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2章『結局のところすべては自分次第。』

1階トイレにて。個室に入って着替え始める俺と、そのトイレの中にある蛇口のところに寄りかかり俺を待つ伊藤。
トイレの個室は壁が浅い上、人気が無いのでそんな状態でも話すことは出来るなと思い、伊藤に「岬先生には事情を説明したのか」と聞いてみたら、伊藤からそんな返ってきた答えは

「具体的にはまぁ言ってはねえんだけどな。『逃げた鷲尾を透が追いかけに行った。』ぐらいしかな。
細かいことは岬先生には言ってねえよ。当人同士を置いて周りが勝手に状況説明するのってただの告げ口にしかならねえし、こういうのは当人たちが言うべきことであまりこっちが言うとどうしてもどっちかが『加害者』どっちかが『被害者』っていう気持ちが生まれちまいそうだし。」

物凄く端折っているものの一応当たってはいる説明だった。
俺の想像した通りやはり、叶野たちからは上手く説明が出来なかったみたいだ。そこでいなくなった鷲尾と俺とそれなりに面識があるのは伊藤で、彼ならばなにか知っているかも?と岬先生が聞いたのだと思う。
ただ端折った説明だけだからきっと岬先生はあまり理解できていないんだろうな。あまり細かく言えば、まぁ告げ口に似たものになるだろう。
鷲尾は加害者で、叶野は被害者と言う区別も出来てしまうのだろう。岬先生に限って迫害するようなことをするとは思えないけれど、どちらかが『加害者』でどちらかが『被害者』であると言う先入観が生まれてしまう可能性は十分にあり得るから、伊藤のこの返答は間違っていないしきっと一番の答えなのだと思う。

でも、ありのままの真実を伝える権利は伊藤にもある。
伊藤だって、分類でいうのなら今日の出来事において叶野と同じく『被害者』になるのだから。被害者は加害者になにを言っても良い、とまでは俺は思っていないけれど許される風潮はある。
傷ついて苦しめた要因となった鷲尾を落とすことは可能ではあるのだと思う。けれど伊藤はそれをしようとも思わず、ただありのままにあくまでも鷲尾と叶野の問題としている。
少しぐらい傷つけてもきっと誰も何も言えないのに、な。伊藤は普通の声色でそう答えた。伊藤らしい解答だな。その真っ直ぐさが伊藤の長所だと思う。

「で、そっちはどうなんだよ?石どころか岩みてえな堅い頭を持っているあいつと、少しは分かり合えたか?」

あいつ……は、今の状況からすると十中八九鷲尾のことだろう。
伊藤はぶっきらぼうに俺に聞く。今伊藤がどんな表情を浮かべているのか見えないから分からないけれど、その乱暴な言葉とは裏腹に内心鷲尾のことを心配しているんだろうなと想像する。
どんな内容を話したのか。それを伊藤は聞きたいと思う。だけど、すべてを話すことは俺の口からは出来ないことだ。明日、鷲尾は謝罪すると言っていた。
叶野はもちろんのことだが……伊藤にも謝ると言っていたのだから、それを俺の口から言うのは鷲尾の覚悟を汚してしまいそうな気がした。

「……たぶん、少しは。」

伊藤を見習うわけではないけれど、あえて知りたいであろうところを言わず端折った簡潔な説明を伊藤に言う。
分かり合えたか否かと答えるなら多少は出来たと思う。俺の言葉が鷲尾に完璧に響いたかどうかまでは分からないけれど、でも言いたいことは言えたと思う。鷲尾も全部ではないと思うけれど、俺に本心を晒してくれた。
カッとなって言ってしまったのだろうけれど、でも鷲尾が思っていたことを知れてよかったと思う。俺は、鷲尾のこともちゃんと知りたかったから。

「あと……俺に言ったこと、謝ってくれた。」
「透はそれになんて返したんだ?」

謝罪してくれたことを言うと、食い気味にさらに聞かれる。
それに少しだけ驚いて、すぐに謝罪になんて返したかの記憶を呼び起こした。

「『いいよ。』てそれだけ返した。」
「……許したのか。」
「うん。」

鷲尾なりに心から謝罪をしてくれた。だから、それを受け入れた。俺は許した。
そもそも俺は怒っている訳ではなかった……なんというべきか、たぶん、悲しかった。『友だち』にああ言われて。俺を見ているのではなくて鷲尾の中の『一ノ瀬透』像を押し付けられたことに。俺の言葉を聞いてくれなかったことに。
だから、ああしてぶつかり合えて、少しだけだとしても互いのことを知れて、うれしかったし良かったと思う。
難しい顔をして逃げ出したそうに身を揺すりながら、言いづらそうに謝罪の言葉を口にしてくれた。鷲尾は俺の言う通り、鷲尾なりの誠意を見せてくれた。
俺の言葉が通じたことが、鷲尾が俺みたいにならなかったことがうれしくて、その気持ちのまま(決して怒ってはいないけど……)許した。

「……そうか。」

フッと溜息混じりに伊藤はそう言う。鷲尾が謝罪したことになのか俺が謝罪を受け入れたことになのか、どうしてか溜息混じりだったのが気になったけれど、悪くは思っていないんだろうと思う。少々呆れに近い溜息だった気がするけれど、まぁいいや。
ズボンをジャージに履き替えて、濡れた制服をもって個室から出る。誰かの服を借りるのが初めてでなんだか変な感じだった。奇抜な色でもなく無難な紺色だったことに幸いに思う。
教師と生徒とは言えこちらも高校生で成長期もほぼ終えているから岬先生との体格差はほとんど変わらないためサイズはぴったりだ。

「あ、濡れた制服この袋のなかいれとけよ。さっき岬先生に渡されたんだった……。」
「……ありがとう、忘れてたのか?」

出てきた俺を視認して、手に持っていた濡れた制服を見てそう言えばとビニール袋をわたされる。どう持って帰るべきか考えていたところだったからありがたい。
でも今思い出したかのような響きで言うものだから、つい突っ込んでしまった。
そんな俺に照れ隠しなのか困惑を隠そうとしているのか軽く睨まれたかと思えば目を逸らされる。

「……透が戻ってきたのが、うれしかったんだよ。んで、透が濡れているもんだから慌てて拭かないとと思ってたらすっかり忘れてた。……悪いか。」
「……いや。」

拗ねたような雰囲気でそういうものだから、どんな対応していいのか分からない。
自分は何も考えず……荷物を全て学校に鷲尾を追いかけたのだから、当然学校に戻ってくると少し考えれば分かることで、たぶん伊藤も頭では分かっていたと思う。
……俺は。伊藤を置いて行ったことがある。記憶にはなくともそうしてしまったのだ。きっと、それが伊藤の傷となっている。
俺を待っててくれて戻ってきてうれしいと言ってくれる。それがうれしく感じると同時に、申し訳ない気持ちも芽生えて伊藤の顔から目をそらす。

「……。」
「岬先生が呼んでいたことだし、ほら行こうぜ。俺と透の荷物も持ってきてるからそのまま職員室に行って平気だぞ。」
「……ありがとう。」

何から何までしてくれる伊藤に俺は礼を言う。
俺の脳内で疑問が浮かんでしまったことに持ってかれていた。勿論、俺の荷物を持ってきてくれていた伊藤にも感謝してる。
伊藤は、記憶喪失でも俺は俺だと言ってくれた。思い出さなくてもいいとも言ってくれた。俺のことを想っての発言で、俺のことを認めてくれる伊藤に俺は嬉しくて泣いてしまった。
だけど。

伊藤の『想い』は、どこにあるのだろうか。俺のことを気遣っての発言ではない、まっさらな『伊藤の想い』は……どこにあるのだろうか。

なんだか泣き出したくなるような気持ちでとなりにいる伊藤の顔を見つめる。
何も言わず聞かないでくれて、俺のことを待っててくれる。記憶喪失でも俺は俺だと肯定してくれた。
俺のこと、憎んでもおかしくないのに、憎まず恨み言もなくただ優しく笑いかけてくれる伊藤に胸が苦しくなった。
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