2章『結局のところすべては自分次第。』


「もう頭痛は平気なのか?」

目を開けると俺のことをずっと見ていたのか、結構な至近距離に伊藤の顔があって驚きつつも、質問にこたえる。

「……ああ、もうだいぶ治まった。心配かけて悪かった。」
「気にすんなって。親友だろ。」

少し寝たおかげか頭痛は治まっていた。上半身だけ起こす。謝る俺に気にすんなと一笑された。
あのあと五十嵐先生に送ってもらった後、岬先生のジャージから自分の寝間着に着替えて伊藤に勧められるがままに布団に横になりそのまま眠ってしまっていたようだ。時間を確認する、1時間弱眠っていたようだ。
五十嵐先生から飴を貰って少し気持ちが落ち着いたのか横になったことで楽になったのか車の中で起こった頭痛は治まった。
頭痛の原因は何なのだったのだろうか。
天気が悪いから気圧の影響で頭痛が出ていたわけではないと思う。
短時間とは言え雨に打たれていたから風邪でもひいたかとも思ったけれど、さっき体温を測っても熱も出ていない。
突然、痛んだ。
ただ五十嵐先生が考え事をしていたのか赤信号から青信号になっても車を動かさないから声をかけたとき。
後ろの車からクラクションを鳴らされた。いきなりの大きな声に驚いて半ば反射的に後ろの車を見た、その瞬間に頭が痛くなった。

そう言えば、記憶を思い出そうとしたときに感じた痛みと程度は違えど似ていた気もする。

「……っ」

そこまで考えて、また頭が少し痛んだ。
もしかしたら先ほどの出来事は俺の記憶と関係していることだったのかもしれない。
頭をまた抑えてしまう俺に伊藤が心配そうに見つめているのが分かる。

「無理すんな、ほら横になってろ。」

伊藤に上半身を起き上がらせていた俺を軽く突き飛ばして布団の中に戻された。強引であろう行為だったが、痛みも衝撃も与えず突き飛ばされた経験が初めてで驚く俺を尻目に布団をかけられてしまう。

「熱はねえだよなー……。寝ているしかねえな、こういうときは。」

熱を測るように俺の額と自分の額をそれぞれの手で比べて見てもやはり熱はないようで不思議な顔をされた。
あぐらをかいている伊藤の隣で俺はひとりで横になっているのが正直居心地が悪いのだが、すでに俺だけ眠っているところを見られているのだから気にすることでもないのだろうか。

「……なぁ、透。」
「ん?」

頭にキリキリするような痛みが再発したので少し眠ってしまったせいで眠気はないが、緩く目を閉じる。それと同時に伊藤に話しかけられた。
目を開けるとさっきまでの朗らかな笑顔を浮かべていたのに、今は暗く少し沈んでいるようだった。
何か言いたそうに、でも言葉にするのが怖いのか、しばらく口が不自然に開閉する。どうしたのだろうか。そう思いながらも伊藤が言いたくなる、出す言葉が決まるまで何も言わず静かに伊藤を見た。

「……さっきのこと、なんだけど」

ピリリリリ

やっと伊藤が言葉が決まったようで、俺の目を見てそれを口に出そうとした瞬間、無機質な電子音が部屋に鳴り響いた。
その音の正体はこの場に伊藤と俺しかいないし、伊藤は好きなアーティストの曲を設定しているので初期設定のままの味気ない電子音が鳴り響くと言うことは俺の携帯電話しかなかった。
せっかく意を決して話し出そうとしてくれたのに申し訳ないが、一言伊藤に断って携帯電話に表示されている名前を確認する。……分かってはいたが桐渓さんからの着信だった。桐渓さんの注意を無視して俺が目立つ行動をしてしまったことが伝わってしまったようだ。
このことを注意されるだけならばマシかもしれない。たぶん、桐渓さんのことだから色んなことを持ち出されると思われる。
また……両親のことを言われるのは、苦しい。記憶のない自分のしたことの罪を知らないから、桐渓さんの言うことはやはり本当なのかもしれない、とそう思ってしまうから。
俺の罪なのだから受け入れなくてはいけないのは分かっているけれど。それでも味方してくれる、伊藤がいるから前ほど不安定になったりはしないとは思うけれど、選択肢を与えられたとして進んで聞きたいかと問われれば迷いもせず否と答える。選択肢なんてないけれど。

電話に……出なくては、いけない。
ここのところメールしか来なかった分が今来たのだ。
俺のことは罵られても仕方がない。それでも、俺は鷲尾を追いかけたことを後悔なんてしてない。俺のことを罵られても良いけれど、鷲尾のことを……友だちのことを罵られたそのときだけは。全力で抵抗しよう。
苦々しい顔で決意した、伊藤には話したいことをやっと話し出すつもりになってくれたのに申し訳ないが、きっと長話になるしあまり伊藤には聞かれたくない話だから。
今日のところは帰ってもらおう、そこまで考えて伊藤を見やる。


自分は伊藤のどこの部分を見ているのか、脳が瞬時に理解できず混乱と驚きで固まって呼吸を思わず止めてしまう。

呼吸をすればその息が伊藤にかかるほどの、近い距離。
自分が見ていたのは、伊藤の小さい黒目だったことに今ようやく脳が理解した。
まるで自分の携帯電話を取るかのようなそのぐらい自然の動作で、伊藤は俺の手から未だ鳴り響く携帯電話を取った。奪い取ると言うには優しい手つき。
あまりに普通の行動かのような動作に俺は何の反応を示せずにただ伊藤の行動を見守るしかできなかった。

ピリリ……、
音が止んだ。いつまでも電話に出ない俺に桐渓さんが諦めて辞めた訳ではなくて、伊藤が携帯電話のボタンを押したと同時に止んだ。伊藤が切ったのだ。
そのまま何も無かったかのようにそのまま固まっていた俺の手に携帯電話を置いた。その間俺はずっと伊藤の顔を見ていたが、怒っているでも悲しんでいるでもなくて。

伊藤らしくない何の表情もない静かな表情だった。


「あ、と……悪い、ガキくせえって言われるかもしれねえけどよ。今は……今だけは俺を優先してもらってもいいか?
……いや、あー…電話勝手に切っといて、今更なんだけどよ……。」


苦笑いしながらそう聞く伊藤はいつも俺に見せる気遣いと気安さが半々の表情に戻っていた。
その表情に安堵しつつも、さっきの伊藤の表情は何だったのかと内心首を傾げた。


疑問に感じながらも、伊藤が何かを決意して話そうとしてくれたのを二度も遮ってしまうのは申し訳ないので時間があったときにでも聞いてみることにして、今は伊藤の話したいことを聞きたい。
問う伊藤に頷こうとして……なんだか、伊藤の真剣な話を桐渓さんからの電話に出なくてもいい口実にしているような状況になっているのではないか、とふと思った。
伊藤は俺のことをよく知っててよく見ているから、俺が携帯電話を苦々しく見つめていることに気が付いてしまったのではないか。
問われたことに頷くだけなのは簡単だ。だけど俺は親友の真剣の話を自分の嫌なことから逃げるための言い訳になんてしたくなかった。伊藤はそう感じなくても、この状況は酷似している。気にすぎかもしれない。だけど。
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