2章『結局のところすべては自分次第。』
罪は罰されるもの。それを逃げ道にしようとしていたこと。
友だちは何たるかを延々と考えて、行動も出来ないのをそうして言い訳した。いや、言い訳は少し言いすぎ、か。
勉強と違って理解してからそれを答えにするのとは全く別物だから。俺と同じで、勉強ばかりしてきたから。勉強だけしか知らなかったから、だから……怖いんだと思う。
間違っているかもしれない答えをそう自分が定理するのが怖いから、それが違ったとき恐ろしいから。俺も一緒。でもそれでも。
「……それは、そのときになってから考える。」
真っ直ぐ鷲尾の目を見て俺は答える。
いつも凛々しく表情も変えず、堂々としている鷲尾とは打って変わって、自信がなさそうに俺をうつした。鷲尾の真っ黒な瞳の中で俺の姿はどう映っているのだろうか。
「考えすぎるのは、やめる。
俺は……友だちだって言う、この関係の名前を『友だち』と言う答えにする。考えすぎるのも考えなさすぎるのも、良くないんだって言われた。
確実な答えは無いんだと言われた。それなら、俺は『友だち』だと言いたい関係を『友だち』と評することにした。
鷲尾が俺と友だちなのが嫌だと言われたら、また考える。」
「……無茶苦茶、じゃないか。かんがえるのが、にんげんの特権だと僕は思っているとそう前に一ノ瀬には伝えたのに、それでもお前はそう答えるのか。」
「考えるのが人間の特権だと言うのなら、考えずに行動するのは生きとし生けるものがすべて出来ることだろう。人間の特権って逆を言えば考えすぎるってことだろう。
たまには何も考えずに決めつけてみるのも有りだろ。」
「とんだ、屁理屈だな……。」
「お互い様だろ。……それに、そういうのは考えすぎるなと言うのは叶野から教えてもらったことだ。」
一瞬だけ鷲尾に叶野の名前を告げるのに躊躇ったけれど、隠すことなく告げる方を選んだ。俺は本当のことを言っているだけで、俺の答えを導いてくれたのは叶野であることは事実だ。
俺一人では自分なりの答えも見つけられなかっただろうから。鷲尾と同じように答えにたどり着くことも出来なかったから。
「かのう、か。」
低い声で彼の名前を呼ぶ鷲尾。叶野の名前を出すとすぐに俯いてしまったためその表情はうかがえなかったけれど、きっと後悔しているんだと思う。
後ろめたそうに視線を合わせないのが何よりの答えだ。
「……とにかく、お前と僕が友だちかそうじゃないのかなんて今はいい。
お前は僕にさっき自ら望んで罰されることが自己満足だと言う。楽になりたいだけだと言う。
それなら、僕は何をすればいい。傷付けたのなら、僕はなにをしたらいい。」
友だちかそうじゃないのかは今は確かにどうだっていいことだ。本題から随分とずれてしまったことに気が付いたようで鷲尾は軌道修正したのを受け入れる。
鷲尾は俺の言うことを受け入れてはいないもののとりあえず一旦は飲み込んで、代替案を求める。
人を傷付けてしまった場合、第一に何をするべきなのか分かっていないようだった。
鷲尾はどれほど、人と関わってこなかったのだろうか。ずっと、誰かといることが無かったんだろうか。誰とも関りを持たず、延々と勉強をずっとし続けていたんだろうか。
哀れんでいるわけではない。だけど、それはあまりに寂しいこと。
どこまで、良く似ているんだろうか。鷲尾には俺のようにはなってほしくない。
『友だち』に俺のようになってほしくないんだ。
鷲尾のすることやどんな意志を持つのも、意見されるのも悪いことだとは思わない。
故意に人を傷つけるのは良くないことで……どうしてか俺に言ったことと叶野に言ったことの矛盾があって、褒められるようなものではないけれど。
湖越に最低だと言われて何も思っていないふりをしつつも、傷ついて。罰を求めているところを見るに、自分が行ったことに後悔しているようだ。
きっと鷲尾なりに事情があるんだと、庇うことは出来なくても納得することは出来る。
だけど、傷付けてただ罰されることが唯一の救いなんだと。それこそが最善なんだと言う勘違いだけは、否定したい。それはただの、独りよがり。
「……そうだな。」
俺の目を見ながらも、少し怯えているような…戸惑っているような、とりあえず居心地の悪そうな表情を浮かべる鷲尾。
人を傷つけたとき。どんなことをするのか、するべきなのか。そんな難しいものじゃない。でも。
「謝ろう。」
鷲尾は素直じゃないから。そう口にするのは難しくなくとも精神的にはかなり難易度高い気がする。
「あやまる……?そんなことで許されるのか?」
鷲尾がそんなものでいいのか、と言う表情で聞き返される。
「……謝って許されるのかどうかわからない。」
「それなら、そんなことしなくてもいいじゃないか」
「……人を傷つけたらまずは謝る。許すか許さないかは謝られた方がが決める。謝る側が求めるものじゃない。」
鷲尾が被害者か加害者かと問われれば叶野を傷つけた加害者であり、鷲尾に傷付けられた叶野は被害者だ。
いかなる事情が加害者側にあったとして、してしまったことは事実。しかも目撃者は多数。
「とりあえず、誠意をもって謝れ。本当に悪いことをしたと思っているのなら……まずは謝れ。」
下手な言い訳もいらないし説明もいらない。
許しを求めるのではなく、ただ傷つけてしまったことへ詫びを入れるべきだ。
鷲尾には、そうして謝るべき人が生きている。本当に謝りたくても謝れない気持ちを持て余すことなんてないのだ。それは、すこしだけ羨ましい。
押し付けるつもりはないし、鷲尾を庇うことはできない。鷲尾自身が招いたことを、俺は庇う言葉が見つけられない。でも鷲尾と言う存在を受け入れたい。
「……一ノ瀬」
「ん?」
俺の言葉に考えるように視線を彷徨わせてしばらくの沈黙の後、俺の目を真っ直ぐ見て名前を呼ばれる。
名前を呼ぶ声がどこか弱弱しく聞こえた。首を傾げて鷲尾の反応を待つ。
「………………悪かった。お前を……伊藤をも蔑むようなことを言った。すまなかった。」
たっぷりの二回目の沈黙の後に早口に、でもしっかりとこちらに聞こえる声で目を見て言った。
言ってすぐに鷲尾は居心地が悪くなったようで、視線をそらしてしまった。
俺は驚きに目を見開く。てっきり鷲尾は叶野のことを傷付けてしまったことに後悔して傷ついているように見えた。から、俺のことを考えてくれていたことには気が付かなかった。
叶野のことを本番に向けての予行としての謝罪かと一瞬思ったけれど、いつもはそのきゅっとしめられている唇が震えているのを見て、鷲尾の謝罪を予行かと一瞬考えてしまった自分を恥じた。
「いいよ。」
俺はそう答える。
元より俺は気にしてなかったけれど、俺のことを傷付けたと想ってくれた鷲尾の気持ちを無視はできなかったから、謝罪を受け入れた。
俺は鷲尾と似ていると思った。だけど、やっぱり全然違うよな。
だって鷲尾は俺なんかよりすごい。
伊藤と初めて会った日を思い出す。俺は、俺のことを待っていてくれて蹲って心配してくれた伊藤の顔も見れずに、ごめんなさい、と消え入りそうな声で言うだけだった。
やっぱり鷲尾は俺なんかより強いよ。そう思う。
忘れていた訳でも蔑ろにしていた訳でもないけれど、俺は随分と伊藤に酷なことを強いてしまっている。
自分を思い出すつもりのない俺のとなりにいてくれる。記憶のない俺のことでさえ一ノ瀬透なんだと笑ってくれる。
今だって。不思議だけど……何も言わずに鷲尾を追いかけてきた俺だけど、伊藤は教室で待ってくれている。確証はないけれど、確信してるんだ。
伊藤とあのとき会っていなかったら…きっとどうしようと思うだけで鷲尾を追いかけることもなかった。
伊藤と会えたから。2ヶ月も経っていないけれど、それでも俺はきっとかけがえのない出会いだ。いつか、おもいだせる日が来ればいい。
思い出そうとすると苛まれる酷い頭痛に勝るほどの、恐怖を上回る「なにか」を持てれば、きっと。
きっと。