2章 後編


「自分1人が、不幸なんてもう思わない。」

強く意志を持った瞳で力強く笑ってそう言う透。
そこにいるのは……初めて出会ったあのときと同じぐらい優しくも力強く笑ってくれた透と同じものだった。
キラキラ、キラキラ。
透の周りの世界全てが輝いているように見える。昔も、今も。
もう、儚く消えてしまいそうな透じゃなくて俺にとってなじみのある透にすっかりなった。
ほらな。言っただろ。透は『透』だって。
今の透を知れば知るほど前と変わりなんて無いに等しいんだ。
これから辛いことがあっても、なんでも逃げずに受け止めようとする透は、もしかしたら前よりも強いかもしれないなと思うほどだ。
……こうして見た目だけでは薄幸の美形である透の中身はそこら辺の男よりも断然男らしい。昔から変わらず、今は昔よりももっと男らしくなったかも、と思うほどなのに。だからこそ心に引っ掛かりをおぼえる。
記憶を失った直後何があったのか把握していないのに責められて罵られていたら、よっぽどの自信家でも自信喪失してしまうのは、分かる。

何故。透は記憶を失ったのか分からない。

確かに両親を目の前で亡くなったのを直視してしまえば自分を守るために記憶喪失になってしまう、かもしれないとは思う。
けれど……あんなに大事にしていた両親のことや(自惚れに聞こえるかもしれないが……)親友の俺とのことも忘れてしまえるのか、と疑問を覚える。
ショックなのは分かる。俺には大事に想えるような家族はいないから、透の立場につくのは難しいけれど、それでもあんなに優しいひとたちを失ってしまうのは相当ショックだろう。自分自身が理由となれば、なおさら普通記憶喪失になっても無理はないとおもう。
……だが、透がそれだけで記憶喪失になるとは思えないんだ。ずっと引っかかってた。
透は信号無視するはずないし、もしもその直接的な原因が透だったのが本当だったとしても、それでも透は忘れないと思う。
両親のことを好きな透が、自身の行いによって起こってしまった事故を忘れずに、その罪を背負いながら両親に感謝と反省を繰り返しながらもその記憶を引き摺って生きていくタイプだと思っていたからだ。
どうしても事故の原因と透の記憶喪失の理由への違和感が拭えない。

「……あと、梶井のことなんだが。」

少し間があいて言いにくそうに小さな声で透が話し始めたので、自分の思考は一旦分散して透の話を聞く。
なんとなくデジャヴ。
さっき俺が透に言い出すべきか悩んだのと似ている気がする。
小室に対して同情はしていると言ったのと同じ。

「俺には、梶井がただの加害者には思えないんだ。」
「……なんでだ?」

何となくの予想は当たった。一ノ瀬の言うことは予想外……とは思わなかった。衝撃は無い、だが敢えて理由だけを透に求めた。
責めるでも怒るでもなくただ問うだけの俺の顔をじっと透は見つめる。
俺の表情に特に怒っているものではないことに安堵したのかさっきとは逆に透がポツリポツリと言いにくそうに、だけど隠すつもりはないようでやっぱり俺の目を一直線に見ながら答えた。

「……梶井のしていることは、確かに良くないことで。伊藤を停学にさせて鷲尾や小室を唆して、叶野を傷つけて。俺自身梶井には痛いところを突かれた。
小室の過去のことも暴露するメールを全員に送ったりして……得体の知れないとも思う。本当に同じ高校生なのか、なんて思ったりもする。」

ギッと自分の二の腕を痛いほど握り込みながら打ち明けられる。客観的に見れている、と思う。
友だちを傷つけられたことを思い出している様子の透は苦しそうな表情を浮かべていて、俺らに対して想うところがない訳ではなくて透にとって俺らは『大事な友人』であることはよくわかった。……正直、少し照れるが今はそれどころではない。

「だけど、だけど……湖越に梶井に拒絶された瞬間の、その表情を見たら……俺は、どうしても、一方的な『加害者』には見えなくて。……分かってる、みんな梶井に傷つけられたんだってことは。
でも……それでも、梶井の話を聞きたい、と思ってしまうんだ。」

そのとき梶井がどんな表情を浮かべていたのか。そもそも湖越は梶井とどんな関係なのか。俺は何も知らねえ。
だが、透が梶井に対してそう思うんだろう、という予想は出来る。
あまり梶井には近寄らせねえほうがいいって言うのは親友からの目線。友だちを傷つける可能性のあるやつに近寄らせたいなんて思わねえだろ。
……でも、きっと梶井と会った透はこう言うかもしれない、とも思ってた。俺は梶井と会ったのは一瞬でほとんど話したことねえけど、あいつの作って張り付けたような笑顔を見てすぐ『こいつも傷を抱え込んでいるヤツだ』と思った。
実際どうだか知らなかったけど、こうして透が梶井が色んな人を傷つけて俺のことを陥れて叶野のことを傷つけている張本人であったと言う事実を知っていてそれは最早謝ったとしても許されざる得ないものということを承知の上で透は梶井のことを一方的な加害者ではないと言ったんだ。
俺がさっき小室に対して同情していると言ったからこそ言えたことなのか元々言うつもりだったのか。いやそんなことどっちでもいいか。

「透がそう思うんなら、そう思っていてもいいんじゃねえのか?」
「いい、んだろうか。」
「その辺はまぁ人それぞれとしか言えねえだろ。あまり大きな声では言わねえほうが良いとは思うけどな?」

自信なさそうに俺に聞くけど、一回そう思っちまったもんはもう簡単には揺らがないだろ。何も知らずにそう思ったのならさすがに口出すけどよ、知った上でそう思ったんだ、他人のどう否定されても納得行くもんかよ。
ただ、梶井のしたことは大きいことだ。透がそう思ってることをあまり周りに言いふらすべきではないことだけは注意する。
透の意見を否定することなく忠告だけする俺に何か言いたげな様子を見せる。

「伊藤は……。」
「俺?」
「……だって、梶井のせいで停学になったんだろ?」

一瞬どのことを言われたのかよくわからなかったが、すぐ合点がいく。
俺自身が梶井のことを恨んでいるのか、と聞きたいんだろうと察した、確かに……そうだな、そう俺が思っててもおかしくはないのか。

「まあそうだな。結果として梶井のせいであの事件が起こったわけだし、透が俺のことを気にするのは無理もねえな。
でも、前も言った通り俺はあまり学校に興味が無かったから周りの反応とかどうでもよかったし、それに仮に梶井があの事件を起こさなかったとしてもどっかで似たようなことを俺はしてたと思うぞ。」
「……え?」

驚いて目を見開く透。
いや、もちろん俺から誰かに吹っ掛けることはねえけど。

「多分あのまま梶井が何もしなかったとしても俺は誰かしらに絡まれて、やり返して、大人数とやり合うことになっていただろうし。」

結局のところは早まったか遅くなったかの差ぐらいの違いで、殴り合いのケンカして大ごとになるのは時間の問題なだけ。
むしろ梶井が自分が首謀者であると言いふらさなければもっと俺への当たりは強くなっていただろうから、俺は梶井に感謝するべきかもしれない。

「俺はあの事件のおかげで停学なっただけで、学校中の奴らからビビられて誰にもケンカ売られることなく平和で、そんな中で透と一緒の高校に通えるようになったんだからよ。
梶井には感謝してもいいぐらいの気持ちだ。」

勿論、叶野たちを傷つけたり鷲尾を唆したりしたのは許せねえけどな。だが、このことと俺の事件のことを絡めて一緒に考えるほどのものではない。叶野たちのことのほうが許されないと思う。
俺は特に傷ついたりせず日常のひとつなだけだったんだから。梶井の犯行だった、なんて言われなかったら気付かなかったレベルだ。

「俺のことは気にすんな。透の思ったことをそのままにしていい。」
「そう、だろうか。」
「叶野たちのことを考えると一直線にそう思うのは難しいかもしれねえけどよ、でもそうやって相手のことを理解しようとするのは透の良いところだと思う。」

実際俺は透のそういうところに、救われたから。

「まだ叶野たちにも言わねえほうが良いかもしれねえな。今は俺と透のないしょってことで。」
「そう、だな。」

叶野たちに言うのはさすがにデリカシーに欠ける。今は俺らだけの秘密にしようと言う俺に頷いたのを見てふと思ったことをそのまま伝えた。

「……理解したい、そう歩み寄ればそのうち上手く和解できる……かもな。」

話を聞く限り梶井は透のことを拒否した。でも今は無理でも、いつかはきっと……分かり合える、そう思いたい。
俺がそう言うと透はじっと俺の顔を見て考えこむ仕草を見せた後、不安そうにしながらもそれでもキラキラとした目で
「そうなるよう、頑張りたい。」
そう前向きに答えた。

「……ああ!俺も協力する。」

梶井にとってこれは迷惑かもしれねえけど。でも、知ったこっちゃねえ。
透がそう頑張りたいって言うのなら俺は応援して協力するだけだ。
心から透の努力に協力したい、そう思っていった俺に
「ありがとう。」
透はただ嬉しそうに笑った。
透は、いつかは記憶喪失についての言い訳が出来ないと言ったが、今俺は透に笑ってくれるのがただ嬉しかったから、後のことはあまり考えないようにすることにした。
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