2章『結局のところすべては自分次第。』



鷲尾と別れて少ししてポツポツと雨が降ってきたから急いで学校に戻ったのが、裏門に着くちょっと前についにザーッと酷い音を立てて本格的に雨が降った。
裏門から昇降口まで5分もかからないのだが、勢いよく降った雨のせいで昇降口にたどり着くころにはすっかりびしょ濡れになってしまった。
6月、蒸し暑くなってきたと言えどさすがに全身雨に打たれて身に着けている制服も濡れているとなると少し寒くて、無意識に自分の両腕を擦った。あまり意味はないのだが、気持ちの問題である。
軽く水気の含んだ制服と髪を絞ってから学校の中に入る。
下着はギリギリ平気そうだが、靴下も靴もひどいことになっている。
濡れた髪は肌に張り付いて不快である。前髪を乱雑に上げて靴下を脱いだ。このまま上履きを履くのに少し抵抗感があるが、素足で廊下を歩くのも何となく嫌だな、どうするべきか考える。

「透っ」
「あ、一ノ瀬くんっ。」

素足で教室まで歩くことを決めて一歩を踏み出したとき、前方から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「……伊藤に、岬先生。」

そこにいたのは、何も言わずに置いてきてしまった伊藤と帰りのHRをサボる結果となってしまった担任の岬先生だった。
何の相談もなく自分の思う行動をとってしまったことに特に後悔していないが、ほんの少し後ろめたい。
そんな俺に構わず、伊藤は俺の顔になにか被せてきた。うぶ、と変な声が漏れた。

「いつまでも帰ってこないから心配したぞ。あーすげえ濡れてる、まぁ雨やばいことなってるしなぁ……。」
「……悪い。」

伊藤が被せてきたものはフェイスタオルだった。
濡れた俺の髪を伊藤が優しくわしゃわしゃと拭ってくれる。少し気恥ずかしい気もするけれど、何となく居心地が良いのでそのまましてもらうことにした。

「一ノ瀬くん大丈夫?こんな雨のなか大変だったね……。とりあえず僕の予備用のスリッパ、これ使って。あと……ジャージ貸してあげる、ずっとロッカーに置いてたけどきてないから、匂いは平気だと思うんだけど……。」

岬先生は俺の前に用意してくれたスリッパを置いて、岬先生のものらしい紺色のジャージを俺に差し出してくれる。匂いを気にしているようで持っているジャージに顔を寄せて鼻をくんと動かした。

「……いえ、ありがとうございます。」

今日は体育がない日だっだからジャージも体操着も持ってきていなかったので、岬先生の気遣いはとてもありがたかった。
岬先生からジャージを受け取り、感謝の意を表して頭を下げる。そのジャージを持った瞬間石鹸のような香りがして清潔感のある岬先生のものらしい、そう思った。濡れていなければ多少臭くとも別に文句を言う気はなかったけれど、岬先生が気にするようなことはないことを告げるとホッと安心したようだった。

「……」
「?どうしたの?」
「……え、と。」

じっと見てくる俺に岬先生は微笑みながら首を傾げる。
なにか言いたいことがあるのではないか、そう思ったのだ。
後悔はないし悪いと思っていないけれど帰りのHRを迎える前に俺はいなくなった訳で。
態々学校に戻ってきて、しかも俺が戻ってくるのを岬先生は待っていたようだったから、俺に注意したいことがあるのではないかとそう思っていたのだが……。

「……っはっくしょん!」

俺の口から出たのは最早言葉ですらない、寒さからくるくしゃみだけだった。
くしゃみに驚いたのか伊藤の髪を拭く手が止まる。

「大丈夫か?さっさと着替えた方がよくねえか?」
「一ノ瀬くん、大丈夫?」

身を案じてくれる二人に頷いて返して、伊藤の提案通りとりあえず着替えることにした。
スリッパに履き替えて、すぐに戻ってくるだろうから濡れた靴は下駄箱に戻さずそのまま置くことにした。

「一先ず着替えておいでね。あ、あとで職員室に来てね。一ノ瀬くんも伊藤くんもね。」
「……はい。」
「ああ。」

先に着替えさせるつもりだったようだ。
さすがに濡れたまま長話をするのは気が引けるか……考えが足りなかったな。内心反省する。
岬先生はどのぐらいのことを把握しているのだろうか。朝いたのにいなくなっていたのは俺と鷲尾だったから、HRを結果としてサボっていることとなる。
でも、今の様子からすると岬先生は伊藤とともに待っていた可能性が高い。普段通りであればクラスの中心的な存在である叶野や湖越が説明してくれているのだろうが、今日の出来事からするとそれは少し難しいようにも思う。
それなら伊藤に話を聞いている、かもしれない。

「考えこんでねえでさっさと着替えた方がいいぞ?その状態だと風邪ひくぞ。」

……伊藤の声でびしょ濡れの今の自身の格好を思い出す。
濡れた制服によって自分の体温が吸い取れていくのが分かり、勝手に腕が震え始めている。これは、まずい。さっさとトイレにでも行って着替えよう。
ささっとトイレに向かおうとするのを、伊藤は当然のように俺のとなりを歩く。一緒に来てくれるみたいだ、別に着替えるだけなのだからついてこなくてもと思わないでもないのだが、とりあえず俺が言いたいのは。

「……伊藤。待っててくれて、ありがとう。」

何となく、伊藤は俺が戻ってくるのを待っていてくれるだろうと思っていたけれど、本当に待っててくれていた。何も言わず鷲尾を追いかけてしまった俺のことを。
伊藤の優しさに俺は一言礼を告げる。

「当たり前だろ?俺とお前の仲なんだしな!」

そんな俺に伊藤は、快活に笑いかけてくれる。俺は何度伊藤に救われて伊藤の行動に嬉しく思うのだろう。きっとずっとこんなやり取りが続くのだろう。
伊藤は当たり前と言ってくれる行動だけど、俺に取ったらとてもありがたくうれしいことには変わりはないから、気遣ってくれるその行動にせめて感謝していきたい。
そう想いながら俺は着替えるべく1階トイレに向かう。

……岬先生は結果としてだけ見れば勝手にそのまま帰ってしまった鷲尾と何の許可もなくその鷲尾を追いかけた俺のことをどう思っているのだろうか。ふと、少しだけ気になった。
56/100ページ
スキ