2章 後編


「っは、開き直りかよ?!」
「……好きに言えばいい、だけど全部、小室くんの言っていた通り本当のことだよっ!
俺は、確かにテストを本気でやってなかったし、誠一郎以外の人を信じることもできなかった!いじめられたりしたくないから笑顔を貼り付けてたよ……。
誠一郎以外の誰かといるときはいつだって……怖かった。不快にさせたりしないように、傷つけないように、その場の空気を読んでた。
だけど、全部が全部嘘ではないよ。怖くて仕方が無かったけど、それでも笑い合っていたときは楽しかった。俺はここにいていいんだって嬉しかった。
人気者になりたいわけじゃない、ただ……おれは普通に過ごしたかった。それだけのはなし、なんだよ。
でも、もう……人を信じてないのもやめる。傷ついても、それでも……俺は、誰かを信じたい。テストを本気でやったことで嫌な思いもしたけれど、もう自分に後悔したくないから。
だから、テストもちゃんとやる。もう、自分に嘘吐くの、やめたいから。」

いつも穏やかでクラスの真ん中で穏やかに笑っているのが嘘のような真剣な表情だ。
そんな叶野に圧されているのか驚いたのか小室はあの嫌な笑みを消して慌てているように見える。
いつもとは違う叶野の雰囲気に戸惑っているのは小室だけじゃなくて、クラスメイトもどよどよと聞き取れない声だけれど困惑しているのが分かった。
俺は、ただその光景を見ているしかできなかった。
小室に絡まれている叶野を見て咄嗟に身体が動かせなかった。俺はいつもそうだ、突然のことに弱い。それでも観察することは出来た。
叶野は机に手をついて小室を睨みつけている。これだけ見れば自分の弱いところを晒されているにも関わらず果敢にも小室に立ち向かっている光景。
だけど、見えてしまった。

その手が震えているところを。
睨みつけているその目も今にも泣き出しそうになっているのも。

遠目で見ても叶野を見ていれば分かることを、小室が分からないわけがなかった。
きっと小室も分かってしまった。
叶野がただ『強がって』いることを。それに気が付いた様子のまた小室は笑みを浮かべた。
嫌な笑みだ。俺の携帯電話をとったときよりも数段悪意を込めた笑みだ。加虐することを楽しんでいる、そんな表情。

「本当かよ?また嘘に嘘重ねてるだけじゃねえの?俺が言わなきゃやらなかったんじゃねえの?下がった好感度上げようとその場しのぎの嘘なんじゃね?」
「そんなこと……」
「てめえはもう既に嘘吐きなんだからさぁ!信用なんてねえっつうの!なあ?」

否定しようとする叶野の声はあまりに小さかった。きっと、嘘をついたのは本当のことだから……叶野の弱いところだから、後ろめたかったんだろう。
そんな叶野を追い詰めようと大きな声で周りの奴に同意を求めている。
周りのクラスメイトは小室の言うことに同意はしないものの、否定もしていない。どちらかと言えば叶野に対して非難の眼で見ている人のほうが多そうだった。
事の成り行きを見守るだけしかして出来なかったが、あまりに叶野を糾弾する小室に苛立ちを覚えて何も考えずただ今にも泣き出しそうな雰囲気の叶野を庇おうと立ち上がろうとする。

「……そんな貴様は、叶野を責めれるような人間なのか?」

俺と、同じように思っていたのか伊藤が立ち上がろうとしたと同時に、声がした。
大きくはないけれど、とても通る力強く高圧的に話す声。
叶野を庇うように間に入り込む人間がいた。その声には聞き覚えがありすぎて、姿も見慣れているものだったけれど、まさか彼がこうして誰かを庇う、とは失礼だが驚いた。だけど納得もした。少なくとも俺は納得した。
だって。

「鷲尾、くん?」

いつもマイペースで勉強ばっかりしていて、周りのことを気にせずにいた……そして叶野のことを傷つけたことのある鷲尾がこうして叶野を庇っている。
鷲尾はずっと、叶野を傷つけたことを後悔してた。謝ったけれどちゃんと和解も出来ていなかったようだったから、すごく気にしてた。
だけどそれを知っているのは鷲尾にとって親しい人間ぐらいなものだった。時折叶野に視線を向けていたけれど周りからは気付かれないほどのものだったから、クラスメイトや……小室からしてもさぞ驚いたようで教室がざわめく。

「んだよ!急に出てくんじゃねえよ!!つかなんでてめえが叶野庇ってんだよっ」
「貴様に説明する道理なんてない。それよりも僕の質問に答えろ。」

突然の鷲尾の登場に一番最初にこの状況を把握し、苛立ちを覚えたのは小室。
激高する小室に、鷲尾は表情を変えることなく淡々としている。鷲尾に庇われたことに一番驚いている叶野は未だ目を見開いて固まっていた。それに構わず鷲尾と小室の話は進んでいく。
鷲尾に対して
「当たり前だろ?だって叶野は嘘ついてたんだぜ?責められるべきだろ!それに、テストだって手を抜いてよ。そこはてめえも怒ってただろうが!みんなを騙してたんだぞ、こいつ。最低な人間だろ!最低な奴になにしたっていいだろ?
みーんなお優しいんだからし、俺が悪者になって皆の言いたいことを代弁してやってるんだよ!むしろ感謝してほしいぐれえだ!」

あまりの言い分に怒りさえ覚える。隣から舌打ちが聞こえてきたからきっと伊藤も同じようなことを思っている。
頭に来ている俺とは裏腹に。

「貴様の言い分はそれだけか。」

鷲尾はどこまでも冷静であり抑揚のない声だった。

「な、反論でもあるのかよ、」
「それなりに。まず、嘘をついていたこと、テストを手を抜いていたことそれは当人も認めている。そこは否定するところではない。事実だからな。」

鷲尾の言葉に眉を寄せてぐっと唇を噛んでいる叶野が見えた。傍から見てそのことを後悔しているように見えた。鷲尾の言葉に小室は楽し気に笑う。

「それを責めてなにが悪いんだよ?!」
「だから。貴様は叶野を責めれる価値のある人間なのか、と聞いている。」
「は……?」

聞かれたことが理解できず、小室はぽかりを口を開けた。それを心底哀れむような視線を向けながら鷲尾は話し出す。

「貴様は遅刻ばかりしているし来てもすぐ帰ったり遊びに行ったりして、誰かといっしょにいつだって誰かを馬鹿にしてばかりいる貴様が。
叶野は、確かに嘘を吐いていた。テストも本気でやらずにいた。だが誰一人傷つけないように過ごしていた。
クラスで変わり者とされている僕にも、クラスどころか学校中で珍獣扱いされていた伊藤にも、分け隔てなく接するような、到底僕には出来ない気遣いが出来る人間を、叶野を。
叶野以下どこか僕以下の人間である貴様が、叶野の友だちでもなんでもない人間が、叶野を責めれる価値が本当にあるのか?」
「な……っ!」

鷲尾の飾らない言葉が教室によく響いた。
鷲尾の言葉に心のなかではあるが同意する。叶野は、確かに嘘をついていたのかもしれない。テストも本気でやれなかった。だけど、誰も傷つけようとしていない。悪意はない。小室と違って。
先ほどの叶野の言っていたことが本当なら……小室が言わなければ、きっと叶野のなかで昇華出来た問題だったかもしれない。
もしくは、これから少しずつ自分の中の問題と向き合ってゆっくりと昇華していくべきものだったかもしれない。
……自分でも責め続けていたところをこれから克服しようとして。その寸前でそれをクラスのみんなにバラす、ということをした小室に、叶野を責める価値は

「無い。」
「ねえな。」

導き出した答えをボソッと呟く気持ちでつい言葉に出した。言葉が少し違えど同じ意味を持ったものをとなりの伊藤と綺麗にハモった。
特に驚くことはない。俺らが小室に想う感情は普通のものだからだ。
俺はそう思っている。
だが、周りはそう思っていないらしい。
小さな声で呟いたつもりだったが案外教室に響いて視線はこちらに向く。

「て、てめえらは叶野のしたことに何も思わねえのかよ!?笑顔振りまいておいてその腹の中では誰も信じれねえって思ってたんだぞ?なんだ?てめえらからして叶野なんかどうでもいいってことか?そんぐらいじゃ傷つかないってか?
そうだよなぁ、だっててめえら二人で世界作っちまってるんだし?互いがいればそれでいいんだよなぁ?」
「……次はこっちに来たか。」
「あ?」

一瞬怯んだ様子だったのに、次はこちらを見て笑って醜い言葉を連ねる小室。
誰かを攻撃しないと生きていけないんだろうか。

「……叶野と鷲尾に対してうまく自分の思った通りに行かなかったからって次はこっちのことを攻撃するのか?」
「な、」

呆れてなにも言いたくなくなる。
質問するのか攻撃するのかはっきりしてほしいし、質問するにしても被せていくつもの質問しているから答えにくい。
そもそも……良くもまぁ小室は

「……お前、いい加減にしろよ……。」
「ひっ」

自分が恐れている伊藤に対して大口を叩けるのか。
あまりの物言いに苛立った伊藤が言葉を発しただけで引き攣った声を上げているのだから呆れてものもいえない。
伊藤は苛立った様子を隠すことなく眉を寄せ、じっと小室を見つめている。睨んでいるように見えるが、そう言うわけではないのだろう。
少し眉を寄せているだけだ。苛立ってはいるがそこまで怒っている訳ではなさそう……というか呆れの方が多そうだ。

「叶野にとってそれは本当はやりたくなかったけどやりざる得なかったことだったってこと、分かんねのかよ?頭の悪い俺でも分かるぞ。てめえその脳みそなに詰まってんだよ。」
「……伊藤、少し言い過ぎだ。それにそんな自分を卑下することはない。」

伊藤は勉強とかは苦手でも人のことを良く見ているのを俺は知ってる。だから、自分を下げるような発言は辞めてほしい。俺にとって伊藤は……大事なひと、だから。

「あと……お前らも、別に叶野のすべてを理解して優しくしろとまでは言わないが……もう少しでいいから、叶野にも事情があることを考えてもいいんじゃないか?」

表立って叶野に対して何も言わないけれど明らかに不信の眼で見ていたクラスメイトたちにも呼びかける。確かに嘘を吐くのは悪いことで、テストを本気ですることができなかったのも人によっては不快になると思う。
だけど……何か事情がない限り叶野はそう言うことしないと思うんだ。だって、叶野は……取っ付きにくいであろう俺にも普通に接してくれたから。
その瞳に悪意は無かった、純粋にただひとりの人間として接してくれた。だから俺はきっとこのクラスに馴染めたと思う。
叶野が距離をとるのでもなく特別扱いをするのではなく、近すぎるでもなく、冷たくすることをせず過度に甘いわけでもない『一ノ瀬透』という転校生として見てくれていた。
悪意はなくただただ『友だち』として。見て接してくれた。俺にはそれが嬉しかった。前の学校のときは、独りだったから。勿論伊藤がいてくれたのも大きいけれど、叶野の分け隔てのないさりげない気遣いも俺には嬉しいものだった。
そんな叶野がそう言うことをしないといけない事情があるかもしれない、と思ってもいいのではないのか。
俺がそう言うとクラスメイトは気まずげに目をそらした。後ろめたいってことだから、少しだけ考えを改めてくれたらいいと思う。

「んだよ……こいつはてめえらを疑って信じれなくて友だちって思っていないかもしれねえのに!それでもてめえらはこいつのことを友だちって言えるのかよ!?」

伊藤や俺の発言が心底信じられないように指をさして、伊藤の視線に怯えながらもそう喚き散らす小室。さっきようやく取り戻した冷静はすでに無くなっていて顔が真っ赤で興奮しているのがよくわかる。

「……言えるに決まってる。」

何を当たり前のことを言っているのか。そう思って発言したけれど、どう言うことか驚いた顔をしてみんな俺を見てくる。
俺は言葉を続ける。

「だって、俺が友だちって思っているのだから。俺がそう思えば俺にとって叶野は友だちだ。それを見返りとしてお前も俺を友だちとして見ろ、と求めたりはしない。
友だちって、見返りを求めるものではない……よな?俺がそう友だちと定義してもおかしくないよな?」
「当たり前だろ、自信持て!」
「分かった。」

あまりに見られるものだから段々自信がなくなってきてつい隣の伊藤に助けを求めてしまう。
それに力強く頷いてくれたからホッとする。
多少は前よりは自信を持てるようになったとは言え、まだまだ伊藤に甘えてしまうのは抜け出せていない。

「な……おかしいだろ、それ?!」
「俺がそう定義しているだけだから別に誰に押し付けるつもりはない。その答えは人それぞれって言うのは知ってる。」

どこからが友だちかの線引きの答えは人それぞれで違うと言うのも、友だちという存在をこう定義してもいいと教えてくれたのは、叶野だ。
俺は考えすぎてしまうみたいだから、深く考えなくていい、俺がそう思ったのなら友だちでいいんだって。そう、教えてくれたから。
だから。

「叶野も、難しく考えなくていい。」

すっと小室から視線を外し、叶野を見てそう言った。
叶野は。自分は考えなさすぎだから考えないといけないと言っていたけれど……『俺に考えすぎるな』そう言ってくれたのに、そう言ってくれた当の本人は考えすぎ。
俺に言ってくれたことを今の今まで忘れていたのか叶野は少し首を傾げたけれど、すぐに思い至ったみたいであっと驚いた顔をされた。
(忘れてたのかよ)
すぐに思い出せないほどのものだったみたいだ。きっと叶野も色々あったんだよな。叶野にとってそんな答え忘れてしまうほどのものだったのかもしれない。
でも、俺にとってきっと忘れられないものになった。
その温度差につい笑みを浮かべてしまう。特に悪意とかなんでもない、純粋に俺と叶野の温度差が可笑しかった。

お前のしたいようにしていいんだよ。
自分を出すのは、きっと自分にとって醜いところでもあるかもしれないけれど。
でも、それを受け入れるのも、また友だちだと思うんだよ。
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