2章 後編


その日は「今日はうち泊まってけ」と誠一郎の言われるがまま久しぶりに泊まりに行った。
誠一郎の家族みんな俺のことを快く迎えてくれた。
きっと俺の瞼が腫れていることに気が付いてんだろうけれど、知らないふりをしてご飯を食べさせてもらって誠一郎の弟や妹たちと遊ばせてもらった。
「お父さんには連絡しておくから気にしなくていいからね!明日の学校もサボりな!たまにはバチも当たらないでしょ!ねぇ!?」と豪快に笑って言ってくれた。
お言葉に甘えながらも学校には行こうと思って笑ってそれに頷いたけれど、次の朝誠一郎が俺を布団に出さないように弟たちを使っていたことに驚くことになるのはまだ知らない。

きっと誠一郎がなにか言ってくれたんだろう。

「はーなーしーてーよー……」
「だーめ!にいちゃんがのぞみにいちゃんを布団から出すなって言ってた!」
「はなしたらいっちゃんでしょ?じゃあだめ!」
「えー……」
ピンポーン

次の朝、学校へ行くため起きて布団から出ようとする俺を掴んで離さない弟くんたちと格闘していると、呼び鈴が聞こえてきた。
こんな朝早くからなにか用事でもあるのかな、と首を傾げているとドアが開く音がしてしばらく間が合った後、のしのしと複数人こちらに歩いてくる音が聞こえてくる。
もしかしてこっちに歩いて来てる?父さんかな……、いやでも父さんだけにしては多いような?首を捻っている間に足音はこの部屋の前で止まり、勢いよく引き戸がスパンと音を立て開いたなと思うと

「にいちゃーん!!久しぶり!!」
「わ、勇気!?」
「えーなにしてるの!?混ぜて!」
「いいよー!」
「なんで、ぐえっ!」

ここにはいないはずの勇気が勢いよく俺の上に乗り上げてきて呻き声が漏れ出た。
最後に会ってからそんなに日は空いていないはずだけど、乗られたのは久しぶりで小学校のとき別れて以来のことであのときの感覚でいたから思わぬ衝撃にまた意識が夢の中へ飛びそうになった。

「わーい!久しぶりの兄ちゃんだー!」
「っ、ゴホ……勇気、なんでここに?」
「……希望。」

勇気の無邪気な笑顔に戸惑っていると、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
申し訳なさそうで後悔しているかのような、そんな響きをもった女性の声。俺はこの声の主を良く知っている。やはりここで聞こえるはずはやっぱりないはずのもの。
目を見開いて振り返ると、そこには……静かに俺のことを見ている母さんと気まずそうに右斜め下を見ている父さんがいた。有り得ない組み合わせだ。父さんと母さんと勇気、みんなでいるなんて。
驚きすぎてなにも言えない俺のところへ母さんはそっと歩み寄って、座り込む……かと思いきや崩れ落ちた。

「母さん?」
「っごめんなさい、のぞみ。ごめんなさい、ごめんなさい……!」

蹲りまるで土下座のようにその額を誠一郎の家の床に擦りつけて謝り続けた。

「どうしたの、母さん、」

今までに見たことのない母さんに俺は背中をさすりながら問う。
謝る声の中には嗚咽が混じっていて泣いているのが分かって、また戸惑ってしまう。どうしたの?なにかあったの?
そう聞こうとするけれど、ずっと泣いていていよいよどうすればいいのか分からなかった。

「あらあら、大丈夫かい?奥さんはちょっと休んでいなさいな。お水持ってきたよ!ほら、旦那さんから説明してやんな!」
「あ、はい……。」

誠一郎のお母さんがやってきて、母さんに水を手渡して、ずっと扉の近くにいた父さんの肩を引っ叩いて急かした。

「ほら、叶野家以外のやつらは朝飯食え!」
「えーもうちょっと!」
「いいから行くぞ。来ねえと飯は全部俺が食う。」
「それはだめ!のぞみ兄ちゃんまたお泊りに来てね!」

俺から離れなかった誠一郎の弟たちは誠一郎の声でわらわらと行ってしまった。
俺に引っ付いているのは勇気だけになって、なにがなんだか状況が全く分からない俺にそっと「今日はわがまま言って良い日になったからな。」と耳打ちして誠一郎も出ていった。
わがままを言って、良い日?
どういう意味なのか分からず首を傾げてばかりの俺に
「……ぼくのお兄ちゃんだもん。」と少し拗ねた勇気の声に反応する。誠一郎の弟たちにやきもち妬いたのかとこんな状況でも微笑ましく思う。そっとその頭を撫でると気持ちよさそうにしながらも不貞腐れた顔をした。

「ぼくはこれからはまた一緒に住めるし、またいっしょに寝れるもん!」
「……え?」

本日何度目かの驚きか分からない。
また、いっしょに?
バッと母さんと父さんのほうを振り返る。

「あら、おばちゃん邪魔になっちゃうから出るわね。話し合って落ち着いたら下降りなさいね!朝ご飯あなたたちの分作ったからね!」

空気を察知したみたいで誠一郎のお母さんも出て行って、ドシドシと遠ざかっていく音を聞きながらも父さんの目をじっと見た。
説明を求める俺の視線に居心地の悪そうにしていたがしばらくすると布団から未だ出れず誠一郎から借りた寝間着のまま勇気に抱き着かれたままの俺と目を合わせるように座った。

「希望すまなかった。」

真剣に俺と顔を合わせて静かにそう謝って、さっきの母さんと同じように土下座のように床に額を押し付けているかもしれないと思うぐらい深々と頭を下げられた。

「とうさん?」
「……あの日も、お前を傷つけて。そしてまた傷つけてしまった。希望がどれだけ家族みんなでいることを望んでいたのか分かっていなかった。
無神経ですまなかった。」
「……いいよ、だってふたりにだって事情があったんでしょう。」

むしろ、俺のほうが無神経だった。
2人はすでに承知の上で距離をあけていたのに、俺のわがままで無理矢理その距離を縮めていた。
仕方のないことだよ。
そう言って笑う。
そんな俺をさらに苦しそうな顔をされてしまった。……なにかいけないこと言っちゃったかな?なにが悪かったんだろ……。

「いや、希望は悪くない。希望にそんな顔をさせていたことに気が付かなかった自分が不甲斐なくてな……。」
「……?」
「……それだけじゃないわ、のぞみ……。」

お水を飲んで落ち着いたのか、さっきよりも少し冷静になった母さんも口を開いた。
今にも泣き出しそうな顔をしている。その顔は……出ていったあの日と浮かべていたものとよく似ていた。

「あなた……学校でいじめられているのよね?」
「っ」
「……すまない、昨日の夜誠一郎くんから連絡があってね。あまりこのことを聞かれたくないとは思ったのだが……、話すべきだろうと決めたんだ。」

……それで、か。

「……ごめん。そんなことでわざわざ来てくれたんだね。でも、俺は大丈夫だよ。遅れちゃったけど今から学校に行くよ。」
「希望!」

余計な心配かけてしまったことやわざわざ朝早く来てくれたのが申し訳なくて、今から用意してもHRには間に合わないけど午前中の授業から出れる。そう思って布団から出て用意しようとすると、母さんと父さんに同時に怒鳴られた。
ビクッと体が震えた。
昔はそれなりに勇気と一緒にいたずらしたりして怒られたことはあったけれどこうして怒鳴られたことはなかった。
スッと出てくる手。最近よく殴られる。その拳と母さんの手が被って見えた。反射的に身構えて目を閉じた。
怯えて身構えてしまう俺のことを父さんも母さんも悲しそうに見ていたことを気付かなかった。
衝撃は訪れることは無くて、訪れたものは優しいぬくもりだった。
驚いて目を開けると抱えている勇気ごと俺は母さんに抱きしめられていた。

「……っごめんなさい、あなたにそう言わせてしまって、がまんさせて……気付いてあげられなくて……、
ごめんごめんねっ!のぞみ……っ」
「っかあ、さん。」

泣きながら謝る母の声に、反射的にまた「大丈夫」と言いそうになったけれど、言葉は出て来なかった。どんな言葉でも今発したら泣いてしまいそうだった。すでにじわりと目じりに涙が溜まっているからあぶない。
母さんの抱擁に抱きしめかえすことも抵抗することもできなくて、ただ勇気を抱きしめた。勇気からすればきっと痛いと思うぐらいの力が入ってしまった、それでも勇気はなにも言わずにただ俺に抱きしめられてくれていた。
固まってしまった俺に父さんは問いかける。

「希望は、どうしたいんだい?」
「おれ、は……。」
「希望のことを気づくこともできず傷つけてばかりだが……希望は、大事な家族なんだ。母さんからしても勇気からしても……俺からしても。」
「……」
「今さら、なんて思われてもおかしくない。けれど……せめて、希望の望んでいることを今日は叶えたいんだ。教えて、くれないか?」

……俺の望むこと。
決まっている、だけど言って良いの?
母さんの肩越しに父さんの顔見てそう訴えた。力強く頷いてくれた。だけど……いいのかな。
俺は表立ってわがままを今の今まで言ったことが無い。
クラスメイトも、俺よりも違う誰かが大事だったから俺からなにかしようと自発的に言えずにいた。
なにかを強請るという行為をあまりしてこなかったから、どういうものなのか分からない。どういえば、どう伝えるべきなんだろう?どうしよう……許して、くれるかな。

『今日はわがまま言って良い日になったからな。』

ふとさっき誠一郎に言われた言葉を思い出した。今日は、わがまま言って良い日。
望んでいることを伝えてもいい、そんな日。例えば父さんと母さんが許してくれなくても、誠一郎が許してくれた。
そっか。今日は……わがまま言って良い日。

「っみんなで、いっしょに暮らしたい。」
「ああ。あとはないか?どんどん言ってくれ」
「……もう、いじめられたくない、学校、行きたくないっ!!もうやだよ、くるしい、つらいぃ……っ!」

弟の前とか迷惑になっちゃうとかいろんなことを思い浮かべた。でも、もうそんな意地や気遣いも出来るほどの余裕は俺にはもうなかった。
涙もぼたぼたと零れて鼻水も出てしまって母さん服が汚れてしまうことが気になったけれど、母さんは俺のことを離すことはなかった。
父さんは静かにうなずいてくれた。それにホッと安堵してまた涙があふれたのに。

「おにいちゃん、今日いっしょに寝ようね!」

ずっと俺に静かに抱きしめられていた勇気が心底嬉しそうな顔でそう言うものだから、俺……だけではなく父さんも母さんも涙腺が崩壊してしまい、それにつられて勇気も泣き出して結局下に降りられるようになったのはとっぷり1時間後だった。
みんなして瞼を腫らしながら用意してくれた朝ご飯を食べた。
誠一郎の弟たちはすでに学校に行ったようでいなかったけれど、誠一郎のお母さんと心配して学校に行かず残ってくれた誠一郎がいた。
俺のことを心配してくれていたみたいで、俺たちが泣き腫らした瞼を見てギョッとしていたけれど、すっきりした俺を見て心底安心したようだった。

「勝手に話しちまって悪かったな。」
「ううん、むしろありがとうね。」

連絡したのは誠一郎だった。勝手に話してしまったことを謝られたけれど、俺としては感謝したい。誠一郎が話さなかったらきっと今日俺は羽佐間くんに『きみと付き合う』と答えていたと思う。
地獄の日々が継続されてしまうことにならなかったことに心底感謝してる。

「そうか。まぁ落ち着いたらまた泊まりに来いよ。」
「うん、次は勇気も連れていくよ。」

勇気の同世代の子もいるし、きっと小学校も同じになるだろうから仲良くしてくれたら嬉しい。
今さら一人二人増えたところで変わんねえから好きなときに来いとそう笑って約束して、家に帰った。
家族みんなで、家に帰った。
そんな当たり前のことが、とても久しぶりで……また泣きそうになったのは俺だけの秘密。
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