2章『結局のところすべては自分次第。』


慌てて昇降口へ向かえば吉田が言った通り鷲尾の姿はすでになく申し訳ない気持ちになる。後でメール送っておこう。

「やーっと来た!」
「…すまない。」
「ま、いいけどねっ」

さあさあ行きましょ~と緩く告げて先頭を歩く吉田。心の広いやつでよかった。安堵した。伊藤とは目を合わせられないけれど。
夕日が眩しいな、と少し現実逃避混じりそう思った。

「あっそう言えばすずたんってのぞみーるたちと勉強会してたんだっけ?」

しばらく歩きながら雑談をしているとふと思い出したように吉田が伊藤に話しかける。
伊藤は最早そのニックネームで吉田に諦めたのか『のぞみーる』というのが誰のことなのか考えることに気を取られたのか、自分の呼ばれた方になにも言わず考える素振りを見せる。
「叶野のこと。」
「あ?……あーそう言うことか。よくまあ……そんな呼び方思いつくな、お前。」
「わーいほめられた~!」
「褒めてねえよ…。」
教えるとしっくりこなかったように聞き返されたが、すぐ納得したようだった。叶野を俺らは名前で呼ばないが湖越は『希望』と呼んでいるのを思い出したようだ。
「英語教えてもらってたな。それがどうかしたか?」
「ん~のぞみーるげんきかなー?っておもいまして~。」

最近あまりげんきそうには見えないからさ~、あとかっちゃんもちょうし悪そうだよね~。と続けた。
変わらない口調でそう言うものだから不意を突かれた気持ちになる。何と言うか……よく見ているな、とそう思う。
叶野だけじゃなく鷲尾のことも言うものだから、もしかしたらあの鷲尾の起こしたことは誰かから聞いているのかもしれない。
吉田の言う最近がどの期間を指しているかはわからない。吉田がどれほど知っているかの情報がよくわからない、下手なことを言うわけにはいかない。俺は吉田のことをそこまで知らない、どれぐらいのことを告げてもいいのかわからない俺からは何も言えない。
聞かれた伊藤の様子を窺う。伊藤が俺と同じように悩んでいる様子だったらどうしようとそう思ったからだ。
だが俺の予想に反して伊藤は

「今は元気じゃねえかもだけどそのうちたぶん元気になるだろ、二人ともな。」

特に悩んだ様子もなくかと言って吉田をなだめるようなものでもなく、普通に聞いた吉田に同じように普通に返した。
具体的なことは何一つ言っていない『たぶん』が付くような不確定なものだった。
何の表情も変わらず結構雑な対応に見える。が、吉田はそれに
「そっかー。」
とだけ相槌を打ってそのままこの会話が終わってすぐに吉田は俺に「さてさてイッチ今回のテストのご自信はいかかでございますでしょうかー!」と拳を作った手を縦にしてマイクに見立てて聞いてくるものだから多少混乱する。
唐突のインタビューに「……いつもと同じ」と返す。「なんか強者って感じがする~」と無邪気な笑みの吉田。チリチリ、胸の奥のほうが焦げていく感じがしてそんな自分に首を傾げた。
なんで、吉田が納得したのか伊藤は吉田の質問に考えこむ様子もなくすらすらと答えられたのか。俺にはなにも分からない。分からない、そう思うとまたあのじわじわと焦がされていくような気持ちになる。伊藤と吉田が話しているのを見ると変なのが止まらない。
「どうした?透」
不可思議な現象が治まることがないのが不快になってくるのを顔に出ていたのか違和感があったのか俺にそう聞いてくる伊藤と目が合うと、胸が焦がされていきそうなあの変な不快感が消えてなくなる。
「…?いや、なんでもない。」
「そうか?なんか不快感を覚えているような顔してたけどよ。」
「今は平気。」
納得していないであろう伊藤にそう言う。俺にだってよく分からない。よく分からないことを説明は出来ない。とりあえずどういうことか今は平気。それだけ伝える。

「……んあ~……そう言う感じなのねぇおれ、もしかしなくてもおじゃまむし~……だよね~……もうしわけ~……」
「?なにか、言ったか?」
「んーん!」

吉田が小声なにか呟いたような気がして問うけれど、一瞬ハッとした顔されたあとすぐ朗らかに笑いながら首を振られる。

「おれはさきいきますっ!『ドキッ☆運命の相手はとなりの席の王子様っ!?~血塗られた記憶編~』のドラマの再放送がもうすぐはじまっちゃーう!」
「お、おう。」
「ので!これにてドロンさせていただく!じゃあねぇ~。」
「……テスト、がんばれ」
「ありがとう~ん!イッチのやさしさに触れられておれ最高にうれしい!こんどあそんでね~。」

ばいばーい!勢いよくやってきたのと同じように勢いよく手を振って去って行く吉田の背中を見送って。

「……どんなドラマなんだろうな。」
「……なんかよくわかんねえけど、人気らしい。」

吉田の挙動が少しおかしかったが、不穏すぎるサブタイトルのドラマがどんなものなのか気になりすぎた。人気、なのか。あとで調べてみようか……。

吉田、賑やかな奴だった。叶野も賑やかだけどまたちょっと違うにぎやかさだ、テンションが高い。でも素直で良い奴っぽかった。
また話せたらいいなと思えるほどに。
それにしても…さっきのはなんだったんだろうか?ただ伊藤と吉田が話して、俺がきちんと理解出来なかっただけなのに。…それを思い出してまた胸が火で焙られている気持ちになる。
ほんとう、これなんだろう。分からない。

「体調悪いのか?」

いつまでも考えこんでいる俺を心配した伊藤の手のひらが顔面に近付いてくる。冷静に考えれば熱があるのかどうか確認しようとしたんだろうが、

「……っ!」

伊藤の手が目の前にある、そう認識したと同時に俺の身体がビクッと震えた後固まる。
思い出してしまった。下駄箱でのやり取りを。その手が俺の腕を這って変な気持ちになって変な声を出してしまいそうになったのを我慢していたのを。そしてそれが恥ずかしくて仕方がないのに、抵抗をしようとしなかった。
嫌ではない。嫌ではないのだが、やっと平静を取り戻せたのにまた触れられたら自分はまたどうなってしまうのか分からなくて、伊藤の手から逃れるように反射的に一歩、後ずさりする。
「?とお…………っあ”、あ”ー。」
自分の手が俺に触れることなく宙を空ぶって、きょとりとした顔で首を傾げるがすぐにどうして俺が伊藤の手を避けたのか察したようで目を逸らす。
さっきのことを思い出したように自分の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわしている、顔が真っ赤になっているのが分かる。俺も伊藤と同じぐらい赤い顔しているんだろう。
ドッドッ、心臓が早く動いているのが分かる。
触れられていないけれど、前にいる伊藤に聞こえそうな気がした。
せっかくいつも通りになってきたのに俺のせいでまた変な感じになってしまった。
また落ち着こうと一呼吸。

「……かっ……えろうか。」

そういつも通りを意識して声をかけたけれど、息が詰まって変に上ずってしまった。声の出し方さえもうまくいかないことに内心そこの電柱に頭を打ち付けたい気持ちになった。変な間が出来たけれどそのまま思っていた言葉を出すことにした。

「お”…………。んん”っ……おう。」

変な声になってしまって咳払いで立て直してあたらめて同意する言葉を出した。
伊藤も俺と同じように焦っている。そう思うと少し安心した。
でも何となく話しにくくて駅まで歩いていくのはほとんど無言になってしまった。
『今日は気まずいからここらでバイバイしよう』なんて。
俺もたぶん伊藤も思いもしなかった。
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