2章『結局のところすべては自分次第。』
けれど。
一ノ瀬に教えを乞うたものの、それが自分の首を絞めることになった。
教えてもらえれば貰うほど、僕と一ノ瀬の思考は全く別物と言うことを痛感せざる得なかった。
一度どこの塾に行ったと聞けば、一ノ瀬は塾にも予備校にもいったことがなければ家庭教師に教えてもらったこともないと言う。
使っている筆記用具もどこにでも売っているものであり、勉強も最低限しかしていないようだった。
前の学校のときは勉強しかしてなかった、と言っていたけれど本当かどうかはわからない。ただの謙虚の可能性も高いのだ。
昔から伊藤は一ノ瀬のことを知っているようで、あいかわらず頭がいい、などと言っているのを見ると『天才』と言っても過言ではないのではないかと思う。
僕は焦った。
努力してなんとかなる以前の問題と言うことを痛感した。
どれだけ努力したって、僕は一ノ瀬に勝てることは一生ないのではないか。僕が一ノ瀬のことを上回る予想すらも出来ない。
朝登校するときそんな悩みに直面して、モヤモヤしながらバスに揺られた。
『一ノ瀬の頭脳が羨ましい、ああなりたい。』そうは思っていた。妬ましくて、僕に持っていないものを持っている、一ノ瀬が羨ましくて仕方がなかった。
けれど本人にあんな風に当たるなんてことは考えていなかった。
友だちとは何なのか、僕にはいないからよく分からなくて、一ノ瀬も分からないけれど僕とのことを『良い関係』だと言ってくれた。
僕も、一ノ瀬のことを羨ましいと思うと同時に……僕の言うことに眉を寄せることも怪訝そうな顔一つせず受け入れて静かに話を聞いてくれる、一ノ瀬とともにいることを悪くないと思い始めていた。
叶野の絡みも今ではそんなに悪いものでもなくて案外湖越も伊藤も話しやすい、そう思うようになっていた。
彼らの近くにいるのが嫌ではないのだ。もちろん勉強が一番大事だと思っている。けれど、彼らと過ごす時間を長くとりたくなってきたのも事実で。
これが原因で成績が下がってしまっていたらどうすればいいのだろうか。
そんなことを考えながらバスを降り、学校に向かう途中。
後ろから誰かに肩を軽く叩かれた。
僕に進んで話しかけて肩を気安くたたいてくる奴なんて叶野ぐらいしか思いつかないが、叶野は電車で僕とはまったくの逆方向のはず。
誰だ、と訝しむ顔を隠すことなく振り返った。
そこにいたのは、濃い茶色の天然なのか人工的なのかファッションのことに疎いから分からないがウェーブがかかっている髪に、遠めからは黒だと思っていたがよく見ると深い紫色の瞳が印象的な、こいつは。
「……梶井」
となりのクラスの梶井信人だった。緩く笑みを浮かべるその顔はなにを考えているのか、一ノ瀬と違った意味で読めない。
「おっおれも有名人だね~。おれのこと知っててくれてうれしいよ~わしおくーん。」
「……僕に何か用か?」
警戒心を隠すことなく簡潔に要件を問う。
梶井信人。ある意味有名人だが、顔をこうして合わせて話すのは初めてだ。何故僕のことを知っていてかつ、僕にわざわざ話しかけたのか。同性で同い年で同じ高校でとなりのクラスの生徒ぐらいしか接点なんてない。
いつも口元が緩くて常に笑みを浮かべていて、僕も垂れ目の部類だが……何故か目付きが悪いと評される僕と違い、緩やかな笑みに合う穏やかな印象を与えられる。
そのだらけた姿勢のせいもあるのだろうか。緩くかけられたパーマがそう印象付けられるのかどうかはどうでもいい。
とにかくその容姿だけならば、きっと叶野と同じぐらい『接しやすい』部類なのだろう。
けれど、水咲高校に通っている奴ならみんな知っている。
1-Aの梶井信人は『おかしい』のだと。
見た目だけなら人畜無害にしか見えないが、中身は『爆弾』と言うことを皆知っている。
伊藤の起こした暴行事件の黒幕はこいつだからだ。
何故知っているか。バラしているからだ。
誰かが梶井がやったとかバラした訳でも、梶井と手を組んでいた奴が裏切られた訳でもない。
自ら、名乗り上げたのだ。
『いとーくんの起こした事件ね、あれおれのせいだからー。おれがくろまくでっす!いちねんえーぐみのー梶井信人くんがやりました~。ごめんなさーい。』
事件が起こった二日後、態々校内放送を使って、あきらかに反省なんてしていない何の重みのない言葉でそう言った。まるで小学生のような謝り方が、逆に恐ろしかった。
『でもさ~み~んなさ!いとーくんの話を聞かずに悪者扱いなんだよねぇ!『あの顔いつかやると思ってた』てさ!それ聞いてておれがはずかしくなっちゃったよん!
とんだふうひょーひがいだよねぇ。
あはは!ざーんねん!『伊藤まじ怖いよなー』と聞かれてそれに『そうだねー』頷いたおれがこの事件のくろまくですよー!あははその驚愕に歪んで顔面崩壊してる表情、さいこーだよっそれはさいこーにおもしろいよー!A組の西くん!!』
まるで見ているかのようなそんな梶井の話し方にクラスメイトたちは辺りを見回す。A組の西のことなんて知らないが、梶井はどこまで見ているのかわからない。どこかに隠しカメラでもあるんじゃないかとそう思っての行動だった。
『そんなバカみたいに顔ふらなくていいよぉおもしろくないしー。』
つまらないものを見た子どものようにそういう梶井に冷静さをクラスメイトは取り戻したようだった。クラスはざわつき始める。
『あははーきょうのとこはこのぐらいにしておこうかなー。また忘れられたころにやってきますよっ!それではまた次回をおたのしみに~。みなさまに楽しい学校生活をお届けにまいりますよ~』
そう締めくくって、ぶつりと放送が切られた。
この一件で、伊藤は被害者で梶井は加害者だと言うことを僕たちは植え込まれた。
とはいえ、いくら伊藤が被害者側だとしても元々その目付きの悪さとその髪色と制服を着崩しており不愛想なので事件が起こる前から、疎遠気味でありあの事件の際には見ていて引くぐらい暴れていたのは事実のうえ、先生に連れられても平然とした顔をしていたものせいか伊藤に積極的に話そうとするのはお人好しの叶野ぐらいのものになった。
伊藤は恐れられる存在になり、梶井は『狂人』として扱われることになったのだ。
そして、その『狂人』は目の前にいる。