2章『結局のところすべては自分次第。』


次の日岬先生に、酷く悲しそうに自分に憤りを隠せない顔で頭を下げて謝られた。生徒の前であんな乱暴になってしまったことと怖がらせてしまったこととか色々言っていたけれどもうそれも気にしていないから平気、そう答えた。
むしろ……俺のために怒ってくれたこと自体は嬉しいことだった。
(さすがに自分はそんな人間だったのかそう疑問に感じていたことは伝えられなかった。)

「一ノ瀬くんのまえであんな格好悪い姿見られたのは恥ずかしいんだよね……。」
「岬先生は、格好いい大人ですよ」

どうしてか凹んでいる岬先生にそう伝える。
こんなに生徒である俺のことで自分の年齢としても教員としても上司である桐渓さんに一直線に怒れるのだろう。
きっとそれは岬先生がとても真っ直ぐだから。
生徒を守るためなら、嘘偽りなく本当の意味で誰にもでも怒れる人なんだ。そう思える。
そんな人は今まで俺は見たことなかった。
淡々としている大人や冷たく罵り詰る大人や、何を考えているのか分からない大人、変な笑顔で俺を見てくる人は今まで見てきたけれど。
こんなに目が輝いている大人は見たことが無かった。
真っ直ぐ俺を見つめる伊藤と同じようでいて、岬先生はそれよりもっと穏やかな感じ……うまく言えないけれど……。

俺はそんな伊藤を格好いいと思っている。
そして、生徒のことを大事に想っていてそのためならなんだって出来てしまいそうな岬先生を『格好いい大人』だと、そう思える初めての大人だった。
本当に思っていたことだったが、岬先生は「一ノ瀬くんは優しいからなぁ」と照れたように頬を掻きながらもそんなこと言われてしまった。本当のことなんだがな……。
とにかく俺が本当に昨日のことを気にしていないと言う意志は伝わったようでそれ以上昨日のことを掘り返すのは辞めてくれた。

「一ノ瀬くんこれ……桐渓さんに何かされたら連絡してね、あっもちろん他に悩みがあるのならいつでも聞くからねっ」

それでも俺のことを心配してくれて、そんな言葉とともに岬先生の連絡先の書かれた紙を手渡される。

「……あり、がとうございます。」

変な沈黙の後またしても変なところで詰まりながらも岬先生の純粋な好意が嬉しくて、でも恥ずかしくなって目を合わせず礼を言った。
「どういたしまして」
少しだけおかしそうに笑いながら岬先生はそう返した。
しばらく岬先生の携帯番号とアドレスの書かれた紙をまじまじと見てしまった。

岬先生から手渡された紙をポッケにしまい込んで教室に戻ると『すぐ戻る』と言う俺の言葉を信じてくれた伊藤と鷲尾が昼飯を食べずに待ってくれていたようで伊藤は自分の机、鷲尾は俺の机にそれぞれ弁当を置いている。

「ほんっとお前頭かてえなぁ……。」
「貴様がボーっと生きているだけだろう。」

……うん。周りはどこか2人の会話にハラハラしている様子が見て取れるが、別に何のことはない。ただのコミュニケーションだ。2人なりの。たぶん。

「……待たせた。」
「おーおかえり。」
「戻ったか。」

2人に声をかければ俺の方に顔を向ける。視線を感じながらも席に着いてコンビニで買ったパンとおにぎりを取り出した。

「いつでも俺が作ってやるのによ。」
「そうはいかない。」

よく俺に昨日の夜の残り物を詰め合わせた弁当をくれるけれど、それが毎日となるとさすがに申し訳ない。
伊藤からすると特に造作のないことなのかもしれないが、ただでさえよく晩御飯を作ってくれたり俺の1人暮らしを手伝ってくれたりしてもらっているのだ。材料代はほとんどこっちが払っているとは言え伊藤がなかなか払わせてくれないからたまに伊藤に払ってもらっているときもある。
たぶん伊藤からすると何のことも思っていないのだろうが……親友とは言え『親しき中にも礼儀あり』である。1人で出来ることはしないと。……となると、祖父の遺産を使ってばかりではなく俺自身も働くべきなのだろう……。

「アルバイト、か……。」
「アルバイト……?」
「……したほうがいいんだろうな……。」
「透がバイトか。なにしたいんだ?」
「…………なにができるだろうか……。」

小声のはずなのに鷲尾が聞き返してきたので、特に何も考えず発言していたのでふわふわとほとんどオウム返しに近い反応をしてしまう。
なにがしたいか……と言うより、俺にはなにができるのだろうか。つい考えこんでしまう。

「学生なのだから、別にアルバイトとかしなくてもいいんじゃないか?」

俺の事情を知らない鷲尾が首を傾げて聞いてくるのをみてなんとなく苦い気持ちになる。少しも鷲尾は悪くない。わかってはいるが、どこか解せない気持ちになる。

「あ?てめえ俺の前でよく言えるな。」
「別に絶対に必要な訳でもないだろう?」
「俺にもいろいろ事情があるんだよ。このガンテツ。」
「どういう意味なんだ、それ?」

いつもならここらへんで叶野が鷲尾に突っ込んでそれにつっかかって、湖越が冷静にそれを突っ込んでいるところなのだろうが……それは今はない。
何故なら、今叶野たちはどっかに行っている。たぶん他のクラスの奴らのところで昼めしを食べているのだろうと予想する。2人とも今この教室にすらいない。

あの日から、叶野たちと随分距離が出来てしまった。

進んで叶野たちは俺や伊藤の方にも行こうとしなくなった。そして、鷲尾にも。
挨拶はするし普通に話しかければ返っては来る。けれどあの薄く壁の張った笑顔のままで。距離を取られているのが分かってしまうほどの薄くて透けているけれど強固な壁だった。
そんな常に緊張した状態でいさせるのは疲れてしまうだろうから、俺からも積極的に話しかけるのはやめた。
正直あの日の叶野の取り乱し様は見ていて苦しくなるもので何か重いものを抱えているのではないかとそんな心配もあったが、俺が突っ込んでいってさらに傷つけてしまわないかの心配もあって。
叶野には湖越と言う頼れる親友もいるようだから少しだけ安心している。小室もどこか不服そうにしているけれど何も言わないことに安堵する。
表面上は平和だ。昨日のことなんてなかったかのように。
クラスメイトもなにも言わずに深く鷲尾と叶野に突っ込むことなく各々過ごしている。
時折鷲尾が叶野に対して視線を向けていて、叶野は鷲尾のことを見もせずにいることに気が付かないふりをした。

……なんだかさみしい、な。

前の学園のときより遥かに今の方が楽しいと思うのに。
前まで叶野と湖越とがいたときのに、今はいないのが……寂しい。
前まではここで賑やかに過ごしていたのに、な。前と違うことがひどく寂しくて、少し虚しい。

「勉強だけしていても分かんねえことあるだろ?」
「貴様は勉強しなさすぎだとおもうが?」
「……仲良いな。」

少しだけ虚しい気持ちを2人に見せないように、案外互いのことを見ている伊藤と鷲尾にそう言うと「仲良くない!」と仲良くハモって返ってきたからつい笑ってしまう。


もうじき6月が終わる、そして7月がやってくる。
色んな思惑とともに……残酷に平等にそして優しく時間は流れていく。
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