3章『やらない善意よりやる偽善。』


終業式も無事終了し、すでに夏休み3日目に突入している。だが俺がいるのは教室である。

「とりあえずこのプリントやってみようか。分からないことがあったら遠慮なく聞いて……」
「はい!!ここ分かんない!です!!」
「……質問、早いな。」
吉田と2人で岬先生の補修を受けている最中である。そう、2人である。



「あれー?国語の補修っておれとイッチだけなのー?」
「いっち……ああ、一ノ瀬くんのことね。
ううん、本当は出席日数の問題でもう何人かいるんだけど……うーん、来てないね……。」

始まる前に2人しかいないことを疑問に感じた吉田が聞いて、岬先生は残念そうに溜息を吐いていた。

「……小室は。」
「……来れないって言われちゃったね。」

期末テストを受けていない小室も勿論補修組になるはずだが、やはりあのときのダメージが大きいようで来れなかったみたいだ。
小室の自業自得ではあるもののほんの少しだけ気になった。
とにかく、国語の補修でちゃんと来たのは俺と吉田の2人だけだった。

「わぁ~イッチと同じ教室で同じ補修するってなんだかおれわくわくしちゃうなぁ~!というかなんで補修なのー?」
「名前、書き忘れた。」
「えっあはははは!まじか!!」
「こら吉田くん。静かに。」
「はーい!」

俺が補修を受ける理由を聞いた吉田が大笑いするのを岬先生は優しくも咎めて、それを素直に受け入れてプリントに目を向け始めたので俺も取り組むことにした。
答えはノートにとっていたものばかりで苦戦することはなかったが、暗記しているのとちゃんと理解しているのとはまた違うな……。そのひとの気持ちになって考えるのがどうも苦手だ。こればかりは治せそうにないな。
いつも隣にいる伊藤が今日はいなくて、変な感じになりながらプリントに答えを書き込んだ。
集中して問題を解いていく。となりで吉田の賑やかに質問するのを穏やかに教える岬先生の声を聞きながらも書き込む手は止めなかった。
しばらくしてずっと下を向いている体勢が苦しくなってきたので書き込む手を止めて身体を伸ばそうと両腕を上げようとした。

「おっ、やってんな~!ちゃんと来ててえらいなぁ!」
「あ、たつみせんせーだー!おざまーす!」
「おっす!……ん?ああ!一ノ瀬も補修なのか!珍しいと言うか変な感じだな!」
「……名前、書き忘れてしまいまして。」
「はははははは!岬先生から聞いたときは驚いたぞー!」

唐突の大きな声に予想していない鼓膜の刺激に驚いて勝手に体が震えてしまった。
声の主は五十嵐先生だった。
大きくて通る豪快な声を持っている人は限られているから予想通りだった。
そう言えば、吉田のクラスは五十嵐先生が担当だったか。五十嵐先生のこと下の名前で呼んでいるんだな。やっぱり吉田は人懐こいな。
吉田のコミュニケーション能力の高さは純粋にすごいな。

「五十嵐先生、どうしました?」
「ああ、すいません!岬先生に電話がきてまして呼びに来たんですよ!」
「わ、ありがとうございます!すぐ行きます!えっと……」
困ったように俺らのほうをみる岬先生。
「俺もまだ仕事があってな、一ノ瀬と吉田2人になっちまうんだが仲良くやれるか?」
「えーもうおれとイッチは友だちだしー!」
「……大丈夫、です。」
俺らふたりを気にかけてくれたが、それに簡単に返す。
俺と吉田は今回が初対面な訳ではない、賑やかな吉田といるのは楽しいと思ってるし楽しそうな吉田を見る限り俺のことを悪くは思っていないようだ。
特に心配することはない。
「吉田、お前ちゃんとプリントやれよー!一ノ瀬と話すだけじゃ終わんねえからな!」
「うっ……存じております……!」
「ちゃんと終わらせないと居残りだからね?」
「ういっす!!ちゃんとやりまっす!!せっかくなのでイッチといっしょに帰りたいし、りなちゃんをまたせるわけには……!」
「はいはい!じゃあ僕は行くね!ちゃんとプリントやるんだよ。」
「俺も戻るわーじゃあな!」
「えー……。」

吉田が話し終えるのを待たずまるで逃げるかのように先生たちは教室を出ていったが俺はその理由を深く考えず、
「りなちゃん?」
聞きなれない可愛らしい名前が吉田の口から出てきたことへ驚きと意外性からつい『りなちゃん』の名前を復唱してしまう。
それが良くなかったらしい。
俺が復唱したあと、少しの間が合っていつも賑やかでお喋りなのに何故かそのまま無言でガタっと席を立ちあがる音が聞こえたと思えば俺の目の前へやってきた。
何か良くないことを言ってしまっただろうか。少し後悔したが、すぐに吹っ飛んだ。
吉田がこれまでないってぐらいの蔓延の笑みを浮かべて、目を輝かせながら。

「おれのかのじょのはなしききたい?きく?きいて?」

そう聞かれて俺は吉田のその勢いに圧されてつい、こくりと頷いてしまった。
そこからは怒涛だった。
携帯に撮られていた写真も見せられ、未だ会ったの事のない『りなちゃん』こと『佐野利奈子』ちゃんのことをいっぱい知ることが出来たのであった。
正直、会ったことのない見知らぬ女の子の話を聞かされて困惑したけれど。

「でね!そこではにかむように笑ってくれたんだよー!もう、すっごいかわいくて……!」

佐野利奈子ちゃんのことを話している吉田は見ているこっちが分かるぐらいとても幸せそうに笑ってて。
なんだか『良いな』と純粋に思った。
こうして目の前で話している吉田も、写真に写っている吉田もそのりなちゃんも。
頬を赤らめて心底嬉しいと感じて幸せそうにしているふたりの写真も。
本当に、幸せそうだ。
見ているこっちが嬉しくなるほどに。
どうして誰かの話をしているだけなのにそうして幸せそうに出来るのか気になった。

「なんでそんなにその女の子のことを話すと吉田は嬉しそうなんだ?」と。
間髪入れず吉田は答えた。
「それはおれがりなちゃんが好きで、りなちゃんもおれが好きっていうことをだれかに伝えられることがうれしいのですよー!」

……吉田の話は、俺にはむずかしい。
俺の内心をくみ取ったのか好奇心からなのか吉田からも聞かれる。

「イッチはだれかを好きになったことあるの?」
「……それは、あれか。」
「もちのろん!恋愛的な意味で!」

さすがに親愛とか友情ではないのは分かっていたが、やっぱりか。
恋、愛。こい、あい。れんあい……。恋愛とは。

「……ない、かな。」
「そうなの?もったいないなぁー!」

そもそも同年代の女の子と『俺』は話したことが無いというか会ってもない。
小中高一貫の男子校で転校してきた先も男子校だ。
前のときは全寮制だったからなおさら会う機会がない、そう考えれば今は男子校だが山奥ではない分、学校以外では出会いはあるのだろうか。
とは言え、今の俺には特に『彼女』とかそういうのに興味がない。それよりも今は伊藤と……。
「すずたんといたほうがたのしー?」
「……ああ。」
心を読んだかのように考えようとしたことを吉田に言い当てられて少し驚きながらも頷いた。
そうだ、現段階の俺は『恋愛』よりも『友だち』といっしょにいたいと言う奴なんだろう。
この間漫画喫茶行ったときに読んだ少年漫画でも同じようなことを言っていたキャラがいたから、俺もこの状態なんだろう。
そうひとりで納得する。

「ねーねーイッチ~。」
「……ん?」
「恋の形とか愛の形とかってね、案外自由なんだよ~。」
「?」
「だからね、しばられなくていいんだよ!」
「それってどういう……?」

穏やかに笑いながら言ってくれるが……、吉田の言っているその意味が分からなくて聞きかえそうとした。

「ただいま……、あっ!吉田くん!やっぱりプリントやってない!」
「えっすぐるせんせ、はやーい!」
「早くないよ!結構話し込んじゃったよっ!ほら、ちゃんとやり切りなさい!本当に居残りさせるよ!」
「わー!ごめんなさーい!」

戻ってきた岬先生に突かれて慌てて席に着きプリントに取り掛かり始める吉田。

「一ノ瀬くんも、確かに吉田くんの話が楽しいのは分かるけれど……。」
「……すいません。」

ついつい話してしまって時間を忘れてしまった。
注意をするどころじゃなかったことを反省しながら自分ももうすぐ終わるプリントの仕上げに入る。
……岬先生が来てなあなあになってしまったが、これは俺の勘だけどたぶん俺が聞いても教えてくれなかったと思う。
案外自由で縛られなくていい、か。
俺にもいつか出来るのだろうか。
吉田のように『誰か』と好き合ってその『誰か』といっしょにいて嬉しくなって、そのことを話しているときには自然と笑顔が出るぐらい幸せな気持ちになってしまうほどの『恋愛』を。

あのあとなんとか吉田は時間内でプリントを終わらせた。
「……はい、じゃあ今日はここまで。」
「ありがとうございましたー!!」
「……ありがとうございます。」
「次は来週の水曜日だから、忘れないようにね。」
「はーい!すぐるせんせーまたねー!」
手を振る吉田のとなりで軽く会釈をする俺を平等に穏やかに岬先生は笑って「またね、今日来てくれてありがとうね。」とパタパタと手を振られ見送られ教室を出た。
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