2章 後編


アイコンタクトで通じるようになった透に嬉しく思う。
そのぐらい俺は透のなかで大きな存在になっているのだろうと分かって嬉しく思ってしまう俺はきっととんでもなく浅ましい人間だと思う。
……もしかしたら、梶井と会うことになってしまうかもしれない。そんな可能性を思い浮かべてしまい、今すぐに透を追いかけたい気持ちになったが、

「俺は悪くねえ!!梶井だ、梶井が俺をそそのかしたりしなけりゃ、あいつがこいつのことを教えたりしなきゃ、おれはこんなことしてねえよ!!っだから、おれじゃねえ、俺じゃねえんだよ、そうだよな、なぁ?」

なおも自分の責任をとろうとせず喚きちらす小室を置いて行く気にもならなかった。俺にとって透はとても大切な親友だ。
一番の親友であり、俺の生きる意味と喜びと悲しみを教えてくれた存在。誰よりも大事な人。
それでも、俺のなかで透とは別に叶野も鷲尾も湖越も、大事な存在だと思える。梶井の名前を呼び走り去っていった湖越のことも気になるが、それは透に任せる。
透にここを任せられたしな。……守るだけが、親友じゃねえもんな。俺も透を信じよう。

「ふざけんなよ、てめえ。」
「ひっ、てめ、また人を殴るのかよっ!」

んなことしねえよ。胸倉掴んで立たせてるだけだ。荒々しくなっているのは認めるけどな。
俺は殴りかかられなけりゃ自分から手を出したりしねえ。殴り返さなきゃ殴られ続けるんだからよ。そんな状況にならなきゃ誰かを傷つける気はねえよ。
まあ殴りかかってくるような度胸はこいつにはねえし大丈夫だろ。それよりも。

「てめえはいつになったら言葉で人を殴るのを辞めるんだ?」

いつもいつも、誰かを傷つけようとする言葉しか吐こうとしないこいつはいつになれば辞めようとするのか聞いた。この雰囲気を見る限り1回や2回じゃないだろう。
どういうつもりかしらないが、それは突然殴りつけていると同じじゃないのか。そう思って聞いた。

「は?殴るとかぶっそうなこと言ってんじゃねえよ!俺はただの悪ふざけだ!」
「その悪ふざけで散々傷つけてるじゃねえか。言葉は外見じゃ分かんなくとも、人の心をぶん殴ってるじゃねえか。外見上の怪我よりもよっぽど性質が悪い。」

加害者側はふざけていただけの言葉でも、言われた側はそうは思わねえよ。少し考えればわかるだろうが。

「知らねえよ!そんなんで傷つくほうが弱い証拠だろ!」
「……ふーん。」

言い切る小室の胸倉を解放した。
解放されて勝ったと言わんばかりの円満な笑みを浮かべている。
「そもそも!俺は梶井に言われただけ……。」

「黙れ、てめえはもう話すな。その声、不愉快だ。」

もう、その声を聞くだけで吐き気を催してくる。
自分がどんな表情を浮かべているかわからないが、周りのクラスメイトも叶野も怯えたように身を竦ませているのを視界の端に捉えてしまった。
この場に透がいなくてよかった。
すでに何度かやらかしてるが、今は本当に見られたくなかった。たぶん見られてもきっと透は変わらずに接してくれるけれど、俺個人が見られたくない表情を浮かべているから。

「なっ……」
「てめえに殴る価値もねえよ。触りたくもねえ。金輪際その不愉快にするだけの声、出すなよ。」

じわり。
目の前のこいつの目を見ながら本心を言えば、こいつはどういうことかその目に涙を浮かべ始めた。なんだよ。

「こんなんで傷ついてんのかよ?てめえのほうが糞ザコじゃねえか。自分がしてきたことのほんの一部を返されただけでこのざまじゃねえか。」

ほんの少しだけ本心を言っただけで、今にも泣き出しそうになっているこいつを嗤う。
いつも思う。弱い奴ほど良く吠える、と。こいつも俺を殴ってきた奴らも。

「梶井に教えてもらったから自分は悪くない?馬鹿じゃねえの。その情報を貰ってこうして叶野を傷つけようとしたのはてめえの判断だろ?
叶野のことを勝手に話した梶井も梶井だが、それを話された上でわざわざクラスメイトに聞こえるぐらい馬鹿でかい声でバラされたくないことをバラしたのはてめえの判断だろ。
そのへんを梶井一人のせいにしてんじゃねえよ。自分の行動と言動には自分で責任持てよ。糞ザコにはそれも分かんねえのかよ。」

いつだって言う側は言われる側のことなんて何も考えていない。言われる側にも問題あるとかよく言われたりするが、それは言う側は何も悪くないと庇うに値するほどの理由なんだろうか。
言う側は絶対言われる側のことを『人間以下』としか見ていない。ああ、腹が立つ。
叶野の事情なんてなにも考えず自分が楽しみたいからとこいつは叶野に暴言を吐いた、透にもそれを向けていた。
透だってあまり話さないけれど散々罵られて蔑まれて責められてきた、それを悲しみながらも『平気だ』と自分に言い聞かせてきた透の事情を少しも知らないくせに。裏では自分でも気づかずに感情すら失ってしまうほど苦しんでいるのを知らないくせに。
なにも知らないで知ろうともせず目の前の快楽だけを追いかけようとするこいつにも、記憶がないのを一番戸惑っている本人を差し置いて責め続けていた桐渓も。
俺のことを知ろうとせずにただ容姿だけを見て『俺』を判断した家族も。同級生も先生も大人も。
みんな、みんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな。

『死ねよ。』

「落ち着け。」
嗤いながら呪詛を吐こうとした俺に、待ったをかける声が妙に大きく聞こえた。振り返れば、じっと俺を見ている鷲尾と目が合った。止める声は鷲尾。
「伊藤くんまで、小室のとこまで堕ちちゃだめだよ。」
傷つけられていたのに、俺のことを気遣い宥めるように困ったように笑いながら言うのは叶野。
2人の毒のない視線に自分がなんて言おうとしたのかハッとする。いくら嫌いな奴でも、最低なことを言いそうになった自分に驚く。

「俺はもう平気。だって……こうして怒ってくれる友だちもいるしね。」

怒ってくれてありがとう。そう笑う叶野に罪悪感。さっき言いそうになった言葉は叶野のこともあったが、ほとんど私怨も含まれていたからだ。
おう……それだけ言って俯いた。俺が俯いたのと同時に今度は鷲尾が小室と目を合わせた。

「な、なんだよ。」
「貴様は醜いな。」

冷めた声で言い切った。
小室はあまりにはっきりと言われたものだから逆に上手く言われたことが理解できなかったのか呆然としてる。間抜け面な小室に構わず鷲尾は言葉を重ねる。

「奇遇……いや、きっとわざとなのだろうな。僕もとある人間に一ノ瀬のことを教えられた。誰なのかは言わないがな。
貴様と同じように一ノ瀬のことを晒すようなことをしてしまった。叶野にも失礼極まりないことをしてしまった。確かにきっかけはそいつに教えられたことだ。だが実際に行動に移せてしまったのは誰でもない僕だ。
そこから逃げようとする人間は僕以上にとんでもなく愚かで醜い人間だ。
他人を言い訳にする姿は客観的に見て、とんでもなく醜いこと知れた。そこだけ感謝しておこう。」

とんでもないことを言っているのが聞こえた。
色々飲み込めないが、わざわざ鷲尾が今ある人間にと言っていたが、たぶん小室と同じ人間……梶井に同じように言われたんだろう。
そして小室と同じように自分の思うがままに行動して、色んな人を傷つけた。
結局行動に移せてしまったのは鷲尾も小室も同じだ。
だけど、鷲尾は一回逃げたがちゃんと受け入れた。そして謝る際には梶井の名前も出さなかったし、梶井だけのせいにする発言もしなかった。
鷲尾も小室も結果として同じことをしてしまったけれど、その後の落とし前は全く違う。

「鷲尾くんはちゃんとしてる。俺、今初めて梶井くんが関わってること知ったよ。
小室と比べなくていいんだよ、そんなに自分を下にしなくてもいいよ。」
「……僕はこいつと同じだろ。」
「ちゃんと謝れて誰のせいにもしない地点で同じじゃないよ。自信もってー!」
「そう、だろうか」
「そうだよー!」

あまりに自分を下に位置すると言う鷲尾に叶野はなだめている。少しだけいつも通りのテンションになりつつあるのが分かってホッとする。
……途中から小室だけは呼び捨てにしているところから一線を引いていると感じる。今も小室のことを少しも見ていない。
戸惑っている奴が多いこの狭い教室のなか、穏やかな空気になりつつある叶野と鷲尾。たぶん、前よりも穏やかだ。
まだ2人はちゃんと話し合えていないようだが、この感じだったら大丈夫だろう。

「なんなんだよ、おまえらっ」

さっきまで話の中心にいたのに、誰も視線すら向けることもされなくなった小室が苛立ったようにそう言うが、叶野は何の反応を示さない。鷲尾はチラッと見るだけ、その見るのも哀れなものを見るかのような視線だった。
クラスメイトもさっきの小室の発言に引いたようで冷たいもので小室はたじろぐ。

誰の味方がいなくなって戸惑う様子を見せた小室を見計らったかのように、ヴ―……ヴ―……とバイブレーションとピロンと言う音や色んな曲が流れ始めた。
携帯電話のバイブレーション、着信音だと思う。一つや二つ……いや三つぐらいが同時に鳴るなら、このタイミングで鳴るのも含めて偶然で済ませられるだろう。
だが、

「な、んだよっなんでみんなの携帯が一斉に鳴るんだよっ」

クラスメイトの誰かが不気味そうにそう言う通り、ちゃんと確認は出来ていないがたぶんクラス全員の携帯が鳴っている。……俺の、携帯電話も。

誰かが一斉に同じメールを送信している、そう疑うのは自然の道理だ。だが、クラス全員が全員同じ交友関係を持ってアドレス交換をしている訳ではない。
照らし合わせたわけではないけれど恐る恐る同時にその宛先不明のメールを開いた。

『1年B組の小室達也はいじめの実行犯で中学のとき何人もの同級生をいじめてときとして恐喝して不登校にして最悪自殺にまで追い込ませた』

そこから始まって、長々と話すのも躊躇うほどの陰湿ないじめの詳細がそのメールには書かれていた。
そのメールを見た小室は、力が抜けたようにその場に座り込んだが、誰一人同情せずただただ冷えた目で見るだけだった。

やったことはドン引きするし許せないことをしたんだと憤りを感じながらも……それでも、誰一人小室の味方をしようともしないのが……なんだか虚しい気持ちになった。
こいつがしたことは許されないことだし、許せない。
だが、もしかしたら……透と出会わなかった俺も、こいつと同じだったかもしれないという可能性を否定できない自分がいた。

小室はそのまま授業が始まる鐘が鳴って、やってきた先生に驚かれてとりあえず保健室へと引っ張っていくまでそのまま項垂れたままだった。



「可哀想な、やつ」

心のなかだけで呟いて小室が先生に引きずられて教室を出ていく、その哀れな後姿を見送った。
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