2章 後編

「俺がさ~ちょっとした好奇心で『叶野の弱味とか知ってたりする?』って聞いてみたらさ、嬉しそうに教えてくれたよー?俺が話しかけたときすごーく嬉しそうに笑ってくれたし。
あまりに大きな声で楽しそうにお話ししてくれるものだから、正直ちょっと俺引いちゃった~。クラスメイトもそうだったんじゃないかなー。」
「……みき、くんが?」

あんなに笑い合っていた、三木くんが?
どうして。俺が、彼にいじめられていること知っていたのに。なんで。俺のこと、売るようなことをしたの?
頭がぐるぐるする。疑いたくない。疑いたくなかったから、俺がいじめられているとき三木くんらしき笑い声が響いたとき、きっと違うんだって言い聞かせてた。
今は、ただ俺がいじめられているから。だから、三木くんは話しかけられない、だけだって。そう、思おうとした。

「どうも彼さ、叶野の点数が自分より良かったのが羨ましかったみたいでさ~。多分仲良くしていたときもきみのこと見下してたんじゃない?だから憎くなっちゃんだと思うよ?
あと俺に気に入られようとしている雰囲気したかな。」
「そんなこと…………」
「ない、て言い切れるの?今まで叶野がされてきたこと楽しそうに見ていたの知らないことはないだろ?」
「っ……。」

否定したかったことを目の前の彼に突き付けられる。
そう。俺は、ずっと本当は分かってた。
俺がクラスから無視されたときも、体操着を隠されて探し回っていたときも……先生からもクラスメイトからも見放されたときも。
三木くんは……楽しそうだったこと。
今日の朝だって羽佐間くんに頬を染めて一生懸命話していたのも、しっかり見えていた。
本当は見えていた。ぜんぶ、ぜんぶ。
だけどきっと気のせいだと考えすぎだと自分に言い聞かせてた。だってそうじゃないと。

「う……っ!」

涙が零れてしまいそうだったから。
いつだって、泣きたくて仕方が無かった。
無視されるのも体操着や上履きを隠されるのだって、ノートを切り刻まれたり机の中にゴミをいれられたり、バケツに顔を突っ込まれたり水をかけられたり……殴られたり蹴られたりするのは。
痛くて悲しかった。身体も、心も痛くて仕方が無かった。苦しかった。
先生に訴えても蔑ろにされて、家族はバラバラで俺のことで心配なんてかけたくなかった。
自分は平気だ、そんな顔を貼り付けて何とか家では笑っていた。学校でもいつかは治まると思ってあまり反応しないようにして、虚勢を張っていつか平穏が戻ることを祈って日々ただ過ごしていただけなのに。

友だちだったはずの三木くんは、本当は俺が鬱陶しくて憎くて、目の前の羽佐間くんは俺へのいじめをけしかけてきた張本人に気に入られたくて、俺の家庭の話を大きな声で言ってしまうような、子だった。
いつかは戻れると希望を抱いて今までのいじめも耐えてきた。
だけど、信頼したかった人……俺が、勝手にそう思っただけなんだけれど……『三木くんに裏切られた』そう思ってしまった。
支えが崩れ去ってしまった今、涙を止める術は無くて、ぐずぐずと涙と鼻水を垂らしながら机に突っ伏した。

「大丈夫?」

優しい声とともに、頭を柔く撫でられる感覚。
心底心配しているかのような、心底俺を労わりたいかのような態度。
それをしているのは、羽佐間くんだ。
俺を直接手を下さず、でも主犯であることを俺は知っているし彼も自覚してる。
……お前が、いじめているくせに。
俺が殴られたり蹴られたり水かけられているところを見ながら楽しそうに、お前だって笑っていたじゃないか!!

「なんでっ!」

目の前の彼が今まで俺にしてきたことが鮮明に思い出し、激高のままに俺の頭を撫でるその手を振り払いながら立ち上がった。
今だけは恐怖も忘れて、また彼を睨みつける。
……でも、その威勢のよさは持たなかった。彼と目が合って息が詰まって、彼の視線から逃れるように後ずさったから。
ガタっと目の彼も立ち上がる。

そして俺へ歩み寄ってくる、その分彼から距離をとりたくて後ずさる。
「こ、ないでっ」

ゆったりとしたペースで近付いてくるのが、怖くて。

「今は傷つけたりなんてしないよ?」
怯える俺に子どもに言い聞かせるような少し困ったようなでも優しさを含めた声でそう言う。
その穏やかな物言いが恐ろしい。それに彼は立ち止まらない。傷つけたりしないと発言したけれど、それが本当なのか分からないし傷つけなくても何をされるか分からない。
分からない、こんなにも分からないことが恐ろしい。お腹がキリキリと痛む、自分の頬に涙ではない冷たい汗が伝う。

このまま、振り返って走ってすぐに教室を出よう……!

本能が逃げろと叫ぶがままにその通りにしようと、勢いよく彼から目を逸らし身体を扉の方へ向けて、そのまま教室から出ようと床を蹴った瞬間、

「もう逃がすわけないじゃん。」
「!?っや、はなっせ!!はなしてよ!!」

いつの間にか羽佐間くんは距離を詰めていて、俺の腕を掴んでいた。
少し不貞腐れたような声と、腕に込められた力が強くてテンパってその腕を振りほどこうとするが、離れない。
俺の抵抗を物ともせずに腕を引っ張られた。いきなり引っ張られて踏ん張ることもできず、身体が傾いた。このまままたこの間のように床に転ばされる、自分の身体が叩きつけられることを予想して身構えた。
だけど、そんなことにはならなくて。
引っ張ったあとすぐ俺の腕を掴んでいた手は俺の腰あたりへ。もう片方の手は俺の肩へ。

後ろから羽佐間くんに抱きしめられる形になっていた。

彼はこの状況を望んでいたかのようにクスクスと俺の耳元で笑った後、俺の肩口にその顔をうずめたみたいで生暖かい呼吸がかかっているのが感覚で伝わった。
俺はどういうことか彼に引っ張られて後ろから今抱きしめられている。本当はこのまま向かうはずだった教室の出入口を目に映しながら今の状況を把握した。
把握した。

把握した瞬間、鳥肌が立った。

彼の体温が伝わってくるのが、本当に……気持ち悪かったんだ。
今度こそ本気で暴れようとしたとき、彼は信じられないことを告げた。
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