2章『結局のところすべては自分次第。』


「……いい、よ。許すよ。俺気にしてない、からさ。」

前にいる叶野がそう言った。不自然なまでに震えた声で。

謝って許してもらえなくとも、謝るべきだと昨日一ノ瀬は僕に教えてくれた。
そう教えられたけれど、やはり謝って許してもらえると言うのならそれに越したことはないとおもう。
僕にとって謝罪なんて結果を出さねば結局意味を成さないものと教えられてきて、思い込まされてきたものだったから、父のように言われるのは悲しくて辛いから……やはり僕は弱い、な。到底一ノ瀬のようになれない。
一ノ瀬に謝ったときには『いいよ』と言ってくれた、許してくれた。伊藤は『いつも通りにしてくれ』と言われた、許してくれたのかは正直よく分からないが謝罪を僕に求めていないというのは分かって僕は言われた通りいつも通りに接することにした。もちろん伊藤を傷つけたという事実は忘れるつもりはないが、表面上は、一先ずそうした。
一ノ瀬は僕に笑みを浮かべながら、伊藤は僕に怪訝そうな顔をしながら。
それぞれ僕を見てそう答えをくれた。本音で、こたえてくれた。

「叶野、僕が言うべきなのではないだろうが……」

僕はただ強気で自分に自信があるように見せているだけで別に強い人間ではないのだと一ノ瀬を前にしてそう知ってしまった。僕はあんなに強くて美しい人間にはなれない。
強くない僕は出来ることなら謝ったのなら許してほしい。僕なりに真剣に考えたのだからそこを評価して、それに返してほしいと思ってた。
でも今叶野は僕の望む答えを返してくれているのに、僕は嬉しくない。
顔を上げると震えて不安定な声と同じぐらい、昨日と傷つけてしまったのと同じぐらい青ざめて泣き出しそうなくせに笑みをつくる叶野を見ても、なにもうれしくない。気にしていないと言ってくれたのに安堵もできない。
だって、どう見たって叶野は……、

「僕のことを、許せないと思ってるだろう。」

僕が言うべきではないことは、さすがに僕でも分かる。
僕は加害者で今謝罪をした。叶野は被害者で今謝罪を受けた。それに『いいよ』と叶野は言ってくれた。叶野が(被害者が)僕を(加害者を)許してくれる言葉をくれたのに、僕は叶野の言葉を否定した。
『許す』まで言ってくれたのにそれに否定の言葉を投げかけられるなんて想像もしていなかったのか叶野は僕の顔を見て信じられない顔をされる。
すぐまたあの冷たく壁を作った……否、自分が傷つかないように自分が傷つけないようにするための防壁のような笑顔を浮かべた。
「鷲尾くんは、俺に許されたいんだよね?」
「……できることなら、な。」
さっきもだが叶野は僕の心の柔いところを突っつくように話す。
周りのことをよく見ている奴だから相手の弱いところを突くことなんて叶野ならきっと意識しなくてもできるだろう。
僕は叶野の言葉を否定できない。許されることなら許されたいと思ってしまうんだ。

「ならいいじゃん。俺が許すって言ってるんだから俺の意志でそう言っているのだから、いいじゃんか。わざわざ自分の傷深めることないじゃん。いいよ、俺は許すよ。」

軽薄に笑い笑いながら僕に投げやりにそう言う叶野。今度は声は震えていなかったけど、本心ではない酷く薄い言葉だった。
謝罪だけさせて貰えるなら僕自身は許されなくたっていい、なんて言ったらうそになる。できることなら許されたい。

僕は嘘を言えない。言うつもりもない。
お世辞も空気を読むことも、僕はうまく出来ない。

きっとここはこのまま叶野の言葉を受け入れるべきなんだろう、きっとその方が楽だ。僕にとっては。
だが僕は言う。僕は空気を読めないから思ったままを伝える。また傷つけてしまう結果となってしまっても、僕は。

「それは叶野の本音じゃないだろう。」

本音でぶつかられたい。
謝って『許す』と笑ってくれたのなら僕にとって一番喜ばしい結果だ。
謝っても『許さない』と憎まれるのなら僕にとってとても苦しい結果だ。
後者の結果となったなら、苦しくて辛い。昨日のことを僕は悔やみ続けるだろう。だが、それならそれで仕方のないことだ。
叶野が『自分の意志』でどちらかを選択したなら、僕はどちらの結果でも受け入れるべきだ。
許されるのならもう二度と傷つけないよう心に刻み、許されないのならせめて償えるなにかを考えて行こうそう決めていた。

『叶野自身の意志』を無視して謝られたからって作った笑顔で言葉だけで『いいよ、許す』と言われても僕は納得できない。どっちでもいい、許すでも許さないでも嫌いでも憎いでも、いい。本音じゃないより断然良い。

「っえ、ほんとうだよ?ほんとうのこと……」
「ぼくは……叶野の本当の意志を聞きたい。叶野自身の意見を聞きたい。
叶野の『本当』を教えてくれ。」

泣き出しそうな顔をする叶野に胸が痛んだ。ああ、そんな顔をさせたい訳ではないのに。それでも僕は叶野の言葉を遮った。
僕がこんなこと言える立場ではないのはわかる。僕が誰かに言われたら貴様何様だと言ってしまうだろう。
それでも、もしこれで今度こそ叶野に『許さない』と叫ばれて殴られても僕に悔いはない。このことで叶野の本当を引き出せるならそれはそれでいいとも思えた。
目の前の叶野は荒く肩で息をしている。血走った眼で僕を見ている……というよりも、睨んでいると言った方が適切だろうか。

「俺に、許しを求めていないの?」
「……許してくれるのなら許してほしい。だが無理してそう言われるよりも……本音をぶつけてほしい。」

心から思って許すと言うのと、無理して許すと言うのは違う。
一ノ瀬に許すと言われたときには何も感じなかったのに、叶野の許すという言葉には違和感を覚えている。
どっちも同じことを言っているのにかかわらず僕の感じるものは違っていて、同じことを言う2人の違いは何だと考えれば直ぐ分かった。
一ノ瀬は心から思っての言葉で、叶野は本音じゃないのだと。

「許しを求めていないと言えば嘘になる。
でも、もう僕は叶野を傷つけたくない。無理して笑ってほしくない。悲しんでほしくない。
僕は叶野の本音を聞きたいんだ。許さないでもいい、嫌いでもいい……僕のことなんて、無視してもいい。叶野に僕はそれだけのことをしたんだと言う自覚は今はあるから。
叶野の思ったままを言ってほしいし、やってほしい。
周りや……僕のことも何もかもを気にせずに叶野自身の意志を聞かせてほしい。僕はそれだけのことをしたんだ。」

自分の頭のくせに上手く考えが纏まらない。支離滅裂であることもわかる、それでも少しでも叶野に伝わるよう願いながら思ったままを話した。
傷つけたくない、悲しませたくない。
叶野は優しいから、僕のことを一ノ瀬が許して伊藤にも受け入れられたと教えられていたとしたら叶野も周りや僕に気遣って許すと言ってしまっても不思議ではないことに今気づいてこれなら先に叶野に謝るべきだったかと少し後悔する。
だが時間は戻らない。後悔先に立たず、自分に落胆する。
僕が言葉を発すれば発するほど、叶野の表情は歪む。今にも怒りだしそうにも泣き出しそうにも見える。僕ののぞむものよりずっと険しい顔だった。
でももう無理した笑顔は浮かべていない。
あの壁を張った笑顔じゃない。
そんな表情をさせるつもりはなかったのに、と悔やむと同時に今のこの表情が本当の叶野なんだと思えば、なんてことないとも思えた。

「っ俺は!一ノ瀬くんや鷲尾くんのようにそんなに強くなれないっ」
「……?」

つに叫んだ叶野の声は悲痛だった。悲しんで苦しんで、痛みを知っている人間の声。
だが、僕は叶野の言ったことを理解できなかった。

(本音を話すのに、強さなんているのだろうか)

そう思ってしまった。



前の僕ならば何も考えずそんな言葉を発していたが、僕以外の人間にも過去があって今があって意志があるんだと昨日漸く知ったからそう無暗に言葉を発さない。……少しは前よりましになっただろうか。
僕にとって隠すよりも楽なことでも、叶野にとってそうとは限らないんだとそう知った。

「本音なんてわかんない、わかんないよ!俺にも、もうっ!」

いつも笑っている叶野がこんなに取り乱してしまうぐらいのことを言ってしまったのだとは理解した。
本音の方が楽だろう、そんなに僕に気を遣ったりしないでほしいとそんな意味を含めていたのだが、叶野にとって違うようだ。
僕の意志は矛盾している。叶野をこれ以上傷つけるつもりも悲しませるつもりもなかったのに、作った笑顔を引き剥がせたことに安堵を覚えてしまった。
取り乱す叶野に僕よりも後ろにいる叶野の親友である湖越のほうが驚いているのが見える。長い付き合いである湖越も見たことのない姿、だったのか?分からない。
ついには蹲ってしまう叶野に漸く湖越は動き出した。

「希望、落ち着けっ」

荒く呼吸を繰り返す叶野の背中を労わるように擦る。湖越は僕の方を見た。まるでもう叶野を傷つけるのはやめろ……土足でなかに入り込むなと言われている気がする。
ついさっきまで驚いたように棒立状態であった湖越にそんな視線を受けるのは正直少し苛立ちを覚えるが、これ以上は叶野も冷静ではなく叶野の中の柔らかい部分に刃物を突き立ててしまったかの如く痛いところをついてしまったのはわざとではないにしても罪悪感を覚えていた。
まさか僕にとって普通のことを言っただけのことが叶野がここまで動揺すると思わなかったのだ。なにがあったのか、気になるがさすがにこの場で聞こうとは思えなかった。
ここまでにしておくべきだと判断する。
僕の言葉は、叶野を傷つけてしまうから……しばらく叶野たちと離れるべきなのかもしれない。しばらくがいつになるのか少し怖いが、仕方がない。
でも、一つだけ言いたいことがあった。

「叶野、本当にすまなかった。傷つけるつもりはなかったが……いや、言い訳になるか。すまなかった。
ただ……叶野が本気を出さずテストを受けたことがとても僕にとって衝撃的なことだった。」
「……真面目な鷲尾くんだから、不真面目な俺に怒っただけでしょ?」

僕のことを見ず吐き捨てるように告げる叶野。その背中は小さくて頼りない。胸が苦しくなったが僕の話を聞いてくれることは分かった。

「……それもあるかもしれない。だが、僕は何かとタイミングが悪くてな。すべてを犠牲にしてでも努力して勉強をしてもその結果を出すときに結果を出すためのスタート地点にも立つこともできなかった。
それで、苦しい思いをした。
僕が謝罪しても受け入れてくれなかった、結果を出さないのなら何も意味がない、とそう言われた。
だから今度こそ期待に応えるべく努力をしないといけない、そう思った。
……体調に異変がない健康的な状態に本気を出さずテストに臨んだ叶野に信じられない気持ちになった。」
「……」
「叶野。お前もきっとなにかあったんだろう。
そうやって取り乱してしまうほどのことが、あったんだろう。
そこを引っ掻きまわして傷つけたことには謝罪する。すまない。
でも……」

言うか言わないか迷う、たぶん言うべきではないと言うのはわかるんだ。
叶野をさらに傷つけてしまうことになってしまうかもしれない。分からないんだ。僕は叶野を傷つけてばかりだから。今日だって謝罪するためだけに来たのに、本音で言ってほしいとか偉そうに言った。
でも、しおらしい僕なんて僕らしくないって伊藤が気味悪がったぐらいいつも通りの僕でいてくれることを望んでくれた。叶野が望んでいるか分からないけれど…それでも、僕は言いたい。

「その頭の良さを活用しないのは、酷く勿体ないことだと僕はおもう。」

叶野の偏差値を僕は知らないし、中学どこに行っていたのかも塾に行っていたのかも知らない。一ノ瀬のように生まれ持ったものなのかも分からない。
だけど、少なくとも普通を上回るほどの頭脳があることを知っている。真剣に勉強に取り組んでいるのかいないかも知らないけど、すぐに僕の間違った答えがわかるぐらい知識があるのを知ってる。
その頭脳をフルに活用したらとても良い点数を採ることが叶野は出来るのかもしれない。本来ならば僕にもとりたくてもとれない点数をすぐ採れるかもしれない。
それを使わずに廃れさせるなんて、勿体ない。
嫌味ではなく本当に……純粋にそう思う。
僕の言葉に叶野も湖越も反応を示さないけれど、叶野がビクッと肩を震わせていたから僕の声が聞こえていないわけではないようだ。
今は、もう僕はこの場にいるべきではないことを察する。

「……僕が勝手にそう思っていることだ。叶野を責めている訳じゃない。
加害者が偉そうに長々と時間を貰ってしまいすまなかった。時間をとってくれて帰り道じゃないのに裏門まで来てくれてありがとう。
僕はもう行く。気を付けて帰ってくれ。
……また、明日。」

また逃げるようになってしまうが、僕がこの場にいることを望まれていないのを知りながら居座ることができなくて叶野たちに背を向けて歩き出す。
僕の言葉にやっぱり反応はなかったが……仕方ないことだ。一ノ瀬や伊藤のときのようにすっきりすることは出来なかった。
結局僕はまた叶野を傷つけてしまう結果となってしまった。何一つ解決しなかった。
……本音じゃないのに、許すと言われる想像は全くできなかった。
一ノ瀬のときのようにはいかないだろうと思っていた。
いや、伊藤に謝罪したときも最悪殴られることを想定していたら、予想外のことを言われて驚いたものだが……あれも伊藤の『本音』で『本心』からの言葉だから受け入れることができた。
『自分の本心』じゃなく『自分が望まれる答え』を告げられたときにはどう対処してよかったのだろうか、どう答えるのが正解だったのだろうか……。
あのまま許すという言葉を僕は受け入れるべきだったか?いいや、それだと叶野は傷ついたままだ。そもそも僕は昨日悪いと思ったのなら許される許されない関係なくとにかく謝るべきだと一ノ瀬から教わったばかりだ。
一ノ瀬にこのことを相談したくなったが、叶野の反応を見る限りこれは叶野のなかのすごい奥のほうに隠れていた秘密のことだと思うと簡単に言えるものでない。

今はこのままにしておくべきだ。

どうしたって僕は叶野を傷つけてしまうから。それなら距離を空けた方が良い。……酷く苦しく思うのは、きっと僕は叶野に『友情』を抱いているからだろうか。
いつのまにか。そんな気持ちが育っていた。
今それに気付いても、もう過去には戻れない。それなら……後悔しながら遠くで叶野を心配しよう。そして、いつか彼に償える機会があれば僕は僕なりに償おう。許してもらえなくとも、僕はそうしたい。
ぐっと胸を抑えながら震える叶野のことを考えて胸が締め付けられるように痛くなった。
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