2章 後編

「完全、とまでは行かねえけど、一応今まで通りになるのか?」
「……前より、本音で話せている気がするな。」
「じゃあ前より仲良くなったってことだな。」

カタン、カタン
規則正しく電車がゆられる音を聞きながら伊藤と話す。
湖越は逆方面だったので改札口に入ってすぐ軽く手を振ってそのまま別れた。こちらを振り返ることなく反対のホームへ向かう後姿はとなりに叶野がいないせいか寂し気に見えた。
……湖越が、梶井を拒絶したのを俺は見た。
梶井の俺に向ける視線は善意とは程遠く嫌悪されていたが、湖越に対しては違ってて。
下の名前で呼ぶほど親しそうで、湖越を見るその目は優しかった。
梶井がしたことを思えば湖越の態度は普通とも言える。……のだが、どうしても湖越に拒絶されたときの梶井が浮かべた表情が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
ショックを受けたかのような表情とその後に見せた全てをあきらめた悲しい顔。
幾度もフラッシュバックしながら伊藤と話した。

「……悪い方向には行っていない、と思いたいな。」

湖越はともかく、叶野と鷲尾はきっと良い方向に向かっていると確信している。
さっきの二人の会話を聞いてもう大丈夫、と思えた。だから俺は特に引き止めるでもなく安否を聞くこともしなかった。わざわざしなくてもいい、そう判断した。
叶野と鷲尾はもう心配無用だ。これからもきっと仲良くやっていけるだろう。
だが、湖越は……梶井は、どうだろうか。
こう言うと薄情かもしれない、伊藤だって梶井のせいで停学になって今回だってほとんど梶井が引き起こした自体と言っても過言でもないんだろう。
伊藤と梶井のことはすでに俺がここに来る前の出来事……過去のことであり、現段階梶井は伊藤に絡みに行ったのを目にしていないせいだからだろうか。
小室のときのように梶井を憎み切れず引っ掛かりを覚えてしまうのは、なぜだろうか。

「そういや……小室、来なかったな。」
「……あんなことがあったから、だろうか。だけど、ほとんどはあいつの自業自得だと思う。」

ふと出された小室の話題。
先生に連れられて、今日まで顔を見ずテストが終わってしまった。
俺らのことも多少気まずいところではあるだろうが、それよりも己のした過去のことをクラス……いいや学校中の生徒に教師にバラされてしまったのだから。
小室のしたいじめをつぶさに書かれていて目を通したが……酷い内容だった。
あまり思い出したいものでは無いものだ。こんなひどいことを小室は楽しんでやっていた、自殺を行うほど追い詰めてそれでもなお今でもいじめようとしていたのだ、心底軽蔑する
小室のやってきたことは許されるべきではない、同情の余地はない。俺はそう思っている。
だが、伊藤の感じるものは俺とは少し違うようだ。言い切る俺になんだか言い出しにくそうにしている。

「えっと」
「うん。」
「怒らずに聞いてほしいんだがな。」
「ああ。」

「……少し、だぞ。ほんの少しだけだが、俺は……小室に同情してる。」
「……え。」

意を決したようにそう告げる伊藤に俺は驚きを隠せず、目いっぱいに見開く。
人と人同士、感じるものは違うと言うことは分かっているが、それでも伊藤の感じていたものは理解できるとは言い難かった。
俺の思っていることは伊藤に通じてしまったようでひとつ溜息を吐いた。

「いや、もちろんあいつのしたことを思えば自業自得だと思う。
悪口は言うは言われたくないことをばらすは、弱い者とか自分と対等な奴には噛みついておいて、自分がビビってるヤツには弱くなって、自分以外のことを何も思いやれないし自分のしでかしたことを責任をとろうともしねえで開き直りやがる。
その上過去自殺しようと発想するまでに行くほど陰湿に粘着質にいじめていたのを知っちまったから、まあとんでもねえ屑の最底辺のやつだとは誰もが思ってるだろうし俺も思ってる。」
「……そう、か。」

庇い始める、とかそう言うのではないらしくて少し安堵する。
小室のしたことは最低のこと。それは共通の認識だった。それなら

「何処に、同情してるんだ?」

疑問をシンプルに質問する。
決して小室に同調している訳ではなく、むしろ批判的で庇おうとしている訳でもなさそうだ。だからこそ疑問になる。どうすれば、同情するのか。

「……」
「言ってほしい。」

言い淀む伊藤に俺は目を合わせてそう言った。
怒ったりしない、とか言いたくなったけれど確定できないことは言わないことにした。
無理強いはするつもりはないけれど、伊藤が俺に言ったということは俺に知っていてほしいと言うことだと思うから、怒ったりしないとは言えないけれど伊藤に見切りを付けたりなんてしない。きっと、伊藤にはちゃんと理由があるから。
しばらく見つめ合っていると、俺らの最寄り駅が着くことを告げるアナウンスが流れてお互いハッとする。
周りのことを何も考えずに話していたから周りが気になったが、テストが終わった上昼食も食べた後で中途半端な時間と言うことがあり乗っている人は少なく、こちらを見たりするような人もいなくて少し安心する。
……自意識過剰、という言葉がふと思いついて恥ずかしくなった。



「……透がいなかったときだったんだけどな。」

電車を降りて改札をくぐりしばらく無言で歩いていると伊藤にボソッと小声で話しかけられる。
あまり催促するのも、と考えてあえて何も言わなかったがそれが功を奏したのか分からないが話してくれる気になったみたいだ。
相槌は打たず、目だけで続きを促す。
あの日俺がいなかったとき……俺が湖越を追いかけていたときだ。

「小室のしでかしたことが書かれたメールが送られたとき。それを見た瞬間こいつ本当に屑だな、と思ってたしその寸前まで口論になってカッとなっていたから心底嫌悪してた。
今でもその嫌悪はあるし、当時小室にいじめられていたヤツのほうが今の小室の何倍も何十倍も苦しんでいるとも思ってるし完全にあいつの自業自得で、許されないことだとおもう。
……でも、な。」

何を言い合っていたのか気になるところではあるが、伊藤が怒るぐらいであり湖越を追いかける前のやり取りのことを考えるときっととんでもないことを言っていたのだろうと予想はついた。
小室から受けていたいじめの被害者のことを考えつつも、それでも伊藤は言葉を出した。

「クラスメイトの誰もがひとりも、小室の味方になろうとしなかった。
小室が力なく床に項垂れているのを見ても、そのあと先生に連れられるのを見ても、誰も小室のことを庇う……いや、気にかけることもしなかった。あんだけ小室と一緒にいた奴らも今では蔑んだ目で見てるしな。
誰も本当の意味で『友だち』じゃなかったんだな……。
小室のしたことは最低だと思う反面、こう思ったりもする。
俺も、透と会わなきゃ同じだったかもしれねえってな。」
「同じ、じゃない。」
「……とおる?」

自嘲気味にそう呟いて笑う伊藤に即座に否定する。
俺は、その場にいなかったけど。
湖越を追いかけていたから突然暴露された小室の様子や先生に連れられた様子も……今の俺ではない『透』のときに起こった伊藤とのことも、俺はいなかったけれど。
だけど、ちがう。伊藤は小室と違う。

「伊藤は、優しいひとだ。俺じゃない『透』と会わなくても、きっと、優しい。
俺は今の伊藤しか知らない。俺じゃないとき俺と会っていたときも、俺がいないときのことも知らないけれど、でも。
叶野や湖越は伊藤に気にかけていたんだろ。岬先生や五十嵐先生だって伊藤のことを庇った。
それに、聞いた。岬先生が他の学校の生徒に絡まれていたのを助けたり枯れそうな花に水をやっていたこととか。」
「なっ……」

自分のことを否定しようとする伊藤に俺は岬先生から聞いていたあれこれを伊藤にぶちまける。
カッと顔を真っ赤にする伊藤にさらに言い募る。

「俺のこと、受け入れてくれただろ。」

伊藤の知る俺じゃない俺を。
何も言わず責めずに、ただ「帰って来てくれてありがとう」と「おかえり」といってくれた。

「まぁ、いなかったとき色々あって……。」
「俺に寄り添ってくれるなんて、普通出来ないと思う。」
「そりゃ透が何の事情もなく忘れるわけねえってわかってるしな。」
「分かってくれるのが、嬉しいんだ。」

俺を責める権利は伊藤にあるのに、それをせずただ俺のことを分かってくれる。
誰かに言われたことかもしれない。けれど土壇場になればその人の本質が出るものだ。
伊藤は、きっと穏やかで優しいんだろう。

「俺は……伊藤の過去を知らない。俺と会う前の伊藤のことを。
だけど伊藤は小室とは違う。
万が一、伊藤が過ちを犯していてそれを暴露されたとしても、俺は伊藤を怒りながらもとなりにいる。」

だって。
俺は伊藤を好きだから。

一番の友だちとして。

「伊藤も、色々とあったから思うところはあるだろう。小室に同情してしまうほどのこともあったんだろう。
その辺は俺は理解できないけど……そう感じる伊藤を否定するつもりはない。
ただ、分かってほしい。
伊藤と小室はまったく違う。きっと俺と会わなかったとしても、伊藤の本質は変わらず穏やかで優しい。
小室とは決定的に違うんだ。それだけは、分かってほしい。」

徹底的に相手を痛めつけようとする小室と、手を出したり相手を蔑むようなことを言わない伊藤は全く別物だ。
俺は、小室が連れられるところも見ていないから特に同情したりは出来ないけれど。確かに誰一人として彼を気にかけもしないクラスメイトに当然だろうなという気持ちと誰も友だちじゃなかったのかと唖然とした気持ちになったが。
小室の場合は己から出た錆だ。でも、気にかけたりするのは罪ではないだろう。全く擁護は出来ないが伊藤がそう感じていることは、否定したくない。同じかもしれない、という言葉だけは否定するけどな。

「……透が親友で、良かった。」

伊藤のホッと笑う顔を見て嬉しくなる。
伊藤の感じるもの、俺の感じるもの、それが違っていてもこうして分かり合えるのはうまくいえないが、良いと思う。
……伊藤がそう言ってくれたから、俺もちゃんと言える覚悟で出来た。
やっぱり、俺は梶井の言う通り伊藤に甘えている。
あの言葉はやっぱり引っかかって仕方が無い。
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