このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

2章『結局のところすべては自分次第。』


「お、来たな!よし、とりあえず最寄り駅まで行くからなー。」

岬先生のジャージを身に纏う一ノ瀬がやって来て発車する。
俺に引き摺られて無理矢理車に乗せられた伊藤は年相応に不機嫌そうに後部座席に寝ころんでいたが、一ノ瀬が来たと同時に起き上がって嬉しそうにたわむれている。
二人に声をかけながら車を動かした。
それなりの雨音のなか、後ろから穏やかな話声が聞こえてくる。
会話につられるようにバックミラーで運転に支障がない程度に二人の姿を確認する。

事件のときの伊藤のつまらなそうで何もかもを諦めているかのような冷たい目をしていた姿が嘘のみてえに、くしゃっと笑いながら一ノ瀬と話している。
一ノ瀬はほとんど常の無表情と変わらないようにも見えるけれど、リラックスはしているようで身体から力が抜けて体力を椅子に預けて穏やかな眼で伊藤を見ている。
普通の男子高校生の姿でよく見る光景のはずだが、そんな二人の姿を見ていると心底良かったと言う安堵の感情が芽生えるのは何なのだろうか。母性……父性のようなものなのだろうか……いや俺にはそんなものが出来る日が来るとは。
自分に感心しながらも一ノ瀬のことを観察してみる。
声も震えていないし表情も穏やかで、この間のような不安定な様子は見られない。
岬先生がうまく伝えることが出来たようで一安心だ。伝えていない可能性もなくはないのだろが、見た目に寄らず意志の強い人だからきっと大丈夫だろう。少々生徒側に寄ってしまっているのがほんの少しの懸念点ではあるが。
一ノ瀬のようすは俺から見ても岬先生から見ても安定している。本当に、一ノ瀬が転校してきた日のことがなければここまでつぶさに一ノ瀬を観察することはなかったかもしれない。
桐渓先生の名前を出しただけであれだけ不安定になる一ノ瀬、どう見たって親愛の欠片もない瞳で一ノ瀬を見つめる桐渓先生。
きっと何かあるのだろう。俺は、一ノ瀬の担任でもないからあまり詳しい事情を知らない。桐渓先生がどうやら一ノ瀬の保護者代わりであると言うことぐらいしか岬先生から知らされていない。
俺の眼からすると容姿からも性格的にも血の繋がりを感じないように見えるし、そもそも苗字が違うので複雑な事情がありそうで、たぶん細かく知っているのは桐渓先生と岬先生を除けばあとは校長ぐらいだと思っている。

一ノ瀬の桐渓先生への怯え方は見ていて可哀想になるほどのものだ。
一ノ瀬が引っ越してきて1ヶ月半ほど経つが、転校初日取り乱した姿が嘘のように静かで大人しいものだ。
思えば、最初から。桐渓先生の一ノ瀬を見る目は異常だった。
初めて一ノ瀬と顔を合わせた際、一ノ瀬の背後に桐渓先生がいたとき俺へ向ける冷たい目はいつものことなのでどうだっていいことなのだが、一ノ瀬を見る目が冷たいなんて生易しいものではなく……まるで家族や恋人を殺されたかのように憎んでいる、そんな目だった。
そして、一ノ瀬も。背後にいたからそんな目で見られていることは分からないだろうに、桐渓先生がそんな目で見ていることがお見通しかのように、肩に手を置かれているだけなのによく見れば身体を震わせて怯えているのに、どこか諦めているかのような受け入れているようなそんな雰囲気だった。

正直……俺は知りたい。
二人はどんな関係なのか。
どうしてそんな目で一ノ瀬を見るのか。
そしてどうしてそれを一ノ瀬は受け入れているのか。
どんな、気持ちで受け入れているのか。
どんな理由があるのだろうか。
あえて何も聞かないだけで、本当は知りたいことは山ほどある。

大人が子どもを悪意を以って傷つける道理を、俺は知りたい。

大人は子どもを守るもの。親は子どもを愛するもの。そんな一般論の裏側を。
それを知ることが出来るのなら、子どもを捨てた親の気持ちを少しでも理解できるのかもしれねえな。自嘲気味に内心呟いて、すぐに嗤う。そんな心にも思ってもいないことを内心とは言え呟いた自分を。

「……五十嵐先生。」
「ん?」
「信号青だぞ。」

一ノ瀬に名前を呼ばれたかと思うと伊藤に目の前の信号機を指さされて理解する寸前、後ろの車にクラクションを鳴らされた。

「うお!」

音に慌てて車のアクセルを踏んだ。
赤信号中に考え事に集中しすぎて青信号に気が付かなかった。俺のミスだ。

「おいおい、大丈夫かよ……。」
「いやー悪い悪い!」

大事な生徒たちがいたにも関わらず、自分が不注意起こしてどうするのだ。
事故を起こさなかったいいものの…内心反省しつつ伊藤たちには軽く謝る、天候が悪いせいか俺もちょっとネガティブになっていたようだ。気を付けねえとな。
伊藤は俺を呆れているように溜息を吐く。俺は今度こそ運転に集中しよう。送り届けるはずが事故起こすとか、明日のワイドショーの良いネタになっちまう。とにかく切り替えようと思いさっき考えていたことを一旦シャットダウンする。
「とおる?」
と、同時に伊藤の焦る声が聞こえたので運転の妨げにならない程度にバックミラーで様子を見る。
頭を抑える一ノ瀬とそれを心配している様子の伊藤が見える。

「透、大丈夫か?」
「……大丈夫。ちょっと、頭痛いだけだ。」
「天気悪いせいかもなぁ……ちょっとそこのコンビニでなんか飲み物でも買ってこようか。」
「……大丈夫です。」
「じゃあ、飴をやろう。伊藤、ほら受けとれ。お前も食っていいから。」
「おう。」

少しは気がまぎれるだろうと、助手席に置いていたのど飴を伊藤に手渡した。
天候のせいか、もしかしたら雨にうたれたから風邪のひき始めかもしれないな。最寄り駅まで送るつもりだったが、一ノ瀬のアパート前まで送ることにした。
一ノ瀬は渋っていたが、伊藤に道順を教えてもらい強硬手段をとった。


「歩けるか?」
「……大丈夫だ。五十嵐先生、ここまで送ってもらってすいません。」
「子どもが遠慮するなって!本当ならちゃんと世話してえところだけど、伊藤もいるし大丈夫だろ!伊藤一ノ瀬をまかしたぞ!」
「おう。もちろんだ。」

申し訳なさそうにしている一ノ瀬に気にすることはない旨を伝え、伊藤にあとは任せて俺は学校に戻ることにした。
生徒が具合が悪そうで、かつ一ノ瀬は一人で暮らしているようなものなので後ろ髪を引かれるところだが、一緒にいて気を遣ってしまうであろう俺より一緒にいて気を緩める伊藤のほうが良いだろう。
とは言え、未成年をそのまま置いて行くのも後味が悪い。

「なんかあったらこれに連絡してくれ!出来る限りは対処する!あ、もちろんこの件に限らず何か悩みとかあったら気軽に言ってくれな。」

少しでも自分の中の罪悪感を軽減させようと、アドレスと携帯番号を書いたメモを手渡した。
一瞬変態教師と思われたらどうするかと考えたけれど、まぁそこは同性同士。少し戸惑った様子を見せつつも一ノ瀬は受け取って「……ありがとうございます。」と軽くお辞儀をされる。うん礼儀正しくてよろしい!

「じゃあ、また明日な。具合良ければ学校来いよ!!」

そう言って発車する。あまり滞在してても一ノ瀬の場合気を遣ってしまうだろう。
軽く手を振って一ノ瀬たちと別れた。雨粒はずいぶんと小さくなっていたから、あの距離ならそこまで濡れずに一ノ瀬たちは家に入れるだろう。
それにしても、一ノ瀬が古いアパートに住んでいるのは少し意外だ。美形で礼儀正しく、あの名門の神丘学園から転校してきたと聞いていたせいかどうしても金持ちって言う印象が抜けなかったが違ったようだ。
見た目で判断してはいけないな、そう軽く思いながら学校に戻った。


学校に戻り職員室に入ると、異様な空気が流れていた。俺でさえ戸惑ってしまう、そんな張り詰めた空気感。
俺が入ってきたことを最初はみんな気が付いていなかったようだったが、数人が俺の存在に気付いて『あの二人をどうにかしてほしい』とそんな縋る視線を向けられる。
さっきの一ノ瀬ではないがつい頭を抑えたくなる。
正直いつもは俺の愚痴を言っているのにこういうときに限って縋るのに物申したい気持ちもあるのだが、俺が無視してしまえばあの二人はずっと睨みあったままな気がして、気が進まないが渦中の二人に空気が読めない人間のように近寄り話しかけた。

「そんな見つめ合ってどうしたんですかっ!」

引き攣りそうなのを我慢して大きく笑顔を作って、これまた大きな声で二人の名前を呼ぶ。

「岬先生に桐渓先生!!」

どういうことが睨みあっている二人に進んで話しかけた。……ほんの少し、疲れた気持ちになった。
59/100ページ
スキ