2章『結局のところすべては自分次第。』



背中を押す梶井の言う通りに、僕は自分の醜い感情のままに行動した。
話しかけてきた叶野も、梶井が意味深に名前を出していたのを考えると成績なんて興味が無さそうなふりしてなにか裏があるんじゃないかと疑い、初めて叶野を本当に無視した。
いつもと違う僕に戸惑ったように見えたが、別に僕一人いつもと違っていても何も変わらない。
叶野も湖越も伊藤も、一ノ瀬も。いつも通り過ごしているように見えた。なんだ、僕なんていなくたって何も変わらないのだ。
無視したのは自分のくせに、勝手に傷ついた。
良い関係だと思っていると一ノ瀬は僕にも言ってくれたが、一ノ瀬には伊藤が常に隣にいる。
親友とかよくわからないと言うが、そんなに一緒にいるのだから自分が自覚していないだけで『親友』と言っても過言ではないだろうと確信した。
よく僕に絡んでくる叶野は湖越だったりクラスメイトだったり他のクラスのやつなり色んなやつの隣にいる。

ひとりでいるのは、僕だけだ。

昼、僕のことなんて知らないと言わんばかりにいつも通りの一ノ瀬たちの姿を遠目で見て、ぐうっと胸あたりが苦しくなった。
いつものことのはずだ。僕は、1人で勉強することが一番だとそう思っていたはずだ。
今が今の今まで望んでいたはずの状況だと言うのに。どうしてこんな引っ掛かりを覚えるのはなぜだろうか。
叶野を無視しておいて、叶野が傷ついた様子がないのが喜ばしいことのはずなのに、どうして腹が立つのだろうか。
そう思うことも出来ず勝手に腹立たしく思う自分はやはり醜い。なんて身勝手なのだろうか。
彼らの姿をこれ以上見ていると自分がどうにかなってしまいそうだった。
すぐに図書室へ移動した。
教室を出る寸前の彼ら……叶野はいつも通りの笑みでグループに溶け込んでいたように思う。窓際、一ノ瀬と伊藤の席に叶野と湖越がいて昼食をともにする姿。
前までは、僕もそこにいたはずなのに。
自分でそうしたくせにそんなことを思ってしまった自分の反吐が出るほどの身勝手さに舌打ちした。

すでに自分の醜い感情に振り回されていた。
一回認めてしまった自分の感情に、どう対処していいのかどう処理していいのか分からない。
自分がなにをすべきなのか分からなくなる。初めて向き合う感情。だが、自分は間違っていないのだ。梶井はそう言っていた。
そうだ、それでいいはずだ。
なにか違和感を覚える。けれど僕は言い聞かす。僕は僕の思うがままに行動していいのだ。みんな思っていてもしないことをやればいい。
騒がしい外の声を聞きながら1人図書室に籠って耳を塞いで呪文のように「これでいい」と呟く。
『これは間違っているのではないか』と疑う自分を抑え込んだ。

叶野を無視し今まで望んでいたひとりになって。変な虚しさを覚えても。
一ノ瀬のテストの点数をクラスメイトの前で大きな声で言ったのは決してわざとではなかったが、自分が思うがままに吐き出した言葉に一ノ瀬と伊藤が傷ついた顔を見て。鳩尾辺りが苦しくなっても。
英語の時間の最中、僕からはよく聞こえていなかったのだが、テスト返却の際後ろのほうの席の名前の知らぬクラスメイトが一ノ瀬のことを見ながら何か言っているのを見て。不快感が胸を襲っても。
『間違ったことしていない、自分が自分の感情の思うがままにやっていただけで、自分は何も悪くない。』と。そう幾度となく言い聞かせた。
間違ってなんかない。不正解を選んでいる訳じゃない。僕は僕の思う通りにやってなにが悪いと言うのだ。僕は間違ってない、不正解を選んでなんかいない。狂ったように、何度もそう思った。

真っ直ぐ黒板を見ながらも先生の話は全く聞けず集中なんて出来なくて、終了のチャイムが聞こえるまで僕は全く集中できていなかったことに気が付くことがなかった。
気が付いたときには授業は終わっていて、ノートは真っ白だったことに絶望感を覚えた。
何をしているのだ、僕は。
自分は正しいとそう言い聞かせるだけで授業を無駄にした。しかも黒板に書かれていることのひとつもノートに書くこともなく。何と言う失態を犯しているのだ。
呆然とまっさらな自分のノートを眺める。
そんな僕の耳に、賑やかな声が聞こえてくる。

「叶野、テストどうだったんだ?」
「あー俺、ぜんぜんだめ!」
「まじかよ。ちょっと見せて見ろよーどれどれ?」
「あ、ちょっと!見ないでー!」

声の正体は名前は知らないが……顔に見覚えのあるクラスメイトと叶野だった。
今近くに湖越は見当たらなかった。伊藤と一ノ瀬は後ろのほうにいるからなにをしているのかわからないが、さっきの英語のとき席を立つのを先生が許さなかったせいか授業が終わったあとに互いのことを確認しているようだ。
クラスメイトが叶野の状況を聞いていて、叶野はそれにオーバーに駄目と言う。クラスメイトは叶野のテストをのぞきこんだ。
まさか。と思った。
勉強会の際に叶野はこの高校の授業でも習っていない僕の塾の課題を解いたのだ。
叶野の言うそれはただの謙遜だろう。それよりもこのなにも書かれていないノートをどうするべきなのかを僕は考えないといけない。
自分には頼れる友人はおらず、朝のときやさきほどの自分の行動から今更叶野や一ノ瀬に見せてほしいなんてどの面をさげて言えるだろうか。湖越も伊藤もそれぞれの親しい友人があんな対応とられたのだから、僕のことを嫌悪しているだろう。
素直に先生に言うべきか。そう判断がつく、そんな手前。

「んだよ、そんな言うほど悪くねえしむしろ良い方じゃん。」
「いやいや、自慢できるほどの点数でもないっしょ……。」
「あー…いや、でもそんな過剰反応するほどでもねえだろうよ。」
「じゃあそっちはどうなの!」
「俺は無理みせれねえー」

なにをー見せろよっ!とクラスメイトにつかみかかろうとする叶野に僕は近寄る。
僕から背を向けていたから叶野は気が付かなかったが、クラスメイトはこちらに近付いてくる僕に気が付いたようで首を傾げてこちらを見ているが、どうでもいい。
今、僕が意識を向いていたのは叶野のテストだけ。叶野が目の前のクラスメイトが自身の後ろのほうを見て固まっているのを不思議に思い振り向くのと同時に僕は叶野のテストをひったくった。

その点数を見て、僕は心底驚いた。
叶野は僕の塾の課題をパッと見て理解出来ていたはずだ。叶野の頭脳はどれほどのものなのか想像もしていなかったがただ曖昧に、普通よりはいいはずだとそう思っていた。
それなのに。僕の想像に反して叶野は決して世間一般からすれば悪いとは言われない点数ではあるものの、叶野の頭脳のことを考えればこんなものではないだろうと、そう思ってた。
父さんに初めて見放されたときと同じ点数のテストに既視感を覚える。あのときと同じような胃の痛みと嫌な胸騒ぎ。そして、梶井が言っていた……。

『さすがは、天才って感じぃ?うらやましいよねぇ。あ、おれはべつにうらやましいなんておもってないけどっ!
わしおくんやーあと叶野くんもかな?きみらからすると羨ましくて仕方ないよねぇ。』

梶井は僕の名前だけではなく叶野の名前も出していた。
どうしてなのかそんな疑問しか朝は持たなかったが、今は違う、いや違わないのだろうか。このとき僕は混乱していた。
テストの点数、どうして叶野はこんな点数なのか、そうじゃないだろ、どうして梶井は天才である一ノ瀬を叶野は羨ましくて仕方がないと言っていたのか。
短時間で色んなものがぐちゃぐちゃになって、纏まらない思考のなか叶野は青ざめた顔で僕を見ていた。
どういうことなのか、もう自分には分からなかった。でも、叶野に裏切られた。そう感じた。だって、叶野はあのとき僕の間違いを指摘していたのに、それよりも断然簡単な文法でさえ間違っていて。
僕はこう思った。

叶野は、本気を出していないのだと。僕の脳はそう答えを出した。

その頭脳を生かすことなく不真面目に取り組んでいたのだ。勉強会まで開いていたくせに。とんだ、茶番じゃないか。
そんな答えを見つけ出してしまった瞬間、

「どういうことだ、叶野!!お前が、そんな点数な訳ないだろう!」

気付けば叶野のその軽くなで肩のそれを強く掴んで真っ直ぐに叶野を見て責め立てていた。
僕は叶野を責めていた、裏切られたと思い込んだ。でも、それ以上にどうして手を抜いたのか聞きたかった。それだけだった。けれど叶野は

「……鷲尾くんは、俺を期待して評価しすぎだよ。俺はこんなものだよ。」

僕に目を合わすことなく、青い顔のまま自嘲気味に癖なのか少し笑みを浮かべた表情でそう僕を突き放すようにそう言った。
その笑顔はいつもの楽し気なものではなくて、頭にこびりついて離れなくなるほど、虚しい表情だった。
あきらかな作った顔。それは、目の前に目に見えない薄くて強固な壁がはられているようだった。
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