3章『やらない善意よりやる偽善。』

「へぇ~一ノ瀬くん、伊藤くんと同じところでバイトし始めたんだ!」
「ああ、料理とかはできないから裏方業務としてな。」
「料理苦手なの?」
「透に料理させるとなんか知らねえけど、見た目は普通なのに味が微妙なんだよ。まずかねえけど、美味くはねえ。」
「一ノ瀬に結構甘い伊藤がそう言うなら本当なんだろうな。」
「それって逆に器用だな。」
「……。」
伊藤の言うことは嘘偽りない事実だし否定できないけど、なんだか腑に落ちないし居心地が悪い。
無言になる俺に鷲尾が気遣ってか
「あまり気にしなくていいと思うぞ。それに僕に至っては料理をしたことがないし……今度手伝ってみるかな……。」
と言ってくれたのはちょっと嬉しかった。
「……鷲尾優しい、きっとお母さん喜ぶから是非手伝ってあげてくれ。」
「ああ、そうする。」
「そうだよ~結構お料理って大変なんだよ!お母さんの偉大さがよく分かるね!」
「そう、なのか。」
「母親ってなんであんな何でもない顔で毎日料理が出来るのか疑問に思えちゃうぐらいだよ!」
「うちなんて家族多いから色々と工夫しないといけねえしな、食費がかかるかかる……。」

それぞれ料理……というより母親の話になってきた。
『母親』というものはいとも容易く料理が出来る印象は根強いが、その印象は間違いではないのだと3人の会話を聞いてよくわかった。
話を聞きながらも『自分の母親』のことを知らないというか……記憶のない俺には入れない会話なので、話を耳では聞きながらもそっと視線を窓の外へ向けた。
海は見えていないので未だ遠い。
叶野たちと海に行く約束した日、待ち合わせてそのままみんなで一緒に海に向かっている最中の電車の中に今いる。
楽しそうに話しているのに俺はその話に交われないのを、なんだか変な気持ちになった。
そのせいかさっきとはまた違う意味で居心地が悪かった。
このままみんなの話を聞いていると……俺は嫌な人間になりそうだ。かといって空気を悪くしたいわけではないから会話をやめさせたいわけでもなくて……どうしていいのかよくわからなくなった。
話している叶野たち3人以外にも俺たちみたいに海に行くために乗り込んでいる人たちが多いので、押しつぶされるとまでは行かなくてもそれなりに満員だ。
がやがやと賑やかな電車内でみんなで話すにはそれなりに大きな声じゃないと聞こえない。

「……ちなみに透の料理下手は母さん直伝だから。」

ひっそりと、内緒話をするように小声で聞き取るには近距離ではないと聞き取れない。
意外と近くで聞こえた声に少し驚きながらも、俺のことを俺よりも知っている人間はあまりいないし何より声で誰かすぐ分かった。

「そう、なのか。」
「透の母さんまるでそっくりの味で俺としては何か懐かしかった。……なんか、悪いな。こういう会話になるきっかけ作っちまって。」
「いや……。」

伊藤に叶野たちには聞こえないぐらいの声量で謝罪されてしまった。
そんなに謝ることはない、流れが出来てしまったのなら仕方がないことだと思う。そう言おうとするけれど自己嫌悪から考えが纏まらず一言否定するしか出来なかった。
さっきまで自分が嫌な人間になりそうで怖かったけれど、申し訳なさそうにしている伊藤を見てそんな気持ちが吹っ飛んでしまった。
……性格、悪い。
もちろん申し訳なさそうにしているから気遣わせて逆に謝りたくなっているけれど、それとは別に伊藤も家庭内できっと事情があるんだと言うことは知っているから……俺といっしょの人がいるんだって安心してしまったから。
自己嫌悪に苛まれた。伊藤がそんなに申し訳なさそうにしているからなおさら。自分が汚く感じた。
せめて。伊藤には笑ってほしい。自己満足だってわかっては、いるけど。

「それより、はやく海つかないかな。」

それでも今は目先の楽しみをとりたいと思った。
色んな問題を先延ばしにしていることは自覚はしてる。だけど今話すのはきっと違う。
せめて今この瞬間は笑っていてほしいから、あからさまでうまく誤魔化せたなんてお世辞にも言えないぐらい下手な話題逸らしだったけれど。

「それな、約束通りアレやろうな!」

俺の気持ちを察したのかどうかは分からないけれど俺の話題に乗って笑って同意してくれた。
黄色のような元気な笑顔を見せてくれたことにホッとする。
……海を楽しみにしてたのは、俺もだからこうして楽しそうにしてくれるのはやっぱりうれしい。

「え、何する気なの?」
「……ああ、アレか。分かった。」
「本当何する気なんだよ……。」

一瞬伊藤の言う『アレ』が分からなかったがすぐに分かった。
そういえば終業式のときから言っていたな。アレをやりたい、と。
渋る俺に散々頼みこまれてしまって頷いてしまったのである。まあ伊藤がやりたいのならいいけどな。
何をする気なのか、伊藤の大きな声につられてか話していた3人が不思議そうに『アレ』が何なのか気になってか俺らのほうをじーっと見てくるけれど。

「あー秘密だ、ひみつ。」
「そう隠されるととんでもなく気になるのだが。」
「……多分鷲尾が思ってる以上に賢くないことをすることは確実かな。」

伊藤に提案されなければ絶対に俺はやらないし、きっと鷲尾も……いや鷲尾の場合は提案されてもやらないかもしれないぐらいのことだ。

「良いだろ、夏だしな!」
「伊藤くんすごい乗り気だねーよっしいっぱい楽しもうね!」

俺ビーチボールと浮き輪も持ってきたんだ~とウキウキしている叶野。
……うん、楽しみなのは皆も一緒みたいだ。
鷲尾も冷静を装っているけれどそわそわと窓の外を確認しているのが視界の端に映るので分かってしまった。
俺も人のことを言えないので鷲尾のことを言わなかった。それに俺が言わなくても

「わっしーもたのしみにしてたんだね!!もう何度窓の外確認してるの?」
「う、五月蠅い。」
「ええー昨日水着をいっしょに買いに行った仲じゃん!」
「まじか。」
「水着なんて学校の授業でしか使ったことないし、当時に比べて身長も伸びてしまったから入りそうになくて困って、それで……仕方ないだろ!」

顔を真っ赤にして訳を話す鷲尾だったが、恥ずかしさのあまりか最後キレ気味になっている。

「俺としてはまあ頼られるのは好きだからいいんだけどぉそんなキレなくてもよくなーい?」
「五月蠅い、もう五月蠅い、だまれ、かのう。」

叶野が鷲尾をからかって鷲尾は目を逸らしながら叶野に黙るように言うけれど、その空気感に前にあったようなギスギスしたものはなくてむしろ言葉自体は刺々しいのに穏やかなものだった。
……俺に至っては前に伊藤と買いに行かなければ鷲尾と同じように途方に暮れた思いをしていたかもしれないので少し鷲尾に同情してしまった。
着いたらどう遊ぶか何時に昼飯を食べるかの話をみんなとしていたらあっという間に目的の駅に着いた。



「うし!行くぞ、透!」
「……ああ。」

海に着いて着替えて、ロッカーに荷物を押し込んで浮き輪やビーチボールに空気を入れて準備運動もそこそこにして持参したビニールシートを敷いて休憩できる場所を確保する。
強い日差しに晒され続けた砂をサンダル越しに感じながらも海へ近づいて、波が来ないところでサンダルを脱ぎ、波が来るけれど足が少し浸るぐらいの浅いところで『アレ』の準備を始める。
蹲り頭の位置を出来る限り下にしようとする伊藤の首のところに自分の足の間を挟むように跨る。

「や、ほんと何してんの?!」

後ろから叶野の突っ込みを受けたけれど、俺も結構不安になっているのでそれに応える余裕は無い。
伊藤は叶野の焦った声は聞こえていないのか、俺の位置が安定したのを察知して「立つぞ」と一言俺に断ってゆっくりと立ち上がっていく。
立ち上がるとき初めての感覚と浮遊感に吃驚して「ぅ、わ」と小さく声を上げてバランス感覚が崩れて足を無意識にもぞもぞさせてしまうと、伊藤の手がしっかりと俺の太もも辺りをぐっと抑えられて伊藤の肩からずれないように固定された。痛みはない。
……少し力を入れたところで伊藤が崩れる様子はなく、安定しているので伊藤の力強さを改めて自覚する。絶対伊藤と殴り合いの喧嘩になったら勝ち目はないだろう。なんてありもしないであろうことを考えてしまう。

「……」

自分のあまり触れないし陽にさらされることもあまりないところを伊藤のゴツゴツした男らしくて健康的な色の手が力強く掴んでいるのが視界に入る。
なんか、もぞもぞする。
普段自分でも触れないところだからだろうか、前に伊藤と叶野に脇の下とか触られたときに似ているような少し違うような変な感覚だ。
何となくこれ以上見るのはいけない気がしたので視界を少しずらしてみるとこれこそいつもはほぼ確実に見えないものが見えた。

「……結構、茶色いんだな。」

真上から見ると生え際がよく分かる。
伊藤の髪は金色に染められている。染めていると言うことは髪が伸びれば地毛の部分が見えてくる。
ほぼ毎日いつも伊藤のとなりにいるから根元が茶色くなっているのは分かっているけれどこうして真上から見える日はそうそうないしこれからもあまりないと思う。
普段見える伊藤の地毛の部分は特に意識するほど明るいわけではないけれど、今は陽の光に当たっているのも相まってかさすがに赤茶色に染めている叶野のようにとまではいかないものの、かなり明るく見える。
物珍しくてつい人工的な金髪をかき分けて地毛をまじまじと観察する。
染色していないからか触り心地が良い。
初めて会ってからずっと金髪しか見ていなかったから特に違和感はないし普通に似合っているとは思うけれど全体を地毛の色にしたところ見てみたい気もするな、そう思いながらわしゃわしゃと真下にある頭を撫でくり回す。

「……っ行くからな!!」
「わっ」

撫でるのに夢中になっていると声をかけられたが伊藤に言われたことを理解する前にくんっと身体が傾きそうになって反射的に間近になった伊藤の頭をぎゅっと両手で抱きしめた。

「~~~っ!!!!」
「ぅ、わ……ぶふっ!!」
「ごふっ!!」

「……ほんっとうに、何してんだあいつら。」
「えーっと簡単に説明すると伊藤くんが一ノ瀬くんを肩車した状態でそのまま海へと走っていって、しばらく走って行った伊藤くんが何故かこけて……2人とも顔面から海に突っ込みましたなぁ……。わぁ目痛そう。2人とも悶えてるよ……。」
「謎過ぎる。」
「……ふ、は、ぐっ……!」
「わっしー笑いたいなら笑ってええんやで。」
「っ、ふ、ハッ!ハハハハハ!!」
「鷲尾ってそんなに笑えるんだな……。」
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