3章『やらない善意よりやる偽善。』


「なんか、あの人いっつも唐突だからよ。悪いな、色々と……。」
「いや、丁度バイトを探していたし……俺にとってすごく有難かった。」

スクールバックを肩に下げ、自分の濡れてしまった制服を貰ったビニール袋に入れそれを持ちながら歩いているせいで一歩前へ進むたびにガサガサと音が鳴った。
その提案はありがたいけれど俺は表に出ることは上手にできないと思うから断ろうとしたが

『とおるちゃんには皿洗いをおまかせしようと思うの~わたしとすずめちゃんだけだとなかなかお皿洗いに行けなくてたまちゃって仕方がないのよねぇ。
洗っていないから使えるお皿がなかったりする事故が起きるから、そろそろ新しいバイトの子雇おうと思っててぇ~。表には出ないで皿洗いに専念してもらえればそれでいいわよん。
とおるちゃんさえよければ、になるのだけれど……どうかしらん?具体的な時間とか曜日とかは決まっていなくて暇なときに来てくれればいいしね!』
料理は出来ないが、皿洗いぐらいなら俺にも出来ると思うし……曜日とか時間に縛られないのはかなり大きい気とも思う。
こちらとしてはありがたい提案だが、心配になるほどそんなに緩くていいのだろうかと心配になる。
『いいのよぉ元々わたしひとりでこの店をやるつもりだったのだしぃ可愛い男の子ふたり一緒にやってくれるだけでわたしとしては寂しくなくてうれしいわ!』
そう女性口調で男らしく快活に笑ってくれて伊藤もここで働いていると言うこともあって警戒心が欠片も無くなった俺は気付いたら首を縦に振っていた。

「前に出ないでいいのもありがたい……。」

別に人と関わるのが嫌いなわけじゃない。だけど得意ではない。料理のほうも破滅的だし。
これがゴンさんや伊藤のやっているであろうことをやってほしいと言われていたとしたら……オーダーとるとき声が小さくて聞き返されたり料理の手伝いで大惨事になるのはすぐに想像がついた。
きっといつまでも慣れないで迷惑をかけてしまうだろうから、と断っていたと思う。
ゴンさんも料理面は伊藤から聞いたかどうかわからないけれど、人と関わるのが得意じゃないのを察してくれたのかもしれない。
甘えてしまって申し訳ないが、初めてアルバイトが出来るところが伊藤がいるところというのがどうしても魅力的に見えたから一番の悩みが消えたせいで葛藤する間もなくつい頷いてしまった。
この辺は伊藤にも恥ずかしくて言えないな……。すぐに頷いてしまった俺を純粋に心配してくれた伊藤に、俺にはこんな下心があるんだとは言い出せなかった。
次に来たときにちゃんと契約しましょう、と今日のところは帰ることになった。伊藤は家まで送ると言ってくれたのでお言葉に甘えてる。ちなみに一回断ったけれど駄目だと拒否された。(そんなに俺は危なっかしいように見えるのだろうか。)

「……透が出ると変な奴が沸きそうだしな」
「?何か言ったか?」
「いや、えーっと……一緒に働けて嬉しい、な。」
「…………うん。」

今の時刻は夕方でもうすぐ夜なのに空気が暑くて昼よりはましになったとはまだアスファルトも熱くて、冷房の効いたところにいるよりも俺の顔は赤かったと思う。
だけど、今もっと顔面の熱が上がった気がした。ドッ、ドッ、と心臓の音が重くもなった気がする。夏風邪だろうか。なんて現実逃避してみたけれど、きっと違ってて。
自分が思っていたことを伊藤も思っていてくれたことが嬉しくて恥ずかしかった。少し慌ててしまって間が出来てそれを埋めようとして頷いては見たけれど、やっぱり頷いただけだと伊藤もどう反応していいのか分からないのか返答は無くて。

「……俺も、そう思ってた。」

伊藤も恥ずかしいことを言ってしまったと思ったのかもしれないのに、俺は何も言わないなんてできなくて、ドクドクと熱くなっていく顔を知りながらも伊藤の顔を横目で見ながらそう言った。
伊藤は最初何を言われたのかわからなかったようで反応がしばらくなかくて言わない方が良かっただろうかと少し不安になった。

「っ、あ、お、そう、か。」

俺の言ったことを理解したのか、一気に伊藤の顔も耳と首まで真っ赤になって挙動不審になったのを見てなんだか安心してしまった。……勿論、俺もまだ顔は赤いままなのはわかってるけれど。
恥ずかしいのに嬉しくて、嬉しいのに恥ずかしいこの気持ちはなんだろうか。
しばらくお互い無言で同じ歩幅で歩いて
「あ、あー今度、海楽しみだな!」
話を逸らそうとしているのが丸わかりの声音でしどろもどろになっているから、吉田じゃなくても俺でもへただって分かる誤魔化し方だけど……この空気感がいやではないけれどどうしでも恥ずかしくて、それに乗ることにした。
それに、海行くのは本当で、俺も楽しみなのも本当だ。

「……うん。あと4日、だ。この間買ったの、探さないと。」
「まだ出してなかったのかよ。」

前に伊藤と買った水着を未だ出していなかったことを笑われてしまった。
今度、海に行く。
伊藤と……叶野と湖越と鷲尾と、で。


「せっかくさ、高1でこんなに仲良くなれたし!みんなで遠出したい!だから海行こー!」
と終業式後にそう叶野から提案されたのである。

「脈絡が分からん……すまないが僕は遠慮する、水着も持っていないし、たぶん泳げん。」
「……水着は持ってるけど、俺も泳げるかわからないかな。どうだろうか……一緒にいても行っても楽しくないかもな。」

せっかく叶野からの提案で喜ばしいし伊藤との買い物の流れで水着を買ったけれど、神丘学園では初等部以外は水泳の授業は無かったし当時俺が一番塞ぎ込んでいたから水泳に出る気がなくていつも見学していた。
祖父や桐渓さんは俺をそういったところに連れて行くことはありえないし九十九さんもいつだって忙しそうだったけれど、8月と12月は特に忙しそうでその月は大体姿を見たことが無かった。
……こうやって、誘うような誘われるような親しい友だちもいたことがなかった。
夏休みは寮にずっといた、お盆のときだけはどうしても寮も閉鎖されるから帰ってたけれど……記憶が無いとは言え、両親の墓参りには行くべきだろうかと考えていた俺だったが、
『忘れてしまったのに線香をあげるのか、どの顔を下げていくんだ。』と祖父に言われてしまって、何も言えなくなった。
寮にいるときは、家にいるときよりもまだ気が休めた。とはいえやっていることは自習か少しボーっとするぐらいなので家にいても寮にいても変わらなかった。
そんな俺が海に行ったところでみんな楽しめないんじゃないかと思ってしまった。
泳げるかどうかも分からない、そんな俺なんかじゃ。
何となく鷲尾も似た理由で断っているんじゃないかな……。

「別に、泳げねえならそれでいいんじゃねえの?」
「浮き輪もあるし、海で泳ぐだけが遊びって訳じゃないんだよ~!あ、もしかして大人数でちょっと遠出するのはだるい?」
「……いや、そう言うわけじゃ。」
「ならいいんじゃないか?鷲尾はどうだ?」
「……。」
「わっしー海こわいのかー!」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ決定だーい!いやっふー!!」

こうしてみんなの優しい言葉に俺は拒否する術を知らず、鷲尾は叶野に煽られてまんまと乗せられてみんなで海に行くことが決定されたのだった。


「透たぶん泳げるだろうよ。まあ泳げなくても俺が教えてやるよ。」
「……任せた。伊藤は最後いつ行った?」
「あー……そういや小学校以来だな。まぁなんとかなんだろ。」

……少し不安になってしまった。
だけど伊藤は運動神経が良いみたいだし、久しぶりでもきっと伊藤なら大丈夫なのかもしれない。
海、か。
なんだか俺が海に行ってあそぶというイメージが全然出来ない。
テレビとかで海開きの特集で見たことはあっても直に感じていないせいだろうか。
テレビで見る人たちはみんな楽しそうだった。
家族、友人、恋人。老若男女問わず皆肌が焼けて痛そうにしながらも歯を見せて笑って楽し気だった。それは俺と同い年ぐらいの男子たちもいた。そのときは何も感じないようにしていたから分からなかったが、俺は結構海に友だちと遊びに行くということに憧れていたみたいだ。
笑い合って楽しそうにしているのを憧れて、憧れすぎて俺にはそういうところは不釣り合いだと思ってしまうほどに。
いいのだろうか。
記憶が無い俺がこんな風に友だちとみんなと同じように遊んでも。
俺が、行っても良い場所なんだろうか。
叶野から誘われたあの瞬間そんなことをすぐに思ったし、海に行く4日前になってもそう思ってしまうのは変わることが出来なかった。

「楽しみだな!」

でも、こうして俺に笑いかけて心からそう言ってくれる伊藤の顔を見たら……俺も、やっぱり楽しみたいと思える。
どんなところでも伊藤がいるのなら、きっと俺がそこにいっても大丈夫だなと思えるから……伊藤は不思議だ。
不思議で……かけがえのないひとだ。

髪も黄色だけど、やっぱり伊藤を色に例えるなら俺には黄色だと思う。
元気をくれる色、元気をくれる人。それが俺にとっての伊藤。

「うん。」

そう頷いたときにはもう鬱々とした気持ちは消えて純粋に海に行くのが楽しみだなとしか思わなかった。


海に行ったらあれしようこれしよう、ああいうところの食べ物はおいしいとかそんな話をしていたらあっという間に家についてしまった。
夏休み前なら家に寄っていくのがいつもの流れになっていたけれど今日はあっさりと伊藤は「じゃあまたな。」と帰っていくのを見送った。
……寂しい、なんてことを感じてしまう。
そんなことを思ってしまったせいで今自分の纏っている伊藤の服をぎゅうっと握りしめた。俺が着ないであろうTシャツに伊藤を感じて少しだけ安心する。
安心したと同時に自分が同性の親友の服になにをしているんだろう、と冷静になってしまった。

「……とりあえず、お風呂はいろ……。」

さっさと脱いで洗おう。
そう決めて急いで家に入って風呂場へ向かった。……別に、少し惜しいとかそんなことは思っていないから。本当に。


寝間着として使用している半袖のTシャツと暑くて仕方ないのでハーフパンツを履いて、伊藤に借りていた服と濡れたYシャツを洗濯機に突っ込んで洗剤と柔軟剤を適当に入れて力強くスイッチを入れて、蓋を勢いよく閉じた。
「……これで良し。」
こうすればあきらめもつく。もう何が諦めが付いたのかは聞かないでくれ。あっついから。

ガウンガウン、と洗濯機のまわる音が落ち着かなくなったので居間の方へ向かい携帯電話を開いた。
叶野と伊藤と……吉田からも着ている。
複数になっていたから最初にメールが来た人順から返していこうと受信画面を開いた。

「……あ、」

下の方を見ていくとそこにあったのは九十九さんの名前。
驚くことはない。だって、夏休みに会う予定でいつになるかまた連絡すると書いてあったのだからメールが来ていても不思議ではなくて、むしろ遅いぐらいといっても良い。
でも久しぶりに会うせいか、前と少し変わった俺になって初めて会うせいかなんだか緊張する。
緊張から震えそうになる指を奮い立たせてメールを開く。

『お久しぶりです。連絡するといいながらまたしても遅れてしまって大変申し訳ございません。
暑い日が続いておりますがお元気でしょうか。
お会いする日程ですが、透様の都合さえよろしければ来月の9日はいかがでしょうか?』

8月9日。
特に予定はない、その日で大丈夫であることを伝えると時間と場所を指定されて特に都合は悪くない……いやむしろ良すぎていいのだろうか、とも思ってしまうけれど九十九さんだから電車ではなく車で来るのだろう。
それに了承すると『会える日を楽しみにしております。』といつも通り堅い調子でメールの返信が来た。
この家で話すわけではないことに少しほっとしてる。
ここで集まるのは暑すぎる。最近ようやく扇風機を買ったが焼け石に水みたいなもので暑くて仕方がない。今は夜だから少しましだけれど、昼間はここにいるべきではないなと強く感じてしまうほどに暑くて仕方がない。
明日は補修もないし、本格的に暑くなる昼前にはどこか外に避難しないときついかもしれない。
……ゴンさんは働きにくるのとは別にいつでも遊びに来てもいいと言ってくれたから、明日行ってみようかな。早速甘えているなと自分に呆れてしまうけれど命の危険があるのだから仕方がない。
でもさすがに何も言わずに行ってしまうのもなとも思うので伊藤にメールで聞いてみよう。
返信ついでに明日も店に行っていいかどうかのメールを送ったあと、叶野と吉田からのメールも返した。

夏休み前に色んなことがあって、未だ解決していないことや分からないこともたくさんあるけれど……でも、不謹慎かもしれないけれど俺は今楽しくてこれからの夏休みが楽しみだ。
伊藤から返信が来て『もちろん来てほしいだってよ。いつでも来いよ!』快く受け入れてくれたようでホッとしてそのあと嬉しい気持ちになる。
こんなに夏休みに予定が入るのはもちろん初めてのことだ。
たのしみ、だ。
……桐渓さんからなにも音沙汰がないのは、なんだか怖いけれど……そんな不安感も『水着を探さないとな』という目先の欲求によってすぐに打ち消された。一種の現実逃避かもしれない。

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