2章 後編


「打ち上げなり~!テストお疲れ様でしたっ!!」
「お疲れ様」

テストが終わって叶野の誘いでラーメン屋にやってきた。
勿論、俺だけじゃなくて
「お疲れさん。」
「やっと終わったな……今回のテスト期間は特に長く感じたわ。」
「……悪かったな。」
伊藤たちも一緒だ。
またこうしてこのメンバーで行けると思わなかったとまでは言わないが、難しいのだろうかと不安になっていたから嬉しい。

「それにしても……まぁまた、伊藤くんとんでもないもの頼んでるね……。」
「『泣く子もついに無表情!激辛ラーメン』……刺激臭のせいか肌がいてえんだけど。」
「うめえのに。湖越、ちょっと食ってみろよ。」
「俺かよ!なんでだよ、一ノ瀬と仲良いんだろ?そっちに一口やってやれよ。」
「透は辛いの苦手だから。」
「一ノ瀬くん辛いの苦手なんだ~。」
「伊藤は自分が異常であることを認めろ。」

……前よりも距離が近くなったと思うのは気のせいじゃないと思う。
とりあえず、俺は伊藤のことすべてを肯定したいと思っていても否定したいと思ったことはないが、いかんせんこの辛いものが好きで平然としているところは理解できないと思う。
こればかりは鷲尾の意見に同意してこっそり頷いた。

「……そう言えば、最近あまり時間に追われていないな。」

前々から気になっていたことを今ふとまた思い出したので、思い切って聞いてみることにした。
なにを聞いているのか、と疑問を浮かべている表情の鷲尾に具体的に聞いてみる。

「少し前の鷲尾だったらいつも時間に追われていただろう?塾や家庭教師の時間に。
最近は少し余裕があるように見えるから。」
「……」

鷲尾は少し驚いたようでわずかに目を見開いて俺を見る。
……騒がしい店内の中、いつまでも反応もなく静かに俺を見ている鷲尾に、何かまずいこと聞いてしまっただろうかと焦った。
もしかしたら『余裕に見える』の言葉が『暇に見える』と捉えられていないか心配になった。

「……鷲尾が努力してるのは俺もわかってるつもりだ。怠けているようにも手を抜いているようにも見えない。
だが、前は切羽詰まっているように見えたのが、今はゆとりがあると言うか……。」
「……そんな焦らなくとも、一ノ瀬が人のことを軽んじるようなことをすような奴ではないと言うことは僕にもわかっているさ。
だから、伊藤。睨むのは辞めてもらおう。」

焦りが通じてしまったようで呆れながら俺をなだめるとともに突然鷲尾の口から伊藤の名前が出て、振り返る。
俺と目が合った伊藤は、気まずそうにしている。

「睨んでたのか?」
「いや……それなりの付き合いをしておいて、そう言う勘違いするのかって、つい思っちまって。」
「もう少し僕のことも信頼してもいいんじゃないか?」
「……ああ、そうだな。善処する。」

鷲尾の突っ込みが刺さったようでばつの悪い顔をしている。
鷲尾は厳しく非難するような眼で伊藤をじーっと見ていて、伊藤をどうフォローすべきか考えていると
「ははっ。」
ふわっと厳しい表情を和らげた。一瞬聞き間違いかと思うほどの穏やかに思わず出てしまった笑い声と、見間違いかと思うほど穏やかな笑顔だった。

「いや、伊藤。お前慌てすぎだろう。」
「うっせーよ!てめえに罪悪感をおぼえたのが恥ずかしいわ!」
「そう言うのを覚えるぐらいには、自覚あるのか、お前。」
「あー本当うぜえ!」

苛立っている伊藤とそれをからかっているような鷲尾の会話を聞きながらラーメンを啜る。
俺にはしないであろう態度をとる伊藤を新鮮な気持ちで見やったあと、また鷲尾に視線だけを向ける。
……いつも眉間に皺を寄せて、真面目で堅い雰囲気で近寄りがたいところがあった。休み時間も勉強してて、放課後も時間に追われるように終わったと同時に下校して。
誰かと進んで関わろうとしなかった鷲尾。
それがこんなに穏やかに笑えている。眉間に皺がまったくなくて眉を下げて、口角を上げて歯を見せて……きっと年相応に笑っている。

「鷲尾ってあんな風に笑えるんだな。」
「……あっう、うんっ、そうだね……。」

湖越が叶野にそう感心して話しかけて、叶野は遅れながら反応する。
彼が胸に手を当てて首を傾げていたのに気が付かず、ラーメンをまた啜った。

「余裕……ゆとりがあるように見えるのなら、焦るのを辞めたからだろうか。」

伊藤を一通りからかい済んだのか、不貞腐れつつあるのを見てやりすぎたと感じたのかは分からないけれど俺の質問の答えを話し始めてくれた。
語るように話す鷲尾の表情は、さっきみたいに笑みを浮かべている訳ではないが静かで穏やかだった。

「一ノ瀬たちを見ていたら……そんな焦らなくてもいいのではないかってそう思えた。何故かは分からないが……。
もう少し、一ノ瀬たちといっしょにいる時間を増やしたいと思えたんだ。きっと、それが僕にとって『楽しい』と言うことで……ああ、上手く言葉が出ないな。
もちろん勉強できるに越したことはないしやっぱり大事だ、その考えは変わらないが……、塾や家庭教師を減らしたいと思えてしまうほどこういう時間が好きなんだと思う。」

鷲尾にしては、随分ふわっとした感じの内容の話だった。
だけど……俺にはなんとなく鷲尾の言っていることが分かった気がする。
鷲尾と事情は違うけれど、前のところにいたときの俺はすることが勉強しかなかったから、それをしてた。それは鷲尾のように大事だからとかそう言うのではなくて、俺には勉強することはただの義務だった。
授業が終わって寮に戻っても時折祖父の家に行ったときも、食事や風呂に入ったり眠るとき以外はずっと勉強してた。特別苦しい訳ではなかったが、楽しくもなかった。
それしか知らないのだから別に苦痛とは思わなかった。
でも伊藤と会って、叶野たちと知り合うようになってから『楽しい』と言うことを知ってしまった。
俺のことを『一ノ瀬透』と見てくれて、対等にクラスメイトとして接してくる嬉しさや、触れ合いお互いを知っていく楽しさを知ってしまった。
もちろん、この間みたいに人と人の意見の相違でぶつかり合って傷つけてあってしまう苦しさや悲しさもあるけれど、それでも、誰かと笑い合えて嬉しくて一緒に遊ぶのが楽しいって知ってしまうともう知らなかったころには戻れないし、戻りたくない。

「……それで良いと思う。自分のしたいことをするのが一番だ、俺もそうだから。」
「一ノ瀬が肯定してくれるのなら、自分に自信を持つことができるな。」
「一ノ瀬くんの言葉って重みがあって説得力があるよねー。」

そうだろうか。
特に何も考えず意見を言っているだけで自分にはよくわからないが、伊藤も同意しているし否定するべきことではないか、と思い直してラーメンの汁を飲み干した。

「……一ノ瀬のその生クリームラーメンには誰も突っ込まないのな。」

湖越のその呟きは騒がしい店内で黙殺された。
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