2章 後編


「でもそろそろ俺だけに向ける笑顔が欲しいなーって思ってさぁ。」
「……なに、いってるの?」
「端的に言えば俺のこと好きになってほしいなってさ。」

……有り得ない。散々人をいじめ尽くしていたくせして、散々苦しめておいて……!今さらになって好きになってほしい?なにいってるんだよ!!
身勝手な言い分にカッとなって怒鳴ろうとした。

「怒鳴ったって誰も叶野の味方しないよ?分かってるでしょ?」
「っ……」

変わらず笑みを浮かべながら残酷なことを突きたてられた。
俺には、この学校に味方なんていない。
冷たいクラスメイトと先生の視線を思い出してしまった。冷めきってこちらに関心なんてないと言わんばかりの視線。早く許せと囃し立てる声。思い出してしまい、怒鳴ろうとしたのを忘れて口元を抑えて俯く。

「うん。悲しいね。可哀想にね、叶野。」
「そう、させたのは……!」
「俺だねぇ。確かに俺の差し金だよ。
でもねぇ今回はさすがに可哀想だと本当に思ってるよ?信じていた友だちに自分の家庭のこと話されちゃったんだもん。あんなに大声で。俺に気に入られよう、それだけの理由でさ。」
「っ」

羽佐間くんは俺の傷をひっかきまわすようなことをまた告げる。
まだ自分でも処理できていない柔いところを突いてくる、その傷の痛みに俺は何も言えなくなる。黙りこくる俺に羽佐間くんが囁く。

「だからさぁ、叶野も俺のこと利用すればいいよ。
俺が一言いえば全員言うこと聞くんだからさ、殴った奴らに土下座しろとでも三木をいじめろとでもなんでも。
俺と付き合ってくれれば叶野はなんだって手に入るんだよ?叶野からしてもメリットしかなくない?」
「……なんで、そんなに俺に執着するの?」

ひたすら付き合うことを勧める羽佐間くんについそんなことを聞いてしまう。
分かっていても、やっぱり信じられなかった。

「さっきから言ってるじゃん?俺叶野のこと好きだからってさ。」

……いっそ『嫌いだから』と言ってくれたらよかったのに。ショックだけど一応いじめる気持ちを理解は出来るから。まさか真逆の感情でいじめてくるなんて、考えられなかった。

「一応言っておくけど断ればもっと叶野は地獄だよ?もっと過激になるかも?」
「……おどしだよね、それ。」
「そんぐらい俺も必死だってことだよ。」

駄目押しとばかりに断った場合のデメリットを告げておくことで俺の逃げ道を塞がれる。
必死、とは言うけれど声のトーンも表情も変わらずにいるのを見ると余裕にしか見えないけれど。
確かに、付き合うメリットがあって付き合わないデメリットがあるのなら、付き合うと選択するのがきっと賢いと思う。付き合えば、俺はいじめられることなく平穏に学校生活を過ごせる。

……でも……好きでもない、憎しみさえ感じている相手と、付き合うことになったとき。俺はどうなるのか想像もできなかった。

「まぁ、さすがに叶野にも考える時間が必要だと思うし明日まで待ってあげるよ。
……でも断ったらどうなるか、考えておいてね。賢い叶野ならきっと正しい選択が出来ると思うよ。」

優しい笑顔で『待ってあげる』と言った直後『断ったら』といった直後、真顔で俺を見つめてきたのが恐ろしかった。

「じゃあ、また明日ね。」

青ざめた俺を抱きしめてすぐに離れて笑顔で手を振って教室を出ていく羽佐間くんの背中を見送った。
視界からいなくなったのを確認して、その場にへたり込んだ。足が震えて力が入らなくなった。



足に力が入るようになって漸く帰路に着く。踏切の音さえ聞こえないほど集中して考える。
何度も何度もフラッシュバックしてはどうするか考えに考えた。
付き合わない、という選択肢はあってないようなものだ。好きでもない人と付き合うなんて、とは思う。
だけど、今でさえ辛い学校生活をさらに劣悪な環境にしたいなんて思えないから。断れば『好き』に『憎しみ』が合わさってどんな目にあわされるか分からない。
それなら俺が自分のことを好きじゃないのを承知の上でそれでも付き合うことを選択すれば、俺が望めば復讐だって出来る。一番憤りを感じている羽佐間くんに何も出来ないことを除けば俺は平穏に過ごせる。
だけど……、
(……その立場も、羽佐間くんに飽きられたら終わりだろう。)
彼は俺が他の人とは違う、彼に対しても『普通』に接することが気に入っただけなのだ。
きっと俺が他の人と同じように彼に対して媚びを売るようなことをすれば飽きてしまうかもしれない。
好きではない彼と付き合うのも、その好きではないはずの彼の機嫌を損ねないような言動と行動をする努力をしないといけなくなるこれからの生活を想像するだけで気が狂いそうになる。

八方ふさがり、だ。
付き合わないと選択しても、付き合うと選択しても、どちらにしても苦しくなるのが目に見えている。どちらが正しい選択なのか分からない。
そもそも、もう俺の家庭環境はクラスのみんな知っている。友だちだと思っていた三木くんは、羽佐間くんをとった。
たとえ彼と付き合っても、俺にとって最早学校はクラスメイトは先生は、恐怖でしかない。心の平穏や安寧はあの学校にいる限り訪れることはない。

(……どうすれば、いいんだろう)

俺は。
ただ、自分なりに本気で勉強して、自分の納得のいく結果を出して。
普通に友だちと笑って遊んで、普通に両親と弟で暮らしたいだけなのに。それだけ、なのに。
今の俺は……何も叶えていない。自分の望んだことすべてが、踏みつぶされている。もうやだ、なんでおればっかり。おればっかりがまんしなきゃいけなんだ。もういやだ、もうやだ。つらい悲しいくるしい。
もう、つかれたよ。

そう心から思った瞬間、ぷつりと糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちて蹲った。

周りから見れば突然蹲ってしまった俺を見て体調を崩したかのように見えたと思う、心配して声をかけてくれる声が聞こえたけれど、俺の耳にはどこか遠くに聞こえた。

悩むのに疲れた、いじめに耐えるのも疲れた、なんでもない顔するのも疲れた。
すべてがいやだ。つかれた。つらい。かなしい、もうやだ。
涙が零れた。
涙を流してしまう自分が情けなくて悔しくて。

でもそれ以上に。

(だれか、たすけて)

そう強く願った。


「希望、希望だよな!?おい、大丈夫か?!」

そう強く願ったとほぼ同時に俺の肩を力強く掴んで大きいけど心配そうな声が俺の名前を呼んだ。
一瞬誰の声か分からなくて、ビクリと身体が震えた。
だけど、恐る恐る顔を上げればそこにいたのは、心底心配そうに眉を寄せているその顔は

「せいいち、ろう?」

そこにいたのは、その顔は間違いなく、俺の親友。しゃがんで俺のことを窺っている。
……前も。木下くんに晒されたときも心配そうな顔をしてくれた、なぁ。俺のことを庇ってくれたことをふと思い出して懐かしく思うと同時に泣きたくなった。

「ああ、俺だ。大丈夫か?気持ち悪くなったのか?立てるか?」

うん。大丈夫だよ。
いつもならそう笑って言えるのに。
少しぐらい具合が悪くても何かあっても、何でもない顔をすることも出来るのに。取り繕って「なんでもないよ」と言って立ち上がって一緒に帰ることもできたのに。
今は。いまは。

いまだけは、もうむりだ。

「のぞみ?」
「……せいいちろう」

俯いたまま目の前の誠一郎の腕を掴んた。突然動いた俺に戸惑うように俺を呼ぶけれど、それに応えず俺から誠一郎の名前を呼んだ。
掠れて小さくなった声、でもきっと誠一郎にはきっと聞こえてる。俺のことを助けてくれた誠一郎なら、きっと大丈夫。
自分に言い聞かせて前よりももっと逞しくなったその腕に縋るように力いっぱい握りしめて

「たすけて。」

泣きながらそう言えた。
ようやく、信頼できる相手に助けを求めることができた。
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