2章『結局のところすべては自分次第。』


あのあと先生に手を引かれて保健室へと連れられた。
落ち着くまでここにいなさいとそう言われて、保健室の先生も慰めるように頭を撫でてくれた。それに泣きながら頷くしかできなかった。
結局そのあと午後の授業を受けることも出来なかった。
こんなに涙って出るものなのか、とぼんやりする頭でそう思った。
脱水を心配した保健室の先生にコップに注がれた水を飲まされたけれど、飲んだ分がまた涙となって溢れてしまってあまり意味を成さなかった。
担任の先生が父さんに連絡してくれたみたいで、放課後の時間になって学校まで父さんが迎えに来てくれた。
仕事で忙しいのにたぶん早退して、急いでくれたみたいで息を切らしていつもはきっちりと整えている髪もぐちゃぐちゃになっているのがビックリして涙が止まった。
泣きすぎて目が腫れて真っ赤になっている俺と目が合うと泣きそうな顔で
「のぞみ、すまない。」
そう言って抱きしめてくれた。
力いっぱい抱きしめられながらもそう反射的にだいじょうぶだよ、と言おうとするけれどその前に父さんが言った。
「そんなに思いつめていたなんて、お前はしっかりしているから大丈夫だと思い込んでいた。ほんとうに、すまない。さみしい思い、させたな…。
強がらなくていい、いいから、な……?」
「う……!」
母さんと勇気が出て行ってから。いや、その前からずっと俺は『お兄ちゃんだから』って自分に言い聞かせてた。おさないから仕方ないけれど勇気を優先する父さんと母さんにわがままも言えず、かと言ってたった一人の弟を嫌いにもなれなくて。
今回も母さんは勇気だけを連れていった。きっと母さんにも色々と考えていたと思うけれど……俺は『置いて行かれる側』だった。
どうしようもないぐらいの『事実』が悲しかった。辛かった。
ずっと、俺は泣きたくて。でもがまんしてわらってた。友だちに嘘ついてでも俺は守りたかった。
俺自身がその事実を認めたくなかった自分のことを。そして、勇気だけを連れて行った母さんのことを。

事実だけ見れば勇気だけを連れて俺を置いて行った母さん。

「かあさんの、ことはせめないで。」

だけど……やっぱり母さんも色々考えてのことだったんだとも思うんだ。
そうじゃなきゃ出て行くときあんなに辛そうな顔して俺のこと見なかったとおもう。俺のことを、扉が閉まるまで視線をそらすことなく見つめなかったとおもう。
俺と父さんを置いて勇気と連れて出て行った母さんのことを、俺は認めたくなかったし母さんのことを誰にも責めてほしくなかった。
母さんが加害者にならないように、俺を置いて行ったのを認めたくなかった。木下くんに言ってしまえば、俺は事実を認めないといけなかったし、母さんのことを責めるようなことを大きな声で言うのだろうと予想していたから。
だから、だれにも言わなかった。言えなかったんだ。母さんが悪く言われるぐらいなら俺が悲しいことをがまんしてしまえばいいと思った。……まさか、ああやってみんなの前で言われちゃうとは思わなかったけど。

「ああ、お前も母さんのことも責めたりしない。けれど……せめて、1ヶ月に1回だけでも母さんと勇気と会えるように父さんがんばるから。」

いつもなら首を振ってがまんするんだけれど、首を振ろうとすると父さんが酷く傷ついた顔をするから、俺は頷いた。
今までみたいには、きっとなれないのかもしれないけれど……それでも少しだけ望みがあるように思えた。



あの日以降色々とすごく変わった。
まず、月に1、2回だけど母さんと勇気に会えるようになった。勇気も俺に会えてすごく嬉しそうで俺も嬉しかった。
父さんと母さんは顔は合わせるけれど一言交わすぐらいでほとんど無言だった。それでも、俺と勇気へ向ける笑顔は2人も本当だった。だから、これから俺が頑張って繋いでいけたらいい。そうポジティブに考えることにした。

あと……俺は木下くんといることがほぼなくなった。
俺は木下くんのことを嫌いになった、というわけではない。いい意味でも……悪い意味でも、木下くんは素直なだけだから。俺も嘘ついたのは本当のことだからお互い様、と思っている。
それにあの日の夜木下くんは木下くんのお母さんと一緒に頭を下げて家まで謝りに来てくれたから。
『本当に、うちの愚息が……ああ、本当にごめんなさい。ほら、あんたも謝りな!』
『……う……ごめんなさい…。』
『え、いや、ううん、おれもウソつくことになってごめんね?』
『えっと…息子もそう言ってますし……どうか顔を上げてください。』
木下くんのお母さんがこれ以上下がらないだろうなと思うぐらい頭を下げて、木下くんの頭をガッと掴んで下げさせているのを見たから俺も父さんも逆に慌ててしまった。
菓子折りまで持ってきてくれて……なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。
俺としてはもう怒っていないし、悲しいけれどやっと母さんと勇気がいないのを認められるようになったから木下くんに荒療治になったとはいえ感謝もしていたけれど、あの日以来木下くんに気まずそうに目をそらされ避けられるようになってしまった。
木下くんの言うことを笑って受け入れていた俺のとりみだしてしまったのを見てショックだったのかもしれない。

俺を避けるようになったのと同じようにクラスメイトの木下くんの扱いが変わっていった。
『前の木下ってすごい調子乗ってたよな?』とか『言われっぱなしでくやしくないか?木下もお前と同じ目に合わせようぜ?』と俺に謝ることを強制してきた子にそう言われたときは信じられない気持ちになったし呆れにも似た感情を覚えた。
とんでもない手のひら返しに
「調子乗ってるのはきみじゃないの?俺はもう木下くんに言われたこと気にしてないし、もう謝ってもらったから平気。」
そう冷たく突き放した。
「きみ、気に入られようとして俺に謝ること強制してきたのにきみからはなんの言葉もない、そんなきみが一番……嫌いだ。」
目を合わせてそう言うと泣き出しそうな顔して走り去って行ってしまった。
木下くんのことを優先させて俺の気持ちを無視したのに、今さら味方ですって顔されてもむかつくだけ。
他の子だって、あの日以降木下くんに冷たく当たって俺のことを気遣うようなこと言うけれど、あのとき庇おうとしなかった子たちにそう言われても……正直心が冷める。
その場を壊さないようにすることばかり選んでいたから「大丈夫だよー」と作り笑顔でそう返した。クラスメイトに対して内心少しの距離を置いて話すようになった。
だって、あのとき誰も庇ってくれなかった。
木下くんを良く思っていない子もいるのに、宿題うつさせてあげた子もいたのに、ね。後ろめたかったみたいで俺と目を合わせたりしなかった。ウソついたのに責める声だって荒げていたのに。俺のこと庇ってくれなかった。
彼以外は、だれもいなかった。

最後に……あの日以降、俺は湖越くんと一緒にいるようになった。
あの出来事の次の日の朝、登校してきた俺のことをどう接していいのかわからないのか遠目で見るクラスメイトたちのなかたった一人だけ
『かのうくん、だ、だいじょうぶ?』そう声をかけてくれた。
彼だけは。俺のことを本当に心配してくれたんだ。
木下くんのことを止めきれなくてやんわりとしか注意も出来ずたまにしか気にかけることが出来なかったのに。
申し訳ない気持ちと同時に嬉しかった。
俺のことを心配してくれたのはきっと家族以外では彼が初めてだったから。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう、湖越くん。」
本当に嬉しかったから、少しだけまだモヤモヤしていたけれどそれが晴れて本当の意味で湖越くんに笑いかけることができた。
それを見たクラスメイトも彼を押しのけて俺に話しかけてきた。そんなクラスメイトに相槌をそれなりに打ちつつ彼に話しかけた。

「湖越くん、きみのこと誠一郎くんって呼んでいい?俺のことも希望って呼んでいいからさ!」

彼となら、本当の友だちになれる。そう思った。初めて自ら親しみを込めて家族以外の誰かを名前で呼びたくて、自分の名前を呼んでほしくてそう聞いた。

「う、うん!」
湖越くん……誠一郎くんは頬を紅潮させて身体をもじもじさせながら頷いてくれた。
本当の意味で俺にも友だちが出来たんだって。そう喜んだ。

なんて都合がいい。
自分のなかでそんな冷めた声が聞こえた。
それは誠一郎くんが話しかけたことによって俺がいつも通りだと知って誠一郎くんを押しのけたクラスメイトに言っていたのか……自分のことを棚上げに誠一郎くんに勝手に友情を感じた自分自身に向けて言っていたのか。
もう、わかんないや。
でも少なくてもこのときの俺は本当に誠一郎くんに対して純粋に友情を感じたし、家族のこともこれからなんとかできると思ってた。

この純粋だった『友情』はお互いを『依存』させる歪なものになって。
俺はどれだけ愚鈍だったのか思い知ることになって。
そして、この先に進む中学校で『裏切り』の酷さを知ることになる。なんて。

このときは想像も……可能性も考えたこともなかったなぁ。
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