3章『やらない善意よりやる偽善。』


駅までの道をゆっくり歩いていく。まぶしい日差しがじりじりと肉を焼いていくのを感じる。それでも吉田の話が気になったので汗を拭いながらゆっくり歩いた。

「好きになれないっていうか……なんだろうね~なんかあの人いやなのよねぇ~」
「そう、なのか。」

俺に向けることは決していないであろう万人受けする表情を浮かべる桐渓さんをそうあっさりと吉田は言いのけた。
叶野も桐渓さんに対して普通に接していたからそんな風に思っている生徒がいるとは……あ、でも伊藤も俺のことがある前から好きではないことを言っていたし、勘が鋭いひとは桐渓さんのようなタイプは苦手になりがちなのだろうか。

「なんで嫌なんだ?」
「ふんいき?なんかやだな~と入学式のしょうかいから思ってたけどね~」

初対面……どころか未だ桐渓さんが吉田のことを知る前の本当に初期の初期から苦手だったんだな……。
伊藤はどのあたりからそう言う風に思っていたんだろうか……夏休み入ってからバイトで忙しい伊藤とあまりいっしょにいることがないせいか、すぐに伊藤のことを考えてしまう自分に首を傾げる。
なんだろうか。

「さいきんは特になんだかいやだなぁ、のぶちゃんを見る目がねぇ……」
「のぶ、ちゃん?同じクラスの友だちとかなのか?」

吉田は自分の付けたニックネームで呼ぶので誰なのか分からない。
未だ吉田との付き合いも浅いので交友関係を把握できていない。というか、こんなに人見知りせず人懐っこくて好かれるであろう吉田はとんでもなく友だちが多そうなので把握できる自信はあまりない。
俺の質問にあれ?と首を傾げて

「あれ~イッチは話したことない?おれと同じクラスの『梶井信人』くん。名前からとって『のぶちゃん』よ~。」

と、あっさりとその名前が出てくることに驚いてしまう。
こういう反応は失礼かもしれない、だけど何というか……梶井の名前を教室で出すとクラスメイトが身構える反応を示すのだと最近知った。
それも、たぶん小室の件をばらしたのは自分だと全員(俺の把握してる限りは1年生は知ってる、もしかしたら学校にいる人間全員が知ってるかもしれない)に梶井本人からメールが届いたのだから。
クラスメイトたちは伊藤のことも知ってるから尚更なのかもしれない。
みんな梶井のことをきっと恐怖の対象として見ていた。湖越も、梶井と何かしらの関係があるにも関わらずあまり話したく無さそうで。自然と、彼の話題を疎遠するようになった。
だから。
こうして普通に吉田の口から梶井の名前が出てくるのが意外で……でも、なんだか嬉しかった。何故かはわからないけど。

「いっち~?」
「あ、悪い……。
その……吉田は、仲良いのか?梶井と。」

フリーズしてしまった俺を不思議そうに見ている吉田に、素直に思ったままを聞いた。
そういえば、吉田は梶井と同じA組だったことを思い出した。
吉田が、梶井をどう思っているのか気になった。
人懐こくてカラッとした日向のような笑顔を持っていて、勉強は苦手みたいだけど根性で乗り越える強さもある吉田が……いつだって作り笑顔を作って薄て見えない強固な壁を張り続けているのに傷ついている瞳をしてる梶井をどう思ってるのか。
もし、梶井を桐渓さんに向ける顔を同じようになったらどうしようとそんな不安にかられながら。

「うん!今おれがいちばんなかよくなりたいひとナンバーワンよ~!」

そんな悩みは杞憂だったみたいで明るく吉田はそういった。
何故かホッとする。
俺に悪戯っぽく笑顔を向ける。

「安心した~?」
「……ああ。」

勘が鋭いと言うか……いや、ドラマを見ていてかつ自分でも芝居をやっているといっていたから、人のことを良く見ているんだろうな。
俺が塞ぎ込んでいる間も、きっと吉田がそうやって人を見て様々なことを勉強してきているんだろう。いや、もともと洞察力に優れているのかもしれない。まぁどちらでもいいか。

「吉田は人のこと良く見てるな、すごいな。」

俺の考えてることも筒抜けされている気もする。どこまでわかるんだろうか、素直に感心してそのままを言葉にする。
……何故か驚いた顔をされた。
「え、それだけ?」
「?」
「ばかはねこかぶりなのか~とか人の考えてることさきまわりするとかきもちわるい~とかそんな感想ないのん?」
「……あるわけないだろ。なんでそんな後ろ向きなんだ。」
「だってね、いつもとキャラちがうでしょ?おばかなくせにそういうのには鋭いとか、ばかなのはうそだって言われやすいのよ。」

いつもの吉田あるまじき後ろ向きな発言にこっちが驚いてしまう。
いや~えっと~……と人差し指同士をいじいじしながら言いにくそうにしている。まぁ、言いたくないなら無理して言わなくてもいい。
でも、吉田の発言からもしかしたら普段の雰囲気とは逆に勘が鋭くて人のことを良くみているから、周囲から異端に見られることもあったかもしれない。

「どっちも吉田の本当なのは、分かるから。」

俺は他の人たちと比べて吉田と知り合うのは遅いと思うし一緒にいる時間もかなり短いけれど、吉田のことを知るには充分な時間だと思ってる。
吉田のことを見る限り自ら隠そうとしている訳ではなさそうではあるが、もしも自分が『異端』と感じているのならそれに怯えることはない。

「……美形の男前って破壊力すごいのねぇ……りなちゃんがいなかったらおれもあぶなかったわぁ……。」
「?」
「(無自覚ってこわいねー!)」

暑くて赤らんでいた頬がさらに赤くなった気がして心配になる。
熱中症、にならなければいいんだが……いやでも熱そうではあるが顔色は普通だから大丈夫かな。
何か言われたような気がしたが、吉田の顔が赤くなって心配だったし小声だったから聞き取れなかった。

「や!だいじょうぶよ!そんな心配そうな顔しないでぇ」
「そう、か?」
「うん!それよりごめんね!おれイッチのこと試しちゃった!」
「……え?」

パン!と勢いよく俺に拝むように手を合わせ心底申し訳ないと言わんばかりに頭を下げられた。
何に謝られたのか分からずに首を傾げるばかりの俺にガバッと顔を上げ説明してくれた。

「おれは別にだれにもきずつけられたことはないのよ。ううん、そういうことは言われたこと自体はあるけどべつにきずついたことはないかな。」
「……そうなのか。」
「好きにいわせておけーいっておもってるからねぇ。」
(強い……。)
「吉田は俺に何を試していたんだ?」
俺の問いに吉田の笑顔はいつも通りに見えるけれど薄ら強張っている気がした。言いにくそうにだけど間を置かずに吉田は答える。
「イッチならばのぶちゃんのこと、はなしてもいいかな~って思ってましてぇ……。」
「のぶ……梶井のこと?」
「なんだかのぶちゃんのこと聞きたそうだったからさぁ……。」

確かに梶井のことを聞きたいと思っていたけれど。
どこまで洞察力に優れているのだろうか。

「あっ結構イッチ分かりやすいよ~」
「そうか?」
「うん、気になることには結構ぐいぐい来る~。」
「知りたいからな。……どうだろうか、俺に梶井のことを話すかどうかに合格したか?」

知りたいのならその場で聞くのが一番だと思う。……自分のことになるとままならないけれど、基本的には知らないことは知らないままでいたくないから。
梶井のこと、俺は知りたいと思う。
あの口ぶりから梶井は俺のことを良く知っていそうだけど、俺はなにも知らない。
梶井は俺のことを知った上でああ言って、俺のことを好かないと思ったから笑顔さえ浮かべやしなかったのだろうけれど。
俺は、梶井のことなにも知らないから……ああ言われて『じゃあもう俺ももう関わらない』と決めるのは早計な気がするんだ。
知りたいと言ったときは少しだけ、壁が緩んだ気がしたけれど湖越に責められて泣き出しそうな顔をした後すぐ笑顔を貼り付けてさっきよりも強固となった壁を簡単に崩せるとは思わない。
だけど話さないと分からないから。話して分かり合えるのなら、俺はそうしたいんだ。
俺は梶井のことを知りたい。
合格したのかどうか気になって吉田をじっと見つめる。
またしても言いづらそうにしている。

「合格、なんだけどぉ……」
「どうした?」
「実はおれもあんまりのぶちゃんのこと、知らないのよねぇ。」
「そうなのか。」
「なんだかえらそうにしてたのにごめんよぉ……ああ、でも!これからはのぶちゃんのことを話せるひとがいるのはうれしみの極み!みーんなのぶちゃんのなまえ出すだけでみがまえるんですもん。」
「ああ、やっぱりみんなそう言う反応なんだな……。いつから梶井のことをニックネームで呼ぶようになったんだ?」

決して吉田に梶井のことを聞けばすべてがわかるとは思っていない。
吉田から見た梶井がどんな人間なのかを知りたい。それだけだ。もしも吉田が梶井の過去を知っていたとしても聞く気はなかった。

「えっと~入学したその日からかな~。」
「……コミュニケーション能力に優れてるな。」
「なんだか気になる子いる~はなしかけよーっと思ったのですよ~。」
「なるほど……?」
「綺麗な作り笑顔してたしねぇ。」

……さすが、役者を目指していると言うことがあるのだろう。きっと作っているか作っていないかの判断がすぐに出来てしまうのだろう、すごいな。

「あっでもはなしてみるとあまり人なれはしてなさそうだった!おれがはなしかけたときなんだか恥ずかしそーだったし。
ほらこの写メ見てみて~。」

少しだけしか話していないけれど梶井と結びつかないことを言われて思わず首を傾げてしまう。
俺のためらいに気付いたようで吉田の(やっぱりオレンジ色の)携帯をぐいぐいと見せられた。
あまりに近すぎで見えづらかったので断りをいれて吉田の携帯電話をそっと持って、画面を見た。

そこには、いつも通り満開の笑顔の吉田と……どこを見ていいのか分からなさそうな、少し照れたように頬を赤らめながらきょとんとしたような戸惑っているような顔をした梶井の2人の写メだった。

「……梶井って、こういう表情するんだな。」
「たぶんのぶちゃんの素だとおれは推理しております。」
「……吉田言うのならきっとそうなんだろうな。」

思わずまじまじとその写真を見てしまう。
確かに慣れているようには見えない。近い距離に戸惑っているけれどいやではないようには見えた。

「これを1週間おれは見ていたからさぁ、そりゃ今のあの笑顔はつくりものってわかるよねえ~。」
「……そうだな。」

人と関りを持つことなく生きて、まだ誰かといることに慣れていなかった俺も伊藤といるときは、こういう表情していたのかな。
確かにこういう表情を見ていたらあの笑顔が作り物だってことがよくわかるだろうな……。
ん?ちょっと待ってほしい、ということは。

「入学して少なくとも1週間は梶井はこういう感じだった、ということか?」

吉田の話を聞く限りでは梶井は最初からああいう感じではなかったと言うことになる。作った笑顔は貼り付けてはいたようだったが、それでも吉田とかかわっているときは梶井は『素』の状態、だったということになる。
少なくとも、高校に入学して1週間のはなしではあるが。

「中学のときのことは知らないけれどねぇ……でも、イッチのいうとおりだよー。」
「……1週間、経ったとき……なにがあったんだ?」
「しょーじき話しますけどん、心あたりは無くはないんだよん。だけど、かくしょうがないので、おはなしできないのん。」
「そっか。」
(……かくしょうがないのに話しちゃうと……ヒビ入っちゃうかもしれないし。)

……吉田は確かに鋭い。他人の感情や何を考えているのか先走り出来てしまうぐらい、鋭い。
だけど……吉田自身も結構顔に出やすいし、隠し事も得意ではないようだ。
しんみりとした顔で黙り込んでしまえば俺にとってあまり良くない、と考えているッぽい気がする。
気にはなる、でも吉田がそう気遣ってくれるのならそれを拒否する必要は感じなかった。なら、このままにしておくべき、だろう。

「……でも、ひとつかくしょうを得ていることがひとつあります。」
「?」
「のぶちゃんとイッチは仲よくなれます!!」
「……どこで、そんな確証が……。」
「おれのカン!」
「確証とは……。」

堂々と笑顔で突然宣言する吉田に肩の力抜けた。
確証ってなんだっけ、そう思いながらも吉田の前向きな発言は元気をもらえる気がした。
正直、俺は梶井に嫌われていると思ってる。すごい睨まれたし嫌いって言われたし。
でも吉田の言う通り仲良くなれるのなら……それは嬉しい。

「ということで!今度『のぶちゃんとイッチ仲良しになろう、あわよくばズッ友へ』計画をたてるから!今度メールするね!!」
「分かった。」

脈絡がよくわからなかったけれど断る道理もないので頷いた。仲良くなれるのならやっぱり仲良くしたいと思う。頷く俺に吉田は満足そうな笑顔になった。


「夏休みどっかであそぼーね!じゃあまたね~!!」

ブンブンと音が出そうなほど大きく手を振られたのでそれに返そうと俺は小さく手を振っていると、目の前の扉は閉まり電車は動き出した。
いつまでも手を振ってくれるので俺も見えなくなるまで振り返した。

「……。」

吉田の姿が見えなくなってようやく手を振る手を止めて鞄から携帯電話を取り出した。
何となく新規メールを作成した。
何となく宛先は伊藤を選択した。
何となく、本当に何となく伊藤に会いたくなった。
『今日会えないか?』
そう本文に打ち込んで、何となく送信ボタンを押せずに次の止まる駅に着くまで押すことが出来なかった。
緊張してたとか、恥ずかしくなったとか、そう言う訳ではない。

断じて、そう言うわけではない。
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