2章 後編


そのあとのことは良く覚えていない。

俺にとって三木くんはこの学校で一番の友人と思っていた。だけど。
俺は三木くんにとって迷惑な存在だったことを知って、自覚してしまって、ショックだったんだ。
なにか教室が騒がしくなったような気もするけれど気のせいかもしれない。
その日のことを俺は良く覚えていない。どんな授業を受けていたのかどうかもそれ以外にどんなことを言われていたのか、どんないじめを受けていたのかも何もかも。
漫画や小説みたいなことを言うと、気が付けば放課後の……日が沈みかけている教室のなか自分の席の近くで立ちすくんで自分の机の落書きを見つめていた。
『死ね』『キモイ』『学校くんな』『雑菌』、そんな風に油性マジックで書かれている俺の机をどこか他人事のように見つめたあと、椅子に座って机に突っ伏した。
下を向けば自分の制服には足跡が残っていてその近くの自分の肌が痛んだから、多分蹴られたんだと思う。自分のことなのに他人事のようにそう思った。
(三木、くん。)
目を閉じれば彼の朗らかな笑顔が浮かんだ。
楽しそうだった、笑い合ってた、はずだ。だけど、それはきっと俺だけだったんだろうな。
(……ごめんね。)
心のなかでそう謝罪する。
きっと、酷く迷惑だっただろうな。重い話をしてそのうえ
俺、嬉しかったんだ。誠一郎以外で信頼できる人が出来たことが。
心の底から『友だち』と言えるような存在が、また一人出来たんだって、うれしかった。
でもそう信用した相手も、俺と同じように思っているとは限らないんだ。分かっていたはずなのに。
世界は俺だけのためのものではない。
俺が他人を快く思うのと不快に思うのと同じように他の皆だって好きになったり嫌いになったりする、選択する。
俺は三木くんに『嫌い』と選択された。人はみんな選択する側でありながら選択される側であると、知っているはずなのに。わかっていなかったんだ。

「……三木くん。」

俺は三木くんを『好き』と選択した。それが同じように返されなかった。彼は俺と真逆の選択をした、それだけのことだ。でも、可能であれば。
俺と同じ選択をしてほしかった。
……こんなこと言ったら、きっとまた重いと言われてしまうんだろうな。俺って、重い人間なんだなぁ……。内心そう自嘲気味に呟いた。
その瞬間俺以外誰もいない、静かな教室に扉が開いた音が後ろから聞こえた。
既に帰宅部は家についているだろう、部活のある子だってまだ終わりではないそんな時間に一体誰が入ってきたんだろうか。一瞬疑問に覚えたけれどすぐにどうでもいいかと思い直した。
俺はクラスのいじめられっ子だ。
俺をいじめている子たちはいつもにぎやかで、こうして静かに教室に入ってこないからきっと彼らとは違うだろう。
かと言ってただのクラスメイトが好き好んで話しかけられることもないだろうし、もしも彼らのうちの誰かだとしても一人ならそこまで害でもないだろう。精々貶してくるか軽く蹴ったり殴ったりするぐらいだろう。そう諦観する。

……俺の願望としては、三木くんが俺のこと気にかけて戻ってきて俺に……『仲直りしたい』そう言ってくれるそんな展開を一番望んでいる。
でも、そんな都合の良い話はドラマや本ぐらいなもので。

「寝てんのー叶野?」

俺の目の前から声が聞こえて、その声の主を頭で理解する前に反射的に体が震えてしまう。
低いけれど優しくてその通る声。
ぶわっと背中から冷たい汗が流れてくるのが分かる。
このまま寝たふりをしたかったけど、声をかけられてあからさまに身体を震わせてしまって俺が起きているのを知られているし、目の前に立っている人物が帰る気配がないのが分かってのそのそと顔を上げた。
出来ることなら、1番一対一では会いたくなかった人物だ。

顔を上げれば、俺を見下ろしている視線と交わる。

「ん、おはよー。」
「……。」

目の前の人物……羽佐間くんは俺と目が合うとニコっと笑いかけてそのまま前の席に座った。
ニコニコと笑みを浮かべて俺を見つめている羽佐間くんが……怖かった。本当は震えそう……というかもうすでに震えている。足なんて今立ち上がれば数秒も持たないと思うぐらいだ。
それでも羽佐間くんと目をそらさない。怖くても、逃げては駄目だと本能で感じた。
(目を合わせないとこいつは俺に何をするか分からない、絶対に隙を見せるな)
そんな、防衛本能。
何の理由はないけれど、それでもその本能に従ってどんなに怖くとも目をそらさなかった。涙目で無様だろうと何だろうと。

「……あはは!やっぱり、その目いいなぁ。」
「……!」

うっとりとした顔で甘い声でそう言いながら俺へ手を伸ばす、それにまた殴られるのかと体が怯える。一瞬恐怖で目を閉じたけどすぐに開けて強がって睨みつけた。
ギッと彼を睨みつけながら次に来るであろう衝撃に身構えた。

「怖いくせに睨みつけてくるとかーあーかわいいー。」
「……っ?」

思った衝撃は訪れることはなく、その真逆の優しい手つきで俺の頬を撫でられて混乱する。そしてやっぱり怖かった。
だって。

「あー今まで他の奴らにいじめるように仕向けてきたヤツがいきなりそんな風に撫でられるとは思えなくて混乱しているのと……俺がなにを考えているのか分からない恐怖、かな?そんな感じのこと思ってる目をしてるけど、あってたりする?」
「……。」

俺が自分の恐怖の理由を突き止める前に、羽佐間くんに言い当てられた。
……俺はこんなことを誰かに本気で言ったこともなければ本気で思ったこともない、どんなに仲良くなれない人でもそんなこと思わないし、仲の良い人にはその場の言葉の綾で言ってしまうことはあってもそれは本気で思っていて言っているものではない。
だけど、どうしても。羽佐間くんのその穏やかな笑顔や俺の頬を柔らかく撫でる大きな手や、愛おし気に俺を見ているその瞳に優しく語り掛ける声のすべてが……直球に言うと、気持ちが悪かった。
羽佐間くんの仕草全てが、違和感しかない。怪訝に思っているのはきっと今顔に出ているだろう。そこで失礼だとか言われてキレられるほうが断然良かった。
俺の顔を見て心底嬉しそうに笑っている彼を見たら……。

「うん、その俺の本質を見抜いている感じ、いいねぇ。大体の奴はさ、俺に気に入られたくて俺の思うがままに従うんだよね。
ほらちょっと俺顔が良いみたいだし?」

首を傾げて見せる羽佐間くん。
確かに、羽佐間くんは人の目を惹く容姿をしている。だからああやって……自分からそこまで手を下さなくても、羽佐間くんの敵は自分の敵であると排除徹底的に攻撃するべきだと、それが『正義』なのだと認識するのかもしれない。
羽佐間くんがそうしたいのならそれに従うべきであり反抗するのはとんでもない、そう思ってしまうのかもしれない。でも、今俺が羽佐間くんに想う感情は『恐怖』『混乱』『嫌悪』それだけ、だ。そんなに端正な顔立ちをしていても、それだけで絆されるほどではない。
俺の思っていることはお見通しだと言わんばかりに笑みを深める。

「皆が皆叶野みたいなら少しは叶野への態度もましだったのかもね。残念だけど、それは担任含めてかなーり少人数みたいだ。」
「……。」
「クラスメイトも自分に害なければそれでいい、もしくは俺に気に入られたいから叶野をいじめよう、のどっちかだけで叶野を守りたいって言う奴はだーれもいないんだよね。
……あーえっと……なんだっけ?あいつ?名前がさ行の……?」

暴力に飽きた羽佐間くんの精神的暴力を振るおうとでもしているのだろうか。
俺の心をえぐるためのだけ言葉を重ねているだけなのか。……この、違和感はなんだろう。彼の態度は大凡いじめている人への態度ではないんだ。でも、行動はいじめ加害者そのものだ。なんだ?なにかがおかしい。

「……あっ思い出した!さ行じゃなかったわ!」

違和感の正体を探ろうと考えようとするのを妨げるかのような大きな声に驚いて目の前の彼と目を合わせる。
目が合うとニコっと微笑みかけられた。嬉しそうに笑いながら残酷なことを告げる。

「ほら、最初のとき叶野と仲の良くしてたはずの三木だよ。」
「……え?」
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