2章『結局のところすべては自分次第。』


あのあと見回りのついでに様子を見に来たのか図書室に不釣り合いな賑やかな声に不審に思ったのか、岬先生が様子を見に来るまで伊藤と吉田の言い合いは続いた。両者譲らず。
でも、岬先生の「えっと盛り上がっているところごめんね。そろそろ下校の時間なんだ。」と気まずそうにそう言われて冷静になったのか「…すんません」と低い声と「ごめんなさーい!」と明るく高い声が同時に響いたのであった。


「結局すずたんってよぶの駄目……。かっちゃんもだめってふたりともほんっとケチんぼ~!」

図書室を出て靴を履き替えていると吉田が少し落ち込んだ顔をしてそう伊藤と鷲尾を見て言う。
伊藤と鷲尾は冷たい目で一瞥するだけで何も言わない。2人は吉田への扱いをそうすることを決めたようだ。良いのだろうか、と一瞬思うが吉田は特に気にしていない様子で傷ついてはいないし良いんだろうな。一人で勝手に納得する。
別に傷もなにもついていないどころか気にしているそぶりもないが、ただ構われてないことへの不満があるが「はくじょうものっ」と2人へ不満を零してぐるんと俺の方を向いて少し驚く。
俺と目が合ってさっきまでの不満そうな顔から蔓延の笑みへと変わる。俺よりも身長が低いので自然と吉田が上目遣いとなる。少し釣り気味だけど大きなこげ茶色の目がランランと輝いている。そのせいか自分と同い年と言うのを忘れてなんだか年下の男の子を相手している気持ちになる。

「イッチはイッチでいいよねっ!?」
「……いいよ。」
「やった~!イッチはやさしい!」

突然の問いかけに驚きながらも断る理由はないので何のことなく頷く。俺が頷くとよろこびを隠すことなく全面に出す。そんなに嬉しいことなのだろうか?

「すずたんもかっちゃんもみならいたまえよ~!」

俺の右腕を抱き、すごく得意気に二人に言う吉田がなんだかこう……可愛らしい。くるくる変わる表情のせいなのかその雰囲気のせいだからなのか判断はつかなかった。
少しやんちゃな男子高生よりももっと明るいオレンジの髪色をしていてパッと見たときはとても派手な奴と思った。
どうも素直に俺の教えに従って頑張っていたのを見ていたからか、同い年の吉田には少し申し訳ないことかもしれないが……良い奴なんだが、なんだか年下を相手しているような気持ちになる。決して下に見ているとかではないけれど、なんだろうか。庇護欲と言うのだろうか。
何も考えず身長差で俺より下にある少し跳ねている目立つ色の頭をつい撫でてしまった。

「うひひ、なーに?イッチ?」
「あ……すまない、つい。嫌だったか?」
「ううーん!イッチの撫で方はきもちいいのでとくべつです!もっと撫でてもいいのですよ~!」

パッと手を引っ込めようとしたがその手を追いかけるように吉田の頭がぐいぐいと自分の手に押し付けられてしまった。
……ほんっとうに吉田に申し訳ないが、次は犬猫を連想させられた。
いいのですよ、と言いながら気持ちよさそうに笑う吉田が猫だったらきっとゴロゴロと喉を鳴らしていただろうし、犬だったらしっぽを振っていただろう。
この間伊藤と帰っていたときには機嫌が良かった猫がこちらに寄ってきたので撫でてみると喉を鳴らされて、また違う日にスーパーで一人買い物した帰る際に入り口前にリードを繋がれていた柴犬っぽいのが俺をじーっと見てしっぽを振っていたから近寄ってみるとさらにしっぽを振られたのを思い出す。
どちらも可愛いと思っていたが、もしかしたら俺は結構動物が好きなのかもしれない。
失礼を承知の上で吉田を見ながらそう思った。

「一ノ瀬、いつまで吉田を撫でているんだ。」
「…ん、ああ。すまない。」

無心で撫でていたらしい。いつまでも吉田を撫でている俺に痺れを切らした鷲尾が呆れたようにそう言われてようやく帰ろうとしていた今に気が付く。
撫でるのを辞めると同時に吉田が「さっかえろー!」と俺の手がからするりと抜けて昇降口のほうへ進んでいった。犬……いや、吉田は猫っぽいな。気紛れなところとか今みたいに撫でられたら満足する猫のような感じが。
呆れたように溜息を吐いて鷲尾も昇降口へ進んだので俺もそっちへ行こうとする。が、足が進まない、というより止まるざる得ない。

「……伊藤?」
「……。」

進もうとして一歩踏み出したと同時に吉田に抱かれていた方の右腕を柔く今まで無言だった伊藤に捕まれてしまった。
振りほどこうと思えばすぐにでもふりほどけるほどの柔く掴まれているだけだが、無理に解くつもりにならなくて伊藤を見つめる。
じっと伊藤のほうを見つめる。
俺の方をチラッと見るけれどすぐに逸らされてしまう。
その表情は……何とも形容しがたい。
悲しんでいるようにもとれるし怒っているようにもとれるように眉間に皺を寄せているけれど、傷ついたとかではなさそうなので少し安心する。
それならどうしたのだろか?首を傾げる。
不思議そうに伊藤を見つめる俺に居心地が悪くなったのかそれとも普通に言う気になったのか、

「……撫でるなら」
「うん。」

漸く話し出した伊藤に頷きながら撫でる?と疑問になってすぐにさっき俺が吉田を撫でたことを指しているのかと自分で答えを出した。同い年の吉田を子どもや犬猫扱いするなと言われるだろうか、そう思っていると

「俺で、いいだろ。」
「……うん?」

どういうことだ?言い辛そうにしていてやっと言葉に出せた伊藤に変な返しをしてしまった。俺が悪いのだろうか。いや、でも俺も驚いてしまったし自分の耳を疑った。
合わせると『撫でるなら俺でいいだろ。』……と言ったのか。え、どういうことなんだ?戸惑いを隠せずにいると伊藤は吹っ切れたのか俺の肩を掴んで

「俺の方が透のそばにいる。家にいる頻度だって高い。俺の方が先に透に勉強教えてもらったし。今日だってがんばった。透の見てないところだけどな。でもがんばったんだ。透も鷲尾とだけかと思ったら何故か吉田いるし、しかもあだ名までつけられてそれを受け入れているし。
いきなりすずたんってよぶし。本当ビビった。」
「いや、それはすまない。本当に。」

よく分からないままに伊藤の話を聞いたが『すずたん』て呼んでしまったのは正直失態であり申し訳ないと思っている。反射的に謝罪してしまったが、伊藤の言いたいことが具体的によくわからない。
力説されるがよくわからない。
伊藤の言っていることは『確かに』と思う。だが、どうつながって最初の『撫でるなら俺にしろ』に繋がるのか分からない。

「……俺んときは。テストの結果出たときしか撫でなかっただろ。俺に打ち解けたのももっとさきだったのに、なんで吉田はすぐ受け入れてるんだよ……。俺より近くねえか。さっき無自覚だっただろうけど吉田に笑いかけてたぞ、お前。」

伊藤は不服そうに言っていたが徐々に俯いていく。俺の肩は掴んだままに。俺と伊藤の顔の距離はかなり間近なためにその顔が真っ赤になっているのが良く見える。それって……、まるであれだ。

「……やきもち、か?」
「あーそうだよっ」

そう聞けば、俺の顔を見て大きな声で肯定した。
俺は驚いてしまう。いや、大声を出されたことではなく。やきもちを妬いていることに。そしてそれを肯定した伊藤に芽生えた感情にも。

「悪いかっ」
「……いや、うれしい、かも、しれない。」

じわじわ自分の頬が熱くなっていくのが分かる。
さっきの羞恥とはまた違う感じがする。目が泣きたいわけではないが潤んでくる。
さっきのように心臓が早く動くのではなくて大きく聞こえる、トクントクン、と自分の耳からそう聞こえる。肩から伊藤の手のひらに伝わっていないのか心配になる。伊藤の手のひらの温度がじわじわと布越しに俺に移っていくのが、きもちいい。
心配になるのに、口元が緩んでしまうのを手の甲をかるく唇を当てて隠しながら恥ずかしいけれど気になって伊藤と目を合わす。
なんで嬉しいんだ、とか聞かれたら困ってしまう、そう思ったが伊藤は目を見開いたままに「そう、か」とだけ呆然と呟いて肩から手を放される。
「あ、」
放されて、夏なのだからいくら伊藤と言えど触れられれば熱くて放れられたら解放されたとホッとするのに、何故か残念そうな響きになった無意味な一文字が思わず自分の口から出る。
それも恥ずかしくていよいよ目を合わせられなくて目を逸らす。

「とおる、」

そんな俺にどう思ったんだろうか。
伊藤は俺の名前を呼んだ。低い声につられて伊藤を見てしまう。熱に浮かされたような赤い頬と潤んだ目に、真剣だけどどこかぎらついた黒目と目が合う。
それを見て金縛りにあったように固まって動けなくなった。怖い訳ではない。むしろ、
……触れて、ほしい。
俺の方へ伸びてくる伊藤の手をただ俺は見ていた。実際はどうなのか分からないけれど、妙にゆっくりに感じた。ゆるりと裸の手首をなぞられて身体が震える。くすぐったいような、ぞわぞわするような、変な気持ちになる。
変な声が出そうになるのをそっとかみ殺した。恥ずかしい。もっと触れられたらどうなるのだろうか。ちょっとだけ怖くなりながらも、期待した。
徐々に伊藤の手のひらが二の腕の方へと移行しようと上へ上へと昇ってくる。自身に他人から触れられるのは目の前の伊藤ぐらいなもので手は何度か握ってる、でもその上のほうには医者以外誰にも触れられていない。
触れられるのに慣れていないところだから、こんな過剰に反応してしまうのだろうか。
呼吸が乱れる。目の前の伊藤も、荒く呼吸している。顔が近いからその呼吸も口元を隠す手に当たるしその、興奮したような顔もよくみえる。
口内がさらに熱くなって唾液が分泌される。背中に汗が伝う、じわりと熱くなる。

「はっ、いと……。」

きっと、俺も伊藤と同じように興奮した顔をしているのを自覚しながら伊藤を呼ぶ。目の前の伊藤がゴクリと唾液を飲み込む音が酷く大きく聞こえる。
袖の隙間から伊藤の指が入ろうとした、はやく入ってほしいけど入ってほしくないと葛藤してしまう。どうしよう、拒否するかそのまま受け入れるか迷う。答えなんてないようなものだけれど悩んだ。自分の身体は石になったかのように動かなくてただ伊藤が触れてくるのをただ見ていた。

「うおーい!すずたんイッチ~なにしてるのーおそいよ~!はやくおいで~!かえろ~!」

「っ!」
「!?」

ひょいっと奥から俺らをのぞき込む邪気のない吉田と目が合ってハッとなる。それは伊藤も同じだった。そこでやっと自分の身体がちゃんと動かせるようになる。

「悪い、今から、行く。」
「すずたんって、呼ぶなっ」
「待ってるよ~かっちゃんはもうふたりを待ちきれなくて帰っちゃった~」
「……悪いこと、したな。」

ぎこちない俺らの空気感に気が付いていない様子に安堵しながらなんとか返事をする。伊藤は「すずたんはやめろって……」と覇気のない声でそう言う。
今、吉田に声を掛けられなかったらなにをしていたんだろう、なにをされていたのだろうか。
自分の袖のなかへと侵入されて、そのあとどこを触られていたんだろう。想像して……身体がぐうっと熱くなる。
きっとどこを触れられても俺は抵抗も制止の声も上げないんだろうと気が付いてしまった。恥ずかしい。これは親友だから、だろうか。
吉田に腕を組まれたときには不快ではなかったが、さっきの伊藤の触れ方みたいなのような、撫でつけるような触れ方ではなかったから分からないけれどたぶんそう触れられるのは拒否していた。
伊藤に対する気持ちは他のひとへと向けるものとは違うのは知っていた、それは親友だからと思っている。……どうなんだろうか。分からない。でも、不快じゃないからいいか。なんとか自分を力ずくで納得させる。

そんな荒業は伊藤とまた目が合ってしまってすぐに吹っ飛んで、逃げるように吉田のもとへ向かった。互いに顔を見れないまま昇降口へ早歩きで向かう。
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