2章『結局のところすべては自分次第。』


今日初めて見た鷲尾くんの顔は昨日の怒った顔でも苦しそうな顔でも悲しそうな顔でもなくて、テスト返却前のようにいつでも自分に自信のある堂々としたものだった。
そんな鷲尾くんを俺は不信に思ってしまう。
昨日あんなに俺に激高して掴みかかってきたのが嘘のように、今鷲尾くんは静かで穏やかだったから。たぶん、テスト返却前までよりももっとずっと穏やかだ。
だっていつもの鷲尾くんなら放課後になって随分経ってやってきた俺らに『なにをちんたらしている放課後になってもう数十分経つ』とか『貴様らと違い僕は時間が少ないというのに』とでも言いだしても不思議じゃない。
それに、呼び出していない誠一郎がやってくることに何のリアクションもないのもおかしい。
いつも通りの表情なのにいつも通りではない態度の鷲尾くんに、違和感がぬぐえない。

「……なにか僕の顔についているのか?」
「え、いやっ……。」

違和感だらけでつい鷲尾くんを凝視してしまった俺に身動ぎしながら問われてしまった。無意識にじっと見てしまったことに気が付いて慌てる。

「で?いきなりこいつを呼び出してどうした?まだ言い足りねえことあるのか?」

慌てる俺をフォローしているのか、いつまでも呼びだした理由を言わない鷲尾くんにしびれを切らしたのか、昨日鷲尾くんを責めたときと同じ口調で誠一郎がそう聞く。
鷲尾くんから朝俺の席を通りがかりに折り畳まれた紙を渡されて、放課後裏門に来てほしいって書かれていたのを昼誠一郎に俺は確かに相談した。
俺だけでは、怖いから。
誠一郎も来てほしいって言う気持ちを、相談というか……察してほしいと願いながら相談という体で手紙のことを言った。
詰られてしまうのも怖いけれど、謝られても俺にとって謝罪は……怖いものだから。せめて一番信頼できる誠一郎に一緒にいてほしかった。
それを察してくれた誠一郎が『俺も行く』と言ってくれたのはとてもありがたくてホッとした。本当のことで嘘ではない。
けれどその荒い言い方ではまるで挑発しているかのようで、鷲尾くんにそう言ったらその言い方に腹が立って話したいことを話せなくなってしまうじゃないか。
一緒についていってほしいと願ってそれを叶えてくれたのに、鷲尾くん話が怖いくせにそんなことを思って誠一郎を叱ろうとした。そもそも、俺が鷲尾くんの顔を凝視して話し出せなかったのに。
でも、俺の心配はいらなかったみたい。

「……いや、すまない。さすがに緊張しているところで凝視されたものだから、なかなか言い出しにくくてな。」

誠一郎の言い方を気にするでもなく言われたことを受け止めて、謝罪までした。
それに驚いてしまったのは俺だけじゃなくて誠一郎もだった。

「これ以上叶野を傷つけるつもりはない。……ただ、きのうのことを……謝罪したい。」
「……ずいぶんと、昨日と違うね。鷲尾くん。」

つい棘のある口調になってしまったのは自分でも分かった。
あまりに昨日までと違いすぎる鷲尾くんに混乱して、そしてどこか醜い感情があった。
俺の口調に誠一郎は驚いていたけれど今自分の目に映るのは鷲尾くんだけ。
今更なんだ、そんな怒りを覚えたのもあったけど、それよりも頭を占めていたのはただ疑問だった。
どうしてそんなに、変わってしまったの?
今までに出したことのない冷たい口調に自分でも驚くほどだ。でも鷲尾くんは俺に対して驚いてはいない。ただ苦しそうな顔をしてた。

「そうだな。たぶん、一ノ瀬に教えてもらったから。」
「……鷲尾くんって一ノ瀬くんのこと気に入ってるよね。」

一ノ瀬くんが神丘学園にいたと聞いて鷲尾くんは即反応した。
そしてこちらに関わり合いになることが増えた。その前にも俺は鷲尾くんに声をかけていた。なのに、鷲尾くんから俺のところに来たことが無いことに今思い至って……どうしてか、苛立ちを覚える。
その苛立ちのままに口が動いた。

「謝罪したいって言うのも一ノ瀬くんに言われてのことなんだよね?」
「……そうだ、一ノ瀬がそう教えてくれた。」
「ふーん。鷲尾くん自身が考えてのことじゃないんだ。」
「……。」

なんでこんなに冷めた言葉が出てしまうのか、自分でも分からない。
ただ、どうしてか……鷲尾くんの口から一ノ瀬くんの名前聞くことや影響を受けているのを分かってしまうのが、嫌な気持ちになる。
痛いところを俺は突いてしまったみたいで、鷲尾くんは口を噤んだ。なんでこんなこと言っちゃうんだろうおれ。
誰にも嫌われたくないのに。誰にももう、嫌いだったなんて言われたくないのに。どうしてこんな言葉出てしまうんだろう。

「……ぼくは、知らなかったんだ。」

自己嫌悪している俺に、鷲尾くんはポツリとつぶやいた。
顔を上げれば鷲尾くんは俺を見下ろしていた。真剣な眼で顔で。

「誰かを傷つけてしまったときに誰かを泣きそうな顔をさせてしまったときに、僕はなにをするべきなのか。
僕は今まで、きっと知らぬうちに色んな人間を傷つけてきたんだとおもう。それに気付かないでいた。
不要なものと切り捨てた。友なんていらない。独りでいい。勉強さえ出来ていればいいんだと、そう教えられてきた。」

懺悔するかのように言葉を紡いでいく。
いつも堂々としていて通る声をしているのに、今随分弱々しい。

「……他の誰でもない、僕のせいなんだと分かっている。
独りで良いと選択したのは僕。勉強だけ出来ればいいと決めたのも僕。
そして、お前……叶野を傷付けたのは僕だ。
傷つけたのはわかった。だけど、今まで知らなかったことを僕にはどうしていいのか分からなかった。
『謝罪する』という選択肢も思い浮かばなかった。
……僕が謝罪して、良くなったことなんてなかったから。結果を出さねば不要なものだと切り捨てられたから……」

そこまで言って、鷲尾くんは一回区切る。
鷲尾くんを見れば唇を血がにじむほどに噛みしめていて、苦しそうで悲しんでいるようにも憤っているようにも、見えた。
俺にとって謝罪されることが怖い思い出であるのと同じように、鷲尾くんにとって謝罪することに嫌なことがあったんだと分かってしまった。

鷲尾くんにとって謝罪は軽くできるものではない、そう分かってしまったんだ。

「けれど、一ノ瀬が教えてくれた。謝罪するのは誠意を見せることであって許しを乞うものではないって、許されなくてもそれでも謝るべきだって。
そう、教えてくれたんだ。確かに叶野の言う通り僕自身が考えた答えではなくて教えてもらったものだ。
だけど、謝り方は全部自分で考えたんだ。それで、分かった気にはなっていけないんだろうが……。」

また、区切る。
次は唇を噛みしめている訳ではなくて、浅く深呼吸している。
そして意を決したように俺の顔を真っ直ぐに見て

「叶野……昨日、酷いことを言って傷つけて悲しませてしまって、すまなかった。
湖越も大事な友人を傷つけて、すまなかった。」

短くも心底昨日を後悔して苦しそうな声で謝罪された。



ああ、どうしよう。
……俺は……許したくない。でもそんな意志を俺は求められていない、求められているのは『許す』『いいよ』の言葉だけ。

謝られたからには、許さないと、気にしてないって言わないと。
そう言うのをのぞまれてきた。今までも、きっとこれから。そうしないと、空気を壊してしまう。俺がしてはいけないことをすることになってしまう。
鷲尾くんは俺に許されることを望んでいる。謝罪することに嫌な思い出があるにも関わらず、俺に謝りたくて謝罪してくれる。俺はそれにかえさないといけない。
鷲尾くんの想いに比べれば、俺なんて大したことなんてない。
俺が我慢すれば、良いんだ。だいじょうぶ、おれは俺を騙せる。押し殺せ。
空気をよまないと。
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