2章 後編


「……。」

最寄り駅から自宅に帰る際には踏切を渡らないと帰れない。今日は引っかかってしまい、仕方なく電車が通り過ぎるのを待った。
踏切の音がすぐ近くで鳴っているのが分かる。だけど妙に俺の耳には遠く聞こえた。感覚が鈍っているのかもしれない。
何の感情もなく電車が通り過ぎるのをただ待った。
先ほどの出来事を、切り替えたくても切り替えることのできないことを、頭の中でもう何度目かになるか分からないけれど、フラッシュバックかのように何度も勝手に頭の中で再生される。




「ねぇ叶野さー。俺と付き合いなよ。」

暴れよう、そう決めた俺の意志は彼の一言で削がれて、言われたことが理解できなくて目を見開いて固まった。
つき、あう?なにそれ……?

「なんで」
「ん?叶野からしてメリットしかないと思うんだけどなぁ。
俺と付き合えばもういじめられたりすることはないよ。それに三木に対して良い復讐にもなるよ?ほら、お得でしかなくない?」
「そうじゃなくて!なんで……っ!」

いじめの主犯が、なんでいじめ被害者の俺に付き合えって言っているのか、それが分からなかった。
羽佐間くんは俺に付き合うメリットを言ったけれど、それで言えば羽佐間くんには何のメリットはない。そもそも俺が嫌いだからいじめたんじゃないの?
その発言の理由が分からなかった。
パシリ?ストレス発散?冷静に考えてみればそう言う考えが思い浮かぶけれど、今この状況の俺は冷静になることもできずただ疑問しか持てなかった。
抱きしめられる嫌悪感も忘れて困惑する。彼の顔が見えないから何を考えているか分からない。……いや、見てもきっと分からないと思う。さっき俺を見る顔を思い浮かべて自分が思ったことを否定する。
理解できない。理解したくない。
さっき俺を見つめる瞳と表情は……優しく見つめる瞳と頬を染めて目を細めて穏やかに笑うその表情は、

どう見たって俺に好意を持っているかのようだった。

「俺叶野のこと好きだからさ。
傍にいてくれるだけでいいんだよ。」

そう耳元で羽佐間くんに囁かれて俺の予想が当たってしまった。予想していた、だけど俺はそれを否定したくて目を背けた。なのに羽佐間くんはそう言う。

「嘘だっ!!」

羽佐間くんは俺のことを『好き』と言った。
『そう言われた』と言うことを脳が正しく理解した。
だけどその意味は『正しく』受け入れがたいものだ、だから彼は俺に好意あることを分かってしまっていても反射的にそう叫んで彼の腕を振りほどいて彼と向き直る。

羽佐間くんの言ったことだけを受け入れるのなら確かに『告白』以外何者でもないだろう。
でも、どうしても俺へのしたことは『好意』があるとは思えなかった。

「どうせ、罰ゲームとかなんでしょ?!」
「ちがうよー。」
「い、意味わかんない、それだったら……どうして……!」

俺のことを傷つけるの?
この際男同士とかなんてどうだっていい、別に偏見なんて元々ないよ。でも……。
どう見てもどう考えても羽佐間くんが俺にしたことは『好きな人』に向けているものだと思えなかった。
確かに彼のことを睨みつけたときや俺が地べたに這いつくばっていたとき、とても楽しそうに笑っていた。愛おし気に見えなくもなかった。
だけど、さ……。
俺が羽佐間くんにされてきたことは、『いじめ』以外の何物でもない、よね?
足引っ掻けられてこけさせられて前髪を思いっきり引っ張られて、俺を殴ったり蹴ったりするようにけしかけていたのは……彼だ。普段の暴力は他の人から受けているけれど彼の指示がほとんどの原因だ。
そのときも笑っていたのは見ていたから知ってる。加虐心から来る笑いかと思ってた。でも、いっそそっちの方が良かった。

「羽佐間くん、きみおかしいよ、」

なんだよ、好き、て。
好きな人には笑ってほしいものでしょ?幸せになって、ほしいものじゃないの?
おかしいよっ、今まで散々いじめて来て、今日だって俺のことを話したのは三木くんだけど、そう話すように仕向けたのも目の前の羽佐間くんだ。だって、三木くんが自分のことをどう思っているかも知っていた。
自分のことを知っていてかつ自分が周りに及ぼす影響も熟知している。そんな彼が三木くんがどんな行動するかとか予測済みだったって考えてもおかしくないだろう。
俺がどんな仕打ちを受けるかもきっと分かっていたはず、だ。それなのにっ、なんでっ!
目で訴えていると羽佐間くんは俺がなんて思っているのか察しているかのように話し始めた。楽しそうに。

「叶野のことは最初は別に好きじゃなかったよ。ただのクラスメイトだと思ってた。
でも、叶野からあの三木?って言うヤツが離れて何かいじめやすそうだなーって思ったからさ。まぁ暇つぶしだったんだよ。」
「……ひまつぶし?」
「そう、暇つぶし。俺からするとね。
周りの奴らからすれば良い感じのストレス発散だったかもね。ほら進学校だし、みんなストレス発散溜まっていたんだろうね。
俺はただきっかけを作ったに過ぎないよ。」

俺が苦しくて哀しい思いをしたいじめは彼からすればただの暇つぶしだった。そしてストレス発散の道具……サンドバックにされていた、んだ。
突き付けられる言葉に傷つく。だけど、傷ついてばかりではいられない。羽佐間くんの話は、まだ終わってない。

「ま、いつも通り飽きたら辞めるつもりだったんだけどさ。
でも……叶野の目見ちゃったらその気が失せちゃった。だって、叶野は全然俺の思い通りにならないんだもん。」
「……?」

言われたことが分からなくて首を傾げた。
思い通り、になったじゃないか。彼の思い通り俺は良い暇つぶしになったのだから。話し方としては辞めるつもりだったらしいけれど……俺の行動が彼の中で何か引っかかったみたいだ。
俺は彼になにをしたんだろう?

「俺のこと睨んだでしょ?媚びを売るようなものでもなく、屈したくないって言わんばかりに。」

それは……当たり前、じゃないの?
だって理不尽な目に合わせてくる彼が目の前にいるのなら、暴力などする勇気はなくっても睨みつけるぐらいは……する、よね?

「あは、きょとんとしたしてる。可愛いな~。
叶野にとって普通のことなのかもしれないけれど、俺からすると新鮮だった。
だってみんな俺に気に入られようとする奴ばっかりだったからさ。三木も含めてね。媚び売ってくるかのような瞳ばっかり。
いじめている奴も俺が近寄ると期待した目で見てくる。
ま、叶野は三木と違って最初からあんまり俺に興味なさそうだったもんね。ただのクラスメイトぐらいにしか思っていなかったでしょ?」
「……。」

確かに、羽佐間くんのことは入学したときの紹介で名前は知っていたし、整った顔立ちをしてるなぁと感心したから顔も覚えていた。
だけど入学してすぐ羽佐間くんの周りには人が男女問わず沢山いて囲まれていた。これだけ顔が良くて取っ付きやすい雰囲気しているのなら納得だなぁ、そう思っただけだった。
畑違いと言うか……、まぁ進んで話しかけることはしかなった。挨拶するぐらいにはしていたけれど……羽佐間くんの言う通り本当にただのクラスメイトとしか思っていなかった。

「叶野の普通は俺にとっては新鮮だった。
俺のことを『普通のクラスメイト』としか認識していない叶野をいじめたらどんな顔するかなぁぐらいにしか思っていなかったけどさ。
苦しそうで泣きそうなのに泣くのを我慢したり、もう学校とか嫌なはずなのに毎日登校したりさ?
俺のこと震えてしまうぐらい涙目になっちゃうぐらい怖いくせに睨みつけるのを辞めないのところとか、本当可愛いよ。叶野。」
「……、」

赤に染まった頬。
緩やかに歪んだ口元。
優しさを感じさせる瞳。
彼の浮かべている表情すべてが俺へ好意を伝えている。良く伝わる。
本当に、目の前の彼は俺のことが好きなのだとよく分かった。

……好きだと自覚しているうえで彼は俺をいじめていたんだ。

「自分でも狂っているって思ってるよ。歪んでいるよね。知ってるよ。
でも好きな人の表情すべて見たいなって思うのも普通のことだよね?
友だちに向ける笑顔も、殴られて苦しい顔するのも裏切られて絶望的な顔になるのも、全てをあきらめた表情だって全部、ぜんぶさ、見たくならない?俺は見たい。俺はその欲求に素直なだけなんだよ。」

羽佐間くんが何か話している。話す度に俺には到底理解できないことばかり告げてくる。
理解できないし……理解したくもない。

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