2章 後編


ノープランだ。
勘半分と……あの日、のぶ……いいや、梶井と再会したときと同じ場所にいるんじゃないかって。そう思ってただ闇雲に階段を上るのぼる。
自ら彼にしてしまったことを棚上げして、希望を傷つけたことに怒りを燃やしどう責めるかだけを考える。
どうして、こんなことをしたのかなんて理由もあえて考えようともせず、自分勝手にただ親友を傷つけられたと言う事実だけで梶井を責めようと思っている。それがどれだけ愚かなことで、梶井がどう反論するかも考えず、ただ人を傷つけたことを免罪符とした。

「はっ……はあ……」

勢いに身を任せて階段を駆け上がり、上り切って立ち止まって息を整えた。他の学校はどうなのか知らないが、1年生のクラスが一番上の階だったことは幸いだった。
誰に言われたでもなくただ何となくで屋上にやってきたが、梶井がいる確証はない。むしろいない可能性の方が高いのかもしれない。だけどいる可能性もある。
万が一、いるときを考えて呼吸を整えた。呼吸が正常になってすぐ屋上の重い扉を開けた。

『立ち入り禁止』と赤い文字で書かれているにも関わらず、錆ついて普通の扉よりも重たくなっているけれど、それでもただ押しただけで開いた。

その地点で、自分の想像していた梶井がいない可能性といる可能性が反転する。
それでも……いないことを願った。梶井が、信人が。だって、彼がいたのならば俺は。

『のぶと』と『梶井信人』が同じ人物なんて思いたくないと逃げていた現実と向き合わないといけないのだから。


俺のそんな気持ちとは裏腹に。

「あははは、やーっぱり誠一郎くんだぁ。」

扉の開いた音が聞こえて、フェンス越しにどこか遠くを見ていたそこにいた人物が俺のほうを7月に入って暑いのに羽織っているクリーム色のカーディガンをひらりと舞わせながら振り返り、俺を見た。
うねりのかかったその茶色い髪も、濃い紫色の垂れ目も、普通より少し肌の色が白いのも、昔のままで。むかしのままなのに。
俺を見つめる瞳と三日月型にしたその口元は、見慣れないものだった。
これに悪意だったり嘲笑だったりが付け足されていたのなら、俺は何も考えずに目の前の彼を責め立てていた。希望を……親友を傷つけた憎らしい奴だと、そう思って。
だけどこれはなんなんだ。
この表情は。
なんで、こんなに愛おしそう俺を見ているんだ。

「叶野くんをいじめたら来てくれるって思ってたよ。」

戸惑う俺を知ってか知らずか彼は弾んだ声でそう話しかけてきた。
彼の声を聞いてハッとする、俺がなにを言いたかったか、キッと目の前の彼を睨んだ。

「っなんで、希望を!!」

希望は関係ないだろ、俺が悪いのだから俺を傷つけろ、そう言おうとしたけれど言葉には出せなくて。

「ああ、やっと僕を見てくれた。」

俺の声が聞こえていないようで、そう嬉しそうに楽しそうに笑いながらそう言うものだから、声が出なくなった。
なんで。俺をそんな愛おしそうに見つめて楽しそうにしているんだ。
どう見たってその瞳と仕草に俺への敵意を感じなかった。おれは。こいつからすれば憎まれていてもおかしくないのに。なんで、そう笑える?

「あは、ごめんごめん。つい嬉しくなっちゃってなにも聞いてなかった。で、なにかな?」
「……なんで、希望のことを暴露した。お前が憎いのは俺だろ?」

ちゃんと話を聞いてくれる気になったみたいで、次は俺も少し落ち着いてもう一度同じことを問いかけた。
するとあっさり答えてくれた。

「だって、そうすれば誠一郎くんは傷つくでしょ?自分が傷つくよりも、一番近くにいた親友がいじめられた方が。自分自身がいじめられるよりも耐え切れないことだよね?
それに……きみにも、僕という人間を刻み付けるには、これが一番手っ取り早かった。それだけのことで僕自身は叶野くんに対して何の感情は無いよ。多少の嫉妬はあるけどね。
そんなことよりも誠一郎くんがどうすれば傷ついてどうやれば効率的かなーって考えてたよ、まぁ鷲尾くんが良い子になっちゃったのが随分早くなっちゃったのは誤算だけど、誤差の範囲内だったよ、小室くんがいたおかげでね。
大体は僕の想像通りに動いてくれたよ。このためだけに行動してきたんだから。
叶野くんがどこまで傷ついたのか、とかはどうでもいいかな。」
「ってめえ!」

希望のことをなにも考えていない梶井の言い分に頭に血が上る。
ただこうして俺を呼び出す目的のためだけに、希望を散々傷つけて、何一つ悪いと思いもしない口調でそう言われた。
あまりのことに目の前の梶井に掴みかかって責め立ててやろう、そうカッとなった頭のままに梶井に近付く。
どうして、俺のほうを振り向いた後微動だにせず両手を俺からなにかを隠すようにしているのか、これからただでは済まされないことをされそうになっているのに未だその笑みを崩さずむしろ深めていくのにも気付かずなにも考えず手を出そうとする。

だから少しも意識を向けていなかった、すでに動くことも想定していなかったところが動いた。
ギィィィ……そんな重たい音が響いた。
目の前の梶井は驚いたように目を見開いて俺の後ろを見ていた。それにつられて俺も首だけ動かして振り返った。


「湖越……いた。大丈夫、か?」

そこにいたのは、一ノ瀬だった。
追いかけてくるとは思っていなかったから驚く。梶井のしたことは学年どころか学校中で知られていることだ。そいつに会おうとしようとした俺を追いかける奴なんていないと思い込んでいた。
一ノ瀬は、転校生であの事件のとき確かにいなかった。だが、伊藤に多少は聞いているだろうに。伊藤も伊藤で一ノ瀬を止めることをしなかったのか。様々なことがぐるぐると頭のなかでまわる。
なんて声をかけるべきか、考えあぐねている俺を置いて。

「……またあんたか。」

背後から聞こえた声は冷めて温度のない声。さっきまで弾んですらいたはずの声が、すっかり冷めていて驚いてまた振り返る。

そこには笑みを浮かべている梶井、じゃなかった。
作っているものでも、心からの笑みでもない、口を一文字に結んでなんだか不貞腐れたような、怒っているような……悲しんでいるような……拗ねているようにも見える表情で。

それは、俺が一番見慣れているもので。
それは『のぶと』と『梶井信人』は同一人物であることを痛感させるものであった。

一ノ瀬によって引き出された表情によって、それを勝手に突き付けられたような気持ちになって、簡単に俺は絶望する。
状況の掴めていない一ノ瀬はただ戸惑っていた。
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