2章 後編


「一ノ瀬と勉強しないのか?」
「してるけど、英語は叶野の方が得意そうだからな。透も同意してた。」

勉強が一段落したころ、誠一郎が伊藤くんに聞いたらこんな答えがかえってきた。

「……なんだか、恐れ多いな。」

俺みたいなのよりも断然一ノ瀬くんのほうが頭良いのに。あの神丘学園で1位とれるぐらいの頭脳があるのに……いつだって、堂々としているのに。

「まあ良い点数採ってるぐらいだし、苦手ではないんだろうけどな。国語とか英語は教えにくいって言ってたな。」
「あー……イメージ的に理数系っぽいもんな。」
「教えるのは叶野のほうが上手いってよ。確かに教えるのうめえな。」
「そう、かな。」

こうやって褒められることは久方ぶりで反応に困る。
そのあとこれ苦手、ああ俺もだわ、と伊藤くんと誠一郎がどこが苦手なのか話しているのを聞きながらもつい考えてしまう。

……一ノ瀬くんは、あんなに鷲尾くんに言われてクラスメイトにも噂されても、それでも今回も真面目に真剣に取り込むんだろうか。
そして……その隣で伊藤くんは裏表なく素直に笑い合えるのは、どうしてだろう。

「どうした、何か俺の顔についてるか?」

きょとんとした顔で伊藤くんにそう聞かれてしまう、見すぎたみたいだ。
なんでもないよ、と言おうとして辞めた。
ふといっそ聞いてしまおうかと思った。きっと一ノ瀬くんや鷲尾くん、目の前の伊藤くんに感化されたとおもう。そうじゃなかったら、きっと聞けなかったと思う。俺、意気地なしだから。
でも、きっと無意識のうちに『このままじゃいけない』と思っていたんだと思う。それが大きくなって、表に出てきた。

「2人ともさ……俺が、テストを……本気でやっても、そのまま友だちで、いてくれる?」

声は震えてしまったかもしれない。
こう言うことを聞きたかったわけではなかった。さっき思っていたことを聞こうとしたらこんな言葉が出てしまった。
だけど、一番知りたかった。俺が今一番知りたかった。
前は本気でやって疎まれて、今は本気でやらずにいたことを責められて。どうすればいいのかわからなくなった。
どっちにしても疎まれたり責められるのなら、自分が後悔しないほうがいいんだろう。でも、これが正解なのか分からなかった。
俺は誰かに自分の決断を委ねてしまうほど弱い人間だ。
だから。

「知らねえよ。」

伊藤くんの言葉は良く響いた。真顔だけど怒っている訳ではなく、ただ真っ直ぐ俺と目を合わせた。
となりの誠一郎は目を見開いて伊藤くんを凝視している。驚く誠一郎と反対に、俺は冷静に伊藤くんの言葉を待った。

「どんな答え期待してるか知らねえけど、お前の選択をこっちに任すな。こっちを言い訳にするな。
確かに鷲尾に責められたのはきついことだと思うけど。でもその判断を誰かに任せてその答えた誰かを縛ろうとするな。」
「……そうだね。」

真剣に厳しくも聞こえる伊藤くんの言葉に、笑いながら頷いた。
『本気でやろうとなんだろうと友だちだ』なんて言葉を求めてしまった俺を伊藤くんは叱ってくれた。
その場しのぎで言うのは簡単だけどね。
いつかどっちかを俺は選択して、もしもこうして言ってくれた彼らが離れてしまったとき、俺はきっと彼らを責めてしまうだろうから。

「お前のことはお前で決めろ。俺も自分で『友だち』を決める。だから気にすんな。好きにしろ。」
「……うん。」

見捨てるともとれる発言だけど、違う。
こっちも勝手にするからお前も勝手にしろってことなんだろうな。と頭でわかっていても真っ直ぐすぎる言葉は耳に痛かった。

「少なくとも、テストの結果とか頭が良い悪いだけで友だちを辞めるとかそんなちっちぇこと言わねえし。湖越もそうだろ?」
「当たり前だ。」
「……そっか。」
「お前もそんなもんで友だちじゃないってならないだろ?自分で置き換えてみれば簡単だ。そんなもんだ。俺の思考回路なんて叶野の数倍単純だし。」
「そっか……。」
「頭の良い奴はやっぱり考えすぎるよな。」

力強くて優しい言葉だった。
なんだか、悩まなくても良いかって思えた。
俺も。親しい友だちがテストで散々な結果をとろうとなんだろうとそれを辞めたいなんて言わない。逆もまた同じ。
きっと……テスト結果順位のせいで揺らいでしまった三木くんとの友情は『そんなもの』だったんだろう。
裏切られたのはショックだった、だけど……今俺には「テストの結果なんて」と鼻で笑える人がいる。俺の思い悩んでいた部分がほんの少しだけ、小さなことと思えた。

「ありがとう。伊藤くん。……1つだけ、聞いていい?」
「ん?」
「一ノ瀬くんは、今回もテストを本気でやる?全力でやる?」

あんなに言われてクラスメイトには噂話をされて嫌な思いをしても。
神丘学園で1位をとるほどの頭脳を持っていても、この一般的な公立高校のテストも手を抜くことなく全力でやるのかな。

「見る限り本気でやっているように見えるな。でもそれは本人に聞いた方がいいとおもうぞ。」
「それも、そうだね。」
「透に限って手を抜くなんてないだろうけどな!」

伊藤くんの言うことに納得したけど、打ち消してくるのはなんなのだろうか……ほとんど答えのような気がするような……いや、伊藤くんが嬉しそうだから突っ込まずにいよう。
明日にでも一ノ瀬くんに聞いてみよう。
それだけで……きっと、勇気もらえるから。一ノ瀬くんって、なんだか不思議なひとだよね。

「あと……最近避けちゃって、ごめんね。」
「そう言うときもあるだろ。気にしてねえよ。」
「でも」
「……停学明けたあとは普通に話しかけてくるのに、な。お前の避けるポイントわかんねえよ。
まぁ、珍獣扱いされるなか普通に接してくれたのは正直ありがたがったけどな。」

ちょっとトイレ行ってくる。そう言って教室を出ていった伊藤くんを呆然と見送った。
色々とあったけれど……俺のしていた自己満足は、伊藤くんに記憶されていて無駄ではなかったことが……驚いて、そして、うれしかった。

「大丈夫か、希望。」

いつも。誠一郎はそう聞いてくれる。
なにか俺が不快なことはなかったか、自分自身で言うのが苦手な俺に聞いてくれるのは嬉しい。
その問いにいつも俺は「まあまあ」とか答えるかあいまいに笑って流したりしてた。だいじょうぶって答えてもどこか不安があって本心じゃなかった。

「大丈夫だよ。」

でも、今日はスルっと言えた。
心に引っかかっていたもの、それの原因が分かってもうすぐとれそうだから、もう大丈夫。

少しだけ、俺に勇気がもてた、そんな気がした。
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