人なんか俺は眼中になくて解放されたくて暴れることを止めることは出来ない。
自分の脳裏に浮かんでいる光景しか見えていないのだから、当然この現状を把握できるわけがない。

「っいい加減にしろ!!」

いつまでも大人しくならない俺に苛立ったように怒鳴って拳を振り上げようとしたのか、ハッと気づくと握り拳が間近に迫っていて衝撃にぎゅっと目を閉じて耐える準備をした。俺は、やっぱり変われないのかな。そう諦観したと同時に

「貴様ら、何しているんだ?」

どこまでも真っ直ぐで力強くて通る声が聞こえた。
その声に恐怖とか諦念とかぐちゃぐちゃに考えていたのを忘れて目を開けて、声が聞こえたほうを見た。
ずっといた場所が物陰で少し薄暗かったのと太陽に位置で偶然だったしきっと彼は意識しているわけじゃなかったと思う。ああ、それでも。

「見間違いなくそこにいるのは僕の友人だ。その何か菌がついていそうな手から叶野を放してもらっていいだろうか。」

いつも通り堂々としたいつも通り仏頂面で、いつもよりもつり上がった眉といつもと違う淡々とした怒りを燻らせている瞳をした……太陽の光を眩いばかりに背中で受けている鷲尾くんを。
『救い』のように感じたんだ。
「っ鷲尾く、ん……たす、けて。」
「ああ。そのために僕はここにいる。」
弱々しい俺の頼みに力強く頷いてくれて状況は変わっていないのにひどく安心する。そんな俺を尻目に鷲尾くんは

「空っぽの頭では僕の言ったことも理解できないのか?放せと言っているのだが。」

鷲尾くんは本当に思ったことを言っているだけなんだけれど……ああ、やっぱ煽っているように聞こえちゃうなぁ。危ないのにいつも通りの鷲尾くんがおかしくてつい笑っちゃう。

「あ”あ?この状況みてそう言えるてめえこそおつむ足りてねえんじゃねーの?」
「正義感ぶっちゃうのほんとおこちゃまじゃんか!」
大きい声で下品に笑う彼らに鷲尾くんは不愉快極まりないと言わんばかりに顔をゆがめつつも冷静さは失われていない。
「ふむ。そう僕に言う貴様らこそちゃんと周りを見た方がいいのでは?」
「はぁ?」

「ちょっと……なにあれ、カツアゲ?」
「どう見たってあの子絡まれてるよな……?誰か係員呼べよ。」

ざわざわと不穏なものを見るかのような声が小さく聞こえてきた。
それは彼らも聞こえてきたみたいで「は、なんだよっ」と慌てて俺を雑にぽいっと地面に捨てて鷲尾くんの横を通り過ぎて物陰を出て行く。
俺も足に力が入らないけれど、ずるずると這うように鷲尾くんの元へ向かおうとすると
「大丈夫か」
と手を差し伸べてくれた。
反射的にいつもの癖で『大丈夫だよ』と笑ってその手を断ろうとしたけれど、あまりに眉間に皺を寄せて心配そうに真っ直ぐに俺を見ているから……
「……ちょっとだいじょばない、かな。」
「なんだそれ」
素直に『駄目だ』と言えなかったから、ちょっと茶化した答えを述べながら鷲尾くんの手を借りれば、苦笑いされた。
……なんだか。
そわそわする、鷲尾くんを前にするとなんか落ち着かないよ。でも、離れたいわけではないんだ。
変な気持ち。自分の良く分からない気持ちに戸惑いながらも鷲尾くんに引っ張られ物陰から出た。
「ええ、はぐれた友人を探していたらこの人たちに絡まれて……」
出てみると一ノ瀬くんが先ほどの男たちと係員の黄色いパーカーを着ているお兄さんとお姉さんに状況を説明しているところだった。

「きみ、だいじょうぶ?怪我とかないかな?」
「あ、はい。」
「そっか、良かった。」

俺が出てきたことにお姉さんが気付いて声をかけてくれる。女のひとがこう聞いてくれるのはありがたい、男のひとだとさっきの今だからちょっと身構えちゃうから。
殴られる寸前ではあったけど、未遂だったし俺の身には特に何の異常はない。

「えっと、あの男性2人組とは今まで面識はあった?」
「さっき初めて、です。」

そっかそっか、と柔らかく頷いてうーんと唸る。

「特にきみに怪我はないみたいだけど……どうしよっか?警察呼んだ方がいいかな?」
「いや、それは……。」
警察という単語にしどろもどろになってしまう。

「だーかーらー!ちょっとちょっかいかけてただけだって!」

大きい声で話すからどうしてもこっちまで聞こえてしまう。さきほどの男性2人だ。

「別に周りに迷惑かけてねえし、ただちょっとあそばないかなーって、それにあいつだって受け入れてたし!抵抗無かったしよ!!」

……俺、怖くて状況が把握できなかっただけ。
でも、なんでだろうね。大きい声だからか面倒ごとを起こしたくないのか係員の男性は俺のほうをチラチラ見て穏便に済ましてほしいと訴えているかのようだった。
こういうとき周りのことが見える力っていらないと思う。
周りもなんだか「たいしたことない感じ?」「特に怪我もなさそうだしなぁ」と脱力した空気がながれているのも見えてしまう。
ここで……俺が我慢すれば、穏便で終われる。
俺のせいで鷲尾くんや一ノ瀬くんの時間を取っちゃっているし、ここにいない伊藤くんや誠一郎も随分待たせているだろうし申し訳ない。
それに俺も……これ以上、大ごとにしたくない。
また泣き寝入りするのかと思われてしまうかもしれないけれどこんなに大勢から注目されるのも、俺が男に襲われそうになったことを知られるのも嫌。
俺だって男だから……女のように泣きそうになってしまうのは、さすがに嫌だ。

「……警察は、いいです。」

鷲尾くんから『それでいいのか』と目で訴えられたけれどスルーした。
だって、嫌なんだ。大勢に俺が男に襲われそうになったことがどこかで広まったりするのは。
男性2人組は俺の考えていることを分かっているみたいでニヤニヤしているのに不快感が沸き上がるけれど……仕方ない、よね。

「そっか!じゃあもうこのまま解散で……」
「っちょっと!」

面倒くさいみたいで最初からだるそうだった様子の係員のお兄さんがすぐ解散させようとするお兄さんにお姉さんがその態度に注意しようとする。

「……彼が警察に言いたくないというなら俺はその意見を尊重します。」

この場を静観していた一ノ瀬くんが口を開いた。
一ノ瀬くんは大きい声で話すわけではないけれど……彼の存在感のせいか彼が話し出すと何故かみんな静かになった。
不自然に静かになったこの場で一ノ瀬くんだけはいつも通りに話す。

「だけど、いくつか言わせてください。」

そう切り出して1拍置いて。

「まずあなた方。
彼は受け入れた、抵抗はなかったと言いましたが、俺見てたんです。
2人がかりで彼を抑え込んでいたのを。
勿論そこのメガネの友人も目撃してます。
俺はその間に係員を呼びそこの彼が叶野を助けに行きました。
そもそも、突然見知らぬ男性2人に話しかけられて連れられそうになったその場の状況を冷静な判断できるのでしょうか?
俺には出来ないと思います、少なくとも俺には出来ません。
今回は怪我が無かったですけれど、今後はどうなのでしょうか。このまま野放しにするのは良いことなんですか?大事件になったとき責任取れるんですか。
今回だって怪我がなくとも内心傷ついているのかもしれない。
それは言わないと分かりません、だけど心の傷は本人が言いたくないと判断してしまえば一生分かることができません。……心苦しいですが。
あと彼らが次安全に健全に海を楽しむように思えますか、俺は到底思えないです。
それを自分が処理したくないからといってその場をなあなあに済まそうとする貴方は責任が伴っていないと考えます。
…………でも、貴女の対応は親切だった、叶野を気遣ってくれてありがとうございました。

以上です。
行こう、叶野鷲尾。」

一気にまくし立てた、と思えば俺らに声をかけてその場を去ろうと言ってくる一ノ瀬くんに、少し戸惑ってしまい何となく隣にいる鷲尾くんと顔を合わせて……ついていくことにした。
一ノ瀬くんに威圧されてかだれにも呼び止められず、冷やかしも受けずにさっさとその場を去ることが出来た。

普段無口な一ノ瀬くんがあんなに言葉を発して適当なことを言う2人組と杜撰な対応をした係員のお兄さんに正論を淡々と告げつつ、俺を気遣ってくれたお姉さんへのお礼を忘れていないのはやっぱり頭の回転が速いと言うべきか……。
いやそれよりも……もしかして、いやもしかしなくても、怒ってくれた、んだよね。
自惚れじゃなければ、俺のために。


……照れくさい、な。
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