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2章『結局のところすべては自分次第。』


『勉強は義務だ。当たり前にやるべきことだ、そしてそれは結果に出なければすべて無駄だ。』

常に父にそう教えられてきた。物心ついたときにはすでに言われていたことだった。
父は勉強を義務なのだと言った。結果が良ければそれでいい。その過程などどうだっていい。勉強がすべてなのだと、勉強は裏切らないのだと、言い聞かせられてきた。
幼いころは……正直よくわからなかった。ただ、ちゃんと勉強をしていれば母に褒められたし、結果を出したらいつもは厳しい父も頭を撫でて褒めてくれた。
けれど、あのころは普通に遊ぶのもしていたと思う。保育園のころは誰かと遊んでいた記憶も薄らだが、ある。むしろ遊びたいと思っていたことのほうが多かったように思う。いつのまにかそんなことも思わなくなってしまったけれど。
いつから。
いつから、僕はこんなに……勉強に熱心になっているのだろうか。他者とのかかわりを捨てて、勉強を続けていた。
勉強は自分を裏切らない、耳にたこが出来るほど聞いた言葉。塾の先生も家庭教師も父親も、そう言っていた。
その言葉を今の今まで疑ったことも疑問に思ったことはなく、当然のように受け入れていた。
でも、本当に……勉強だけをすることが大事なんだろうか。
馬鹿と一緒にいるべきじゃない、こんな誰にでも通える高校の連中と関わるべきじゃないとも言われた。けれど、僕より勉強の出来る一ノ瀬はいつも伊藤とともにいる。叶野も湖越や他のクラスメイトともにいる。
『友だち』といるではないか。
決して1人でいることを恥じる訳ではない。誰かと慣れ合いたいとも思わない。

ただ……今日一日1人でいて。
誰とも関わらず自分の勉強をただひたすらはぐくみ、次の塾のテストの結果を出そうと努力する。そんな自分が望んでいた状況のはずだったのに。
胸に穴が空いたかのような、寒いような感覚を持った。随分昔にも味わったような気もする。いつ、どこでだろうか。
緩く目を閉じて思い出そうと試みた。



僕は、父も母も大好きだった。
いつもおだやかに笑ってくれる母に、厳しいけれど望む結果を得れれば褒めてくれる父の間に生まれた。
物心がついたころから言われていた父の言葉は厳しいものだったが、幼い僕に向けるその口調は穏やかなものだった。
言われた意味は当時よくわかっていなかった。けれど、父の言うことは間違いなんてないものだと、そう思っていたから僕はそう言う父に何も考えず頷いていた。
その言葉の意味が分かってきたのは、小学生のときだった。

1回。たった1回。自分の努力が及ばず、83点……奇しくも叶野の英語のテストの点数と同じだった……そんな点数を採ってしまった。
傍から見れば褒められることもある点数だっただろう。実際母は難しいのにこの点数はすごいわよ、とも言ってくれたけれど……父のなかでの合格点を大きく下回っていた。
確かに他者から見れば十分採れている点数であり誇れるものと言ってもおかしくないだろうが、そんなの関係ない。
父に認められなければそれ以外の価値なんて、何の意味の無いものだ。だから、母の言葉が何の力のないものにしか思えなくて、カッとした衝動のままに母を罵った。

「うるさい!こんなの、父さんに見せれない!!母さんが良くても、父さんが良くないって言うよ!
そんな慰め、いらないよ!!無責任なこと言うの、やめてくれよっ!」

母にそんなことを言ったのは、叫んだのは、あのときが初めてだった。
慰めるように優しく頭を撫でていたのを振り払ったのも、あんな悲しい顔をさせてしまったのも。
母は申し訳なさそうに「無責任なこと言って、ごめんなさい。」とそう言ってそっと僕の部屋から出ていったあと、罪悪感に苛まれた。
僕は母が去った後、ベッドの中にくるまって後悔した。後悔したあとすぐにどうしよう、父さんになんて言おう……と絶望的な気持ちになった。

母が、叫んだ僕をどんなに心配していたのかなんて。幼い僕にはわかりやしなかったんだ。


父が帰ってきて晩御飯に手を付ける前に「あとで父さんの部屋へ来なさい」と、僕にテストを見せるよういつもと同じように命令する。
僕は怯えながら頷いた。
いつもと違って僕のテストの点数が良くないことを、怒られるのが怖かったから。

震える足でなんとか父の部屋へ僕は赴いた。
本当は逃げたくて、お腹が痛くて吐きたくなるのを必死に我慢しながら、僕は父の部屋の扉を数回叩いた。
父が留守でありますように、と叶わない願望を唱えたけれど、僕の願望とは裏腹に父が返事した。足と同じように震える手で父の部屋の扉を開けた。



父の目を見ずに「ごめんなさい」そう謝りながらテストを手渡した。
いつもと違う僕にどう思ったのかは分からない。だけど、テストの点数を見たのであろう瞬間に聞こえてきた父のため息に、僕はどうしてか悲しくなった。

「……和季が頑張って努力しているのは知っている。」

僕の予想に反し、父は怒鳴ることはなかった。それどころか僕がしてきたことを認める発言をした。怒ってはいなくとも、許されているのとはまた違うと言うのは幼い僕には理解できていなかった。許された、と勘違いした僕は顔を上げて父の顔を見た。
すぐに見なければよかったと後悔した。
父は決して、悲しみで、怒りで顔を歪ませている訳ではなかった。いっそ、そっちのほうがよかったのかもしれない。だって。

「だがな、その結果を出せなければ頑張りも努力もすべては無駄なんだ。謝罪なんて、何の意味もないものだ。結果さえ出せばそれでいい。結果を出せなければそれまでだ。」

父は僕と同じように僕のことを見ていなかった。ただ、僕のテストの結果だけを鋭く凝視していた。
……ああ、この目。一ノ瀬に見られたのと少し似ていた。どこかで見られたことのある目だと思ったら、そう言うことだった。けれど、少し違う。一ノ瀬の眼は……優しかったな。
父に無表情で。淡々とそう告げられる。呆れているようにも、聞こえた。怒鳴られた訳でもないのに、僕の瞳から涙がこぼれた。テストを見せる前みたいに恐怖から、ではなくて。
僕を見ないのが、僕の存在を否定されているような気分だ。どうしていいのか分からない波に襲われたような、そんな気持ちになった。
苦しい。かなしい。

結果が、ないと駄目なのか。

「このままじゃ神丘学園へ入学は絶望的か。……家庭教師と塾の時間を増やそう。今週に3回の塾に1回の家庭教師だったな。勉強なら運動と違っていくらでも出来るから、土日祝は1日勉強するように。塾や家庭教師がある日も予習復習を絶対すること。いいね?
和季は、これ以上父さんに呆れられたくないよな?言うこと、聞けるね?」
「……はい。」
「うん、良い子だ。母さんには私から言っておこう。母さんが週末ぐらい休ませてやれって言っていたからそうさせたけど、これじゃどうしようもないからね。
和季、勉強は義務だ。友だちなんて必要ない。勉強さえできれば生きていけるんだから。」
「……はい。」
「今度こそ、良い点数を採って。私を安心させてくれ。努力しなければ結果を出せないのだから、一生懸命やるんだよ。」
「はい。」

このとき、既に父が言っていたように月火木に塾で、水曜に家庭教師が来ていた。母さんの以降のおかげで週末は勉強するかどうかは任意と言う形をとっていた。
本音を言うと、これ以上勉強なんてしたくない、休みたいと思ったけれど……義務とはよくわからなかったけれど、ただ父にもう呆れられたくなくて。褒めてほしくて。僕はただ、父の言うことにうなずくだけだった。
うなずく僕に父は嬉しそうに笑ってくれたから。だから、これが正解の答えなんだと、そう思った。
どこか、胸あたりに穴が開いたかのような、そんな感覚に襲われたけれど。でも、人の胸に穴が勝手に開くわけがないから、きっと気のせいだ。
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