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2章『結局のところすべては自分次第。』


「ん~おれがいるのにかんがえごと~?」
「……うるさい、用がないのなら先に行く。」

上目遣いで明らかに高くした猫撫で声で鬱陶しく絡みついてくるのを僕は切るように振りほどいた。香水なのか何なのか分からないけれど、むせかえるほどの甘ったるい匂いに鼻がマヒしそうで距離をとる。
そのまま先に行こうと、梶井に追いつかれないぐらいの早足でその場を立ち去ろうとする寸前。

「わしおくん、あの~?えっと転校生。かれなんてなまえだったけ?あの神丘学園から来たっていう美形の天才くん。」
「……一ノ瀬だ。」
「あ、そうそう、いちのせくん。いや~かれすごいよねぇ。ものすごーくあたま良いあの神丘学園で学年トップを小学校のときに転校してきてからずーっと維持したまんまだったんだって!しかも!国語以外の教科は満点でさ!!」
「……!」
うすうす、一ノ瀬は他と違うとは思っていたが、まさかそこまですごいやつなんて初めて聞いた。順位はどのくらいなのかと聞いたとき、一ノ瀬はそれに答えようとしなかったから、知らなかった。
何故梶井が知っているのかなんて、そんな疑問はその時の僕には思い浮かびもしなかった。ただ上には上がいて、その上が自分が上回る予想すらも出来ないほど格上であるその現実を受けいれようとするのに必死だったから。
黙り込む僕がなにがおもしろいのか笑みを浮かべながらなおも言い募る。

「さすがは、天才って感じぃ?うらやましいよねぇ。あ、おれはべつにうらやましいなんておもってないけどっ!
わしおくんやーあと叶野くんもかな?きみらからすると羨ましくて仕方ないよねぇ。」
「……かのう?」

小ばかにしたような梶井の言葉に一つ引っ掛かりを覚えた。
僕のことを言うのは癪だが分かる。だが、何故この話題で叶野が出てきたのか分からなくてつい聞いてしまった。
梶井はわざとらしく「あっいっけなーい。これはみんなに秘密のことだったなぁ~聞かなかったふりしてちょー」と棒読みでそう言った。
なにが。
どうしてこの話題にわざとらしく意味深そうに叶野の名前が出た?
今にして思えば、梶井は叶野のことを気になるように仕向けていたのかもしれない。
そもそも何故梶井が一ノ瀬のことも叶野のことも僕のことも、そんなに詳しいのか。それを聞こうとする前に梶井は

「とにかくさ!わしおくんはいちのせくんに勝てないよね~1位に固執するわしおくんが苦労してでも取れないのにね!
でも、いちのせくんはさ!とくに1位に固執しているわけでもなくて、苦労もせず普通にしているだけでとれるんだもん。神様がいるならほんと不平等だよね~そう思わない?」

そう、大きな声で言った。
まるで道化師のように鬱陶しく躍るような身振り手振りを加えながら、歌う様に。
梶井の浮かべる笑みは、変わらない。
口角は上がっているくせに、何の感情ものせていないかのような冷たい目のままだ。
一ノ瀬の綺麗で冷たくも感じる無表情より、梶井の表情のほうが恐ろしかった。そして、なにより。梶井の言っていることが……僕がこれからそう思ってしまうであろうこと、代弁してくれたのが……救いのように感じた自分が今となっては恐ろしい。
よくわからない自分のなかに燻っていたものの正体を梶井は教えてくれた。梶井も僕の思っていることを代弁してくれたと言うことは梶井もそう思っていることだと、勝手にそう思った。
別に、梶井は代弁しているだけなのに、な。

「絶対的な天才を前にするとさ、頑張っている凡人は霞むんだよねぇ。とくにわしおくんは分かってるよねぇ?これ以上ないってぐらいの現実的主義で、頑張って努力をし続けてきたのに結果を出すことが出来なくて。
挫折を知っているきみにはさ。」
「……」
「悲しいねぇ。どうしてこんなに頑張っているのに、1位になれないんだろ。どうして、一ノ瀬は簡単に自分が欲しいものをとっちゃうんだろうねぇ。何の苦労もしていないようにしか見えないのに。」

ふざけた雰囲気から一変して、次は諭すように静かに哀れむように話し出す。
僕のことをどこまで知っているのか。そんなことはもうどうでもよかった。何度も、梶井は僕が一ノ瀬に勝てないと言う。刷り込むように、何度も。嫌味にならない声音でそう言う。
心底哀れんでいるように聞こえる声音で。


そうだ。一ノ瀬は……ずるい。悔しい。羨ましい、どうして。

僕が欲しいものを、すべて持っている。
努力し続けている僕が望んでいても貰えないものを、どうして一ノ瀬は簡単に特に望んでいるようにも見えないのに、貰えているんだろうか。
どうして、どうしてどうして。苦しみながら努力する僕よりも一ノ瀬は上にいる。僕より勉強していないのに、僕より遊んでいるのに、僕より、楽しそうなのに。
ずるい、僕にないもの挫折してしまったものすべてを持っている一ノ瀬が。妬ましい、羨ましい。僕もああなりたかった。そうなれば僕はもっと父に褒められたのに。僕を認めてくれたのに。悔しい。

「……憎い。」

そう心のなかにいた醜いものを吐き出した瞬間、一ノ瀬に感じていた『友情』に近い感情が塗り重ねられ、醜い感情が僕の心を満たした。それが少しだけ怖かった。自分ではない自分になった気持ちになった。
梶井は今までに感じたことのないほどの強い感情に恐ろしく感じていたのを察したように、宥めるようにわらう。

「その『憎い』と言う感情のままに行動しちゃえばいいんだよぉ。だいじょうぶ、だれにだってそんな感情生まれるよ。ただみんな行動に移せないだけ。でも、わしおくんはそんな弱虫じゃないでしょ。」
「ああ。僕は……みんなと違う、努力してきた。」
「そうだよ。鷲尾くんは頑張ってきた。その頑張ってきたのを踏みにじるようなやつになんだってしていいんだよ。」
「……そう、なのか」
「うん、いいの。」
「そうか。……良いのだな……。」

梶井の言葉に僕は勇気をもらう。自分は何一つ、間違っていないのだと錯覚した。梶井のその甘い匂いが麻薬のように僕の脳を犯していく、さっきまで不愉快に思っていた匂いが何故か落ち着くものにも思えた。
僕は感じたことのない感情を誰しも味わっているものに安心した。そして思ったことを行動できないやつと自分は違うのだとそう強く出れた。
梶井の言葉が救いのように感じた。
……今は、幾つもの顔と声を使い分け、馬鹿にしたように話したり哀れむように話したり宥めるよう僕を上手く使う梶井に恐怖を感じる。
僕の弱いところに付け込み、受け入れ宥めて諭す。でも、今考えると梶井は自分の意志は一つも言っていなかった。あと……顔も声も変えていたが、あの瞳だけは温度を感じなかったような気がした。
朝の僕は梶井の言うことすべてが正しいように感じた。……先に行く僕のことを梶井の笑みがさらに深くなり、その瞳がさらに冷たく僕のことを見ていたなんて知らなかった。
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