2章『結局のところすべては自分次第。』


「イッチ!ここわかんない!おしえてっ!」
「ん。」

このやり取りはすでに何回目か。最初から数えていないけれど、結構な回数だと思われる。
吉田は分からないところがあればすぐに聞いてくれるからありがたい。他の科目も一緒だが初期にやったところが分からなくてそれをそのまま分からないままにしておくと次の問題がどんどん分からなくなっていく。
何故こんなにも素直に分からないところを聞けてそれを飲み込む力があるのに、テストが一桁台をとってしまったのか疑問に思うほどだ。

「ここはこの公式を当てはめればいい。で、さっきやった応用のと同じ原理で……こうだな。」
「おおーなるほどー!こう?このこたえ?」
「ああ、正解だ。」
「よーし!ありがと、イッチ!」

少し教えれば吸収が早いようですぐに理解してくれる。
ただ少し突っかかってしまったところを吉田はそのままにしてしまっていただけでちゃんと教えれば普通に学習する……あれだ、やればできる子、だ。
分かったことが嬉しかったのか鼻歌交じりで次の問題に取り掛かっている。この分ならとりあえず赤点は免れる点数はとれるだろう。そう確信する。
「一ノ瀬、すまない。この問題なんだが…」
「…………それは、塾のやつか。」
相変わらず塾の問題をやって先を進んでいる鷲尾に少し呆れながらも鷲尾らしいと思い直した。「うげーなにこれ呪文?だれか生きかえったりする?」と鷲尾の問題集を覗き込んだ吉田が不思議そうに見ていた。
吉田の言った意味が分からず鷲尾と首を傾げると「もーこんどゲーム大会しましょうねぇ!おれのことわかりたいならRPGやろう!貸すよっ」とむくれてそう言われてしまった。それをやれば吉田の言っている意味がわかるのだろうか、と少し興味をもつ。

しばらく問題に打ち込んでいた吉田だったが「もう疲れた!おかしたべよ!きゅうけいだーい!」と叫んで(今図書室だが俺ら以外誰もいないので咎める理由はない。)どこからか小さい袋に入ったチョコレートをくれた。
携帯の時間を確認すればすでに1時間以上ぶっ通しで勉強していた。
最近は予習復習もしなくなって今日久しぶりに頭を動かしたからか少し疲れを感じたので俺も休憩することにした。
鷲尾は吉田に渡されたチョコを頬張りながらも区切りが良くなかったのかそのままノートに書きこむ手は止めることはなかった。「……ありがとう」そんな静かな図書室でも聞こえるか聞こえないかぐらいの声量でチョコをくれた吉田にそうお礼を述べた。

「今日はイッチのとなりにすずたんはいないのね!」
「すず、たん?」
「伊藤鈴芽たんのこと!」
「……すずたん。」
「可愛くない!?」
「……すずたんは、叶野に英語を教えてもらってる。」
「のぞみーるに?あ、叶野のことね!そっかー確かに英語できそうな顔してるもんね!明日にでもおしえてもらおっと!」
「のぞみーる…。」
「前はのぞみんって言ってたんだけどね、すずたんと被るからやめたの!」
「……そうか。」

吉田の呼び方とその本人に結び付けるのになかなか時間がかかる。
すずたん……のぞみーる……。よくよく考えてみると2人とも綺麗な名前しているんだな、と思った。伊藤は鈴の芽と書いて『鈴芽』で可能は『きぼう』とかいて『のぞみ』と読む。
なんのことなく良い名前だなとだけ思った。でもそれは特に吉田に言う必要性がないのでそのまま沈黙になりそうだった。

「……そう言えば吉田は、さっきお芝居が好きって言ってたけどそれはドラマを見るのがってことか?」

さっきの吉田の自己紹介を思い返して気になった……いや、見た目に寄らずせんべいが好きと言ったり「りなちゃん」と誰なのか分からない名前を出されたことにも色々とつっかかりを覚えたが、一番不快にさせず一番話しやすいところを話題に出した。
おしばいが好き、と言うのはどういう意味なのだろうか。ドラマ鑑賞とかではないのだろうか、と気になっていた。

「ん?見るのも好きだよー!でも一番はそのおしばいの人を演じるのがすき!」
「…演劇、てことか?」
「そうそう!おれ演劇部なんだよねー」
「へぇすごいな。……今度、見てみたいな。」
「文化祭でやる予定だからみてみてっ!夏休みはその練習するからさー!そっちにしゅうちゅうしたいし!かのうな限り補修したくないのですよ!」
「……それなら、がんばらないとな。俺も教えるの、がんばるから。」

キラキラした目でやりたいことをやるために、それが邪魔にならないようテストをがんばりたいと意気込んでいる吉田が何故か眩しいものを見るような気持ちになりながら、その意気込む吉田を応援するべく俺も頑張って教えようとそう吉田に言う。
「よろしく、せんせ!」
一回きょとんとした顔をしたあと、すぐ嬉しそうに朗らかに笑いながら改めてよろしくされた。
全力の笑顔に少し居心地が悪くなるが、俺も頷いて返した。
次吉田が引っかかりそうなところはどこだろう、と教科書を軽く読み込んでみる。

「……お前は、補修さえとらなければ気にならないのか?テストの点数が、一般からみて低くても?」

今まで静かに勉強に打ち込んでいた鷲尾が顔を上げて……どこか信じられないものを見ているような……そんな視線で吉田を見ている。
今ではあまり見なくなったが、伊藤を見る周りの学校の奴らの目を思い出した。鷲尾にとって吉田は珍獣扱いなのだろうか。

「うん!」

そんな鷲尾の視線を物ともせず全力で吉田は頷いた。

「というか!かっちゃんみたいに気にしすぎるほうがめずらしい!ここってかっちゃんとかイッチみたいな、そんなあたまのいいのがうじゃうじゃ通うような学校じゃないしねっ!
今までがどうだったのかわかんないけどさっ。そんな息苦しそうにしなくてもいいんじゃない?最近はそこまでじゃないけどさ~。」
「……お前、そんなに僕のこと見てたのか?」
「今日まで名前覚えられなかったみたいだけどさっおれ結構かっちゃんに話しかけてたんだぜ?」

となりのクラスである吉田にそこまで知られていることに驚いているが、吉田は怒りも焦りもせずただ純真な笑顔で答える。
つい2人の会話を教科書を読みながら聞き耳を立ててしまう。
同じクラスではなく違うクラスの吉田と鷲尾が話しているのが新鮮な気持ちだ。

「おれはおれだもん!おれは補修したくないから赤点じゃなければいいやってそうおもってる!」
「勉強しなくて、それが原因でこれから困ることが起こるとしても?」
「まぁそんときはそんときだよねぇ。かっちゃんにとって重要なことはおれにとって重要じゃないように、おれにとって重要なことがかっちゃんにとって重要じゃないことだし。
それで困ることになったらそんときなんとかしようとおれは考えようと思いました!まる!」
(作文?)
まるで小学生ぐらいが書いた作文のようにそう言うものだからつい内心突っ込みをいれつつこっそり鷲尾の様子を窺う。
「……そんな、ものか」
目を見開いてそんな考えもあるのかと衝撃を受けているのか呆然と呟いた。
「そんなものよ~。かっちゃんが頭硬すぎなのよ~。
みんなちがってみんないい!それでいいじゃないにんげんだもの!ねぇイッチ!」
「……そうだな。吉田の言う通りだ。鷲尾の大事なものと吉田の大事なものはちがう。俺の大事なものも、きっとちがうんだろうな。
皆違う。だからこそ、補え合える。だからこそ、助け合うって言葉があるんだろうな……。」

唐突に俺に同意を求める吉田に少し驚いてしまったが(様子を窺っていたことはもろバレだったらしい)俺は頷く。
俺は、伊藤に助けられてばかりだから俺も助けられたらいいのだが……。少しでも返せているかはわからないけれど、きっといつかは返せるように頑張りたいところだ。

「……一ノ瀬も、困ることあるのか?周りに……伊藤に、助けられているのか?」
「困ってばかりだ。伊藤に問わず、みんなにな。」

どうしてそんな戸惑っているのかわからないけれど、俺は随分周りの人間に助けられてる。
口下手な俺にこうして普通に接してくれる鷲尾たちにも助かっているし、伊藤にはとんでもなく助けられている。
だから、俺も返したい。助けられて、うれしかった分のその倍返したい。それが出来ることなのか分からないけれど、そう心構えを造ることはいつだって出来ることだ。

「みんなで助け合いましょうや!なんたっておれたちは友だちです!」
「いつの間に貴様とも友だちになったんだ…?」
「今から!」
「……ふ、ははっ」
「おおーイッチがわらったぜ!」

吉田のとんでもなくどこまでも前向きな答えに思わず笑う。
前向きで純粋なその歯を見せた笑顔を見ていると、なんだか俺も釣られて笑ってしまった。鷲尾のムスッとした顔で問うのにそれに気にした素振りなく、かつ嫌味のない返しがとてもいいなと思う。

「やっぱり美形さんは笑顔もにあいますなぁ~。お、なになにかっちゃんみとれてますのん?」
「ハッ……いや、なんだ見惚れるって!」
「ええ~そんな照れんでもいいのに~。」
「五月蠅いっ貴様のその言葉遣いはなんなんだ!」
「いろんな役やっているから、ついいろいろ混じっちゃんだよねぇ~。べんきょー再開する前にトイレ行ってくる~!」

どこまでも自分のペースを崩さない吉田に、鷲尾のほうがペースを崩されまくっているしまつである。
それが少しおかしかった。クスクスとつい笑ってしまいながら携帯を確認すると休憩して20分くらい経っていた。吉田が戻ってきたら勉強に戻ろう。と、吉田もどってくるその前に。

「少しは吹っ切れたか?」
「……少しは、な。」

質問に鷲尾は目を伏せながら答えた。具体的には言わなかったけれど察してくれたようだ。俺の聞いたことはあの日から気まずくなってしまった叶野とのことだ。結局あれから視線すらも向けていない叶野に対して鷲尾は時間さえあれば叶野の様子を窺っているのを俺は見ている。

「僕のしたことはそう簡単には許されないことだ。罪滅ぼし、にさえならないだろう。それでも、もしも困ったようであればいつでも助けたい。
それで許されたいなんて口が裂けても言えないが……もう相手がどう思っているか問わず、僕は確かに友情を感じてる。一回壊してしまった信頼でそう簡単に取り戻せないのも痛いほどにわかってる。
どれほど叶野に嫌悪されても……もしも叶野が辛そうで悲しんでいるのなら、僕は真っ先に味方しよう。求められなくても、そうする。そう決めたんだ。」

あの日。鷲尾と叶野たちがどんな会話をしたのか俺は知らない。気になりながらも知ろうともしなかった。
当人同士の問題だから。俺が口出しするわけにはいかないだろう。わかっているつもりだ。
けれど、鷲尾が確かに悪いけれど心配しないと言う選択肢は思い浮かばなくて、鷲尾に「今日数学を教えてもらえないだろうか」と誘われて2人で話せるチャンスだ、と思った。
ただ、その前に伊藤が叶野に英語を教えてほしいと言っていたから伊藤がいないのもわかっていた。
自分一人だけで鷲尾と話せるのか心配だった。吉田が来て話すのは難しいのだろうかと思ったけれど、彼のおかげで鷲尾のことが聞けた。
みんなちがっていい、そんな吉田の言葉が少しだけ鷲尾の負担を減らしたのかもしれない。
俺には何もできないけれど……こうして気にかけてしまうことだけは許してほしい。
未だ苦しそうだけれど心の底からそう思っていると言うのはわかった。
鷲尾は誰のことだと具体的に名前は言わなかったけれど、誰のことを指して言っているのか伝わった。鷲尾の本気も。

「そっか、鷲尾は強いな。」

後悔してもそれでもなおめげない鷲尾はやっぱり、強いな。
鷲尾と同じ立場だったら俺はきっと落ち込んでしまうだけで前に進めなかったと思う。堂々と背筋を伸ばしていられる、鷲尾は強い。俺よりも、もっともっと。

「そうでもないさ。一ノ瀬があの日追いかけてくれた。そして今吉田の話を聞いて、ようやく揺らぐことなく決められたのだから。」
「……鷲尾の手助けになれたのなら、よかった。」

自嘲気味に笑う鷲尾だが、前よりも吹っ切れたと言うべきかありのままの鷲尾を見れた気がした。
そんな風に眉間に皺を寄せずに穏やかに笑う鷲尾……と言うか、それが苦笑いに近いものだとしても鷲尾の笑顔は初めて見れたかもしれない。
良かった。純粋にそう思う。あとは、心から笑えればいいな。いつか自嘲気味でもなく苦笑いでもなく『嬉しい』と言う感情からくる笑顔になれますように。

「たっだいま~!よーしすっきりしたし、おべんきょうかいを再開です!」

なんとなく静かになってしまったころを見計らったかのように吉田がにぎやかに帰って来たことがきっかけに勉強会を再開する。
「……吉田も、ありがとう。」
「えー?なんか言った~?かっちゃん~。」
「……なんでもない、かっちゃんって呼ぶなっ。」

鷲尾の小さな言葉は俺が聞こえたぐらいだからとなりの吉田にも聞こえたんじゃないか思ったが、吉田は笑顔で聞こえたなかったように鷲尾を見て鷲尾は結局聞こえていないならそれでいいと判断したようで納得のいかないニックネームに抗議した。
俺も二人の流れに合わせて

「今更じゃないか?それ。」

とだけ鷲尾に言った。吉田はどれだけ抗議しても聞かない気がするし、鷲尾も本気で嫌がってなさそうだからもうどうしようもないとおもう。
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