2章『結局のところすべては自分次第。』
「…鷲尾くんの期待に沿えなかったのは申し訳ないけどさ、俺はこれが限界なんだよ。」
そのままの表情で叶野はそう続けて、熱くなった頭がさらに熱を帯びたようで、湧き上がる感情のままに叶野を問い詰める。
それでも聞かれたことをはぐらかして突き放すようにこの話題を終わらそうとする叶野に、腹が立って感情のままに肩を掴む手に力を込めると叶野は痛そうに顔を歪ませるのに構わず、湖越が止めに入るまでこのまま僕は叶野を離すことが出来なかった。
そして、僕を突き飛ばすようにして叶野との間に入った湖越に僕の行動の矛盾を突かれ、僕は自分自身の矛盾に気が付くことになる。
何故。一ノ瀬なりに全力でやっていたことを知っていたのに全力でやったことを、僕は一ノ瀬に後悔させるようなことを言ってしまったのか。
何故。叶野が手を抜いたことを僕は一ノ瀬を責めた同じ口で本気を出さなかったことを怒り裏切られたと勝手に感じて、問い詰めているのか。
なにかを言おうとするが、口から出るのは変な呼吸音のみ。
今更、自分は間違っていたのだと気付く。だが、もう遅かった。
湖越はそんな自分のことにさえ鈍感な僕のことを苦々しい表情で見つめて、今まで湖越なりに僕のことを受け入れていたとそこまで告げて、深呼吸のように浅く息を吸って吐いたあと。
「……だけど、今は最低な奴だと思ってる。」
冷たく、僕を睨みつけるように一直線に僕の顔を見てそう言い切った。
一瞬頭が真っ白になる。けれど、当然だ。僕はそう思われることをした。だから……父さんのように僕のことを切り捨てられても僕は何も言えない。
けれどこういうとき僕は友人なんていたこともなければ、こうして面と向かって言われる経験もなかった。
「別に何とも思っていない貴様にそんなことを言われたところで、どうだっていいことさ。」
思ってもいないことを言ってまた強がって、僕は自分の荷物を掴んで逃げるように教室を出る。
まだHRが終わっていないことなんて頭には無かった。
今になってようやく思い出したぐらいだ。
教室を出てしばらくすると走るような足音が僕を追いかけてくるようだった。
僕を追いかけてくるなんて誰だろうか、湖越だろうか、伊藤だろうか。
親しい友人を傷つけておいてなに逃げているのか、そう問い詰めて教室に引きずり戻そうとしているのか、それとも報復か。どちらでも構わなかったしどちらもされても仕方がないことだとも思った。
それぐらいのことをしてしまった自覚ぐらいはある。一ノ瀬も叶野も僕から逃げなかったのに、自分は逃げているのだから。そう、僕は逃げているのだ。逃げるよう、なんて曖昧なものではなく本当に逃げている。誰かを傷つけておいて、誰かに傷付けられたから、僕は逃げている。
なにされたって僕は文句ひとつも言える立場でもない、むしろ罰を受ける側なのだ。なんだって受け入れてやろう。そう心から思った。
けれど、走る足音は一定の距離まで僕に近づいてからと言うもの、その音は止んで次はただ歩いているだけのようにゆっくり歩いている音になった。けれど一定の距離を保ちながら。
なんだ?
僕を責めに来たのではないのか。そんな僕のことを窺うようなその足取りは何なのだ。
そもそもわざわざ僕なんかを追いかけてくる奴は誰なのか。
誰なのか確かめようと階段を降りていって踊り場でくるりと回る際、僕の次に下ってくる奴のことを盗み見た。
艶やかな黒髪に、日本ではほとんど見ない薄い灰色の瞳をした奴。
触らなくても分かるほどの真っ直ぐな髪と不思議な色をした瞳に該当する奴は、一ノ瀬ただひとりだ。
髪と瞳の色は分かったものの一ノ瀬がどんな表情をしていたのかどうかだけは分からなかったが、こうして僕を追いかけるぐらいなのだからきっとそれほどまでに怒っているのだろう。伊藤にも失礼に値することを言ってしまったのだから。
話しかけないのであれば僕は知らないフリを通す。話しかけるのであれば、すぐにでも反応しよう。そう結論付けてしばらく一ノ瀬は僕の尾行をするような形のまま学校を出て裏門を通り、中途半端な時間だからだろうかいつ雨が降ってもおかしくないほどの天候のせいか、誰も人のいない自身の通学路を歩いていく。
そのまま何も話すこともなく、広場に差し掛かってようやく一ノ瀬は僕に話しかけた。どう話しかけていいのか……どう僕を罰するか決めたのだろう。僕は罰を受けるべきだ。
何にしても、一回立ち止まって話すべきだろうと判断して一ノ瀬のほうを振り向くことは出来ず広場へと入る、一ノ瀬は静かに僕についていく。
中に入って周囲には誰もいないことを確認して、僕は相変わらず振り向くことなく、居心地の悪い気持ち悪さを抱えたままに一ノ瀬に早口で捲し立てるように話しだす。
何も考えてはいない。ただこの空気に逃げ出したい気持ちを抑えて、自分が落ち着くがために言葉を紡いでいく。本当はされたくないことを。だがされたくないことをされるのが罰なのだから。
僕の言葉に何も返さない一ノ瀬に少しの苛立ちを覚えながらも、一ノ瀬にどんなことをしたってかまいやしないと僕はそう言った。
道化師を演じているかのような気持ちで、わざとらしく何の気持ちを込めていないまるで相手を煽るかのように手をあげる、自分が見たら苛立つであろう行為を一ノ瀬にあえてしてみせた。
そうすれば、一ノ瀬も激高して罰を与えてくれる、そう思ったから。だけど。
「それは、鷲尾がされたいことなだけだろ。」
言葉に言葉を重ねて挑発している僕に、一ノ瀬はそう言い切った。
一刀両断するように責めるように。でもその言葉に冷たさは無いむしろ優しささえ感じる不思議な声音でそう言った。表情は分からない、僕が見ないように一ノ瀬から背を向けていたから。
何を言われているのか瞬時に理解出来なくて、情けなく声が震えるのを抑えながら「……なにを言っている。」と問うことしかできない。
そんな僕を畳みかけるように一ノ瀬は告げる。静かなくせして、嫌味なほど通る綺麗な声で。
「もし、俺が鷲尾が言っていたことを全てしたとしても。お前の感じているであろう罪悪感は消えることなんてない。自分がしたこと……俺に言ったことも。ぜんぶ。」
…うるさい。
「叶野に言ったことも消えることなんてない。鷲尾がされたいことは叶野を傷つけた罪滅ぼしになんてならない。」
ッうるさい、うるさい…。
「そんなの自己満足だ。傷付けた叶野の意志を無視して、勝手に許された気になるだけ。それだけだ。言われた本人の意志なんて気にしてない。」
うるさいうるさいうるさい。
「ただ自分が、楽になりたいだけだ。」
うるさいっ!!!
淡々とした一ノ瀬の言葉はすべて僕の胸あたり刺さっていく。痛みと同時に、『楽になりたいだけだ』とそう言う、どうして僕のことを分かっているかのようにそう言うのか。
図星を指されていたのもあるのだが、それと同時に僕のことなんか僕じゃないのだからすべてをわかっていないくせに、どうして僕の本当の感情を見ているかのようなその物言いに脳が熱くなった。
そうして熱くなったままに何も考えず叶野のときのように、でも叶野のときよりも激しい感情を抑えきれず、ついに一ノ瀬のほうを振り返り、早足で歩み寄り胸倉を掴み自分のほうに乱暴に近づける。
「っお前に何がわかる、なにを知ったかのような口を利く!お前は僕のことなんて知らないじゃないか!何故そう言い切れる!!」
激高させようとして結局自分が激高しなにも考えられず、何も考えず一ノ瀬にそう問い詰める。感情のままに。でもその感情が怒りと言うよりも、八つ当たりだとどっかの冷静の頭がそういう。
自分が本当に思っていたことを誰にも言われたくないことを指摘されたへの羞恥からも来ていた。
僕に揺さぶられたせいで一ノ瀬のその真っ直ぐの黒髪は揺れる。前が見えにくいほど長い前髪はふわりと揺れて目が見えなかった。
揺れていた髪が本来あるべきところに戻って一ノ瀬の瞳が見えるようになって、僕は息をのんだ。
目の前の一ノ瀬の瞳は掴みかかり歪んだ顔をする僕をその薄い灰色は映していた、そんな僕を見つめるその瞳は、どこまでも悲しそうにもどこまでも優しげにも見えた。
「俺がそうだったから。」
僕に睨まれて掴みかかられて揺さぶられているのにかかわらず、一ノ瀬は抵抗せず……ただ一言そう言った。柔軟剤の匂いなのか分からないけれど、清潔感があって心地よい香りが鼻に残る。
悲し気にでも優しくも嬉しそうにも聞き取れる、声だった。表情は変わっていないのに綺麗な眼は真っ直ぐ僕を見て、不思議な声音で僕に告げる。
そんな一ノ瀬に僕は、今の状況を忘れただ見惚れるしかできなかった。