2章『結局のところすべては自分次第。』
「おはよう!久しぶりー」
「はよ、一ノ瀬に伊藤。」
「おー。」
「…おはよう。叶野、湖越。」
テストが終わってそのあと数日休みで、学校に行くのも久しぶりで伊藤以外のクラスメイトに会うこともなかったので、叶野と湖越に会うのも久しぶりだ。
「相変わらず二人とも仲良いねー。」
「……そっちもな。」
叶野はよく俺と伊藤のことをそう言うが叶野だって湖越とよく一緒にいるし、叶野も湖越もそれぞれに友人がいるようだけれど、それでも何かと一緒にいるイメージがある。
確かに俺と伊藤はよく一緒にいるし、行動するのも大体一緒にいるけれど叶野と湖越もまた違った意味でよく一緒にいるのだから、それを仲が良いと称していいだろう。
「いやー一ノ瀬くんと伊藤くんには負けるかな?あ、わっしーおはよ!今日は随分のんびりだねー。」
教室に入ってきた鷲尾に叶野はいつもの調子で話しかける。あと数分で朝のHRが始まるであろう時間に鷲尾が登校するなんて珍しいこともあったものだ。
また叶野の挨拶を無視して『わっしーと呼ぶな』と返すのだろう、そう思いながら叶野たちの方をぼんやりと眺める。
「……」
鷲尾は席に着いた。
叶野に何の反応を返すこともなく、チラリと視線をやりながらも何も話さず何もアクションを起こさずに、叶野の横を通り過ぎた。
二人のことに注目しているのは俺だけじゃなくて、たぶん鷲尾以外のクラスメイトのみんながしていた。少なくとも俺が転校している以前から続いていたであろうやり取りを、今日久しぶりに聞けると思っていた俺もクラスメイトも驚きを隠せずにいる。
でも外野の俺たち以上に、無視された叶野が一番驚いているんだと思う。
遅く来たことをからかおうとしたのか軽く肩を叩こうとしたのであろう右手を浮かせたまま固まっていた。
俺らから背を向けている状態なのでどんな表情を浮かべているのかは分からなかったが、その後姿に哀愁が漂っているような気がして、なんとなくこっちがいたたまれない気持ちになる。
「のぞみ、」
「……はっ!……あ、あー、なんだかわっしーご機嫌斜めだったみたいだねー」
いち早く正気に戻って叶野に声をかけたのは湖越だった。湖越が叶野の名前を呼んで、少し間が合った後漸く叶野は自分の名前を呼ばれたことに気が付いたようでビクッと体を震わせたあとこちらを振り返ってそう茶化すように笑ってそう言った。
ごめんねーと背を向けている鷲尾に叶野は謝るも、軽く肩が動いただけで鷲尾は何の反応はなくただ参考書らしき本のページを捲るだけだった。
「珍しいな、鷲尾が何の反応がねえのって。」
「なんだかんだ叶野が話しかけてたら何かしらのリアクションが来るのにな」
今までにない鷲尾の反応にいつも遠巻きに二人のことを見ているクラスメイトも困惑しているようで、こんな会話が耳に入ってくる。
「……。」
叶野はざわつくクラスメイトに「そういうときもあるかもねー」と宥めるように言いながらも少し困ったような笑みを叶野は浮かべている。鷲尾の今までにない反応に驚きを隠せず本当なら動揺しているだろうに、それでも鷲尾のことを悪く言わなかった。
今まで口喧嘩することはあっても無視することはなくて、テスト終えた後なんだかんだ鷲尾も楽しそうにしていたのに、いきなりどうしてこんなことをするのだろう。
鷲尾のことを見てみてもこちらを振り返ることはなく、どこか居心地の悪い空気のままHRの時間になって岬先生が来てとりあえず皆各々席に着いた。
教室を入れば蒸し暑い空間とは違う、妙な空気感が立ち込めていて岬先生は首を傾げながらも、いつも通りの笑みで挨拶をしていつも通りにHRを終わらせた。
結局、朝の件があってか叶野は鷲尾に話しかけることなく、鷲尾もこちらに少しも視線を向けることなくそのまま昼になってしまった。
いつも通りを装った空気感に、ほんの少しの息苦しさを覚える。ただ教室が暑いだけなのか精神的なものなのか分からない。とにかく、昼用に買ったパンを食べる気にもなれず机でだらだらしていた。
「透、大丈夫か?」
「……んー。」
「だいじょうぶ?保健室いく?」
「嫌だ。」
「珍しく即答か…。」
叶野が心配してくれているのはよくわかるが、保健室に行くと言うことは精神的にかなりの負担がかかるのである。……桐渓さんから前まであんなにメールが来ていたのに、今は何の音沙汰がないところが、また怖いのである。
心のなかでそう溜息を吐く。
あと、もやもやするって言うのもある。
俺なりに鷲尾がどうして叶野を無視するような行動をとったのか、授業中考えてみた。
叶野を傷つけるようなことを言うつもりはない、が、勉強にあれだけ熱心に取り組んでいる鷲尾だから、もしかしたら俺が鷲尾と叶野と話しているのを楽しそうにしていると思っていたのは全く的外れで、前々から本当は話しかけられることを快く思っていなかったのかもしれない、と残酷なことを考えついてしまったのだ。
楽しそうに見えていたのは、俺の目の錯覚だったのかもしれない。それなら、一応の筋は通るかな、と思った。
その予想が当たっていたとするなら、俺としては何とも嫌な気持ちになるけれど、でも鷲尾のことを問い詰めたいとは思えないし、鷲尾の意志に俺の意見を押し通す訳にもいかない。
かと言ってこの予想を叶野に言う気もない。傷付けないように言うなんて高度なことは出来ないし、傷つく結果になるのは火を見るよりも明らかだ。
このまま、妙な空気感に慣れるしかないのかもしれない。そんなことを思っていた。
でも、鷲尾は俺らを見た。
叶野と湖越がいつも通り俺と伊藤のところに来て昼を一緒に食べようとした際、鷲尾はいつもと違って教室を出ていった。
その際俺はつい鷲尾のことを見ていたのだが、そのとき一瞬だけ。本当に、ずっと鷲尾をよく見ていなければ気付かないほどの微かに、確かに俺らを見ていた。
俺が見ていたことには鷲尾は気が付いていないようでそのまま教室を出ていった。
方向として俺らを見ていたんだろうけれど、たぶん見ていたのは俺らではなくて正確に言えば叶野だったんじゃないかと思う。
だって、一瞬だけ振り向いたその顔が、眉間に皺を寄せて苦しそうな後悔しているような、そんな複雑な表情を浮かべていたのだから。
「……」
ならば、どうしてあんな叶野を傷つけるような態度をとったのか。
俺の考えていた最悪な答えと違っていたことに安堵するけれど、さらにわかんなくなってしまった。
自分があんな答えに行きついてしまったことに罪悪感さえ覚えてしまう。鷲尾は口が悪いだけでそんな奴じゃないって、そう思っていたはずなのに。自己嫌悪に苛まれる。
「透。」
「……ん?」
「…おらっ!」
「ぶっ…!?」
「ええええ!?」
伊藤に呼ばれて口に思いっきり何かを突っ込まれる。突然のことに間抜けな声をあげてしまう。叶野は伊藤の行動に驚いて悲鳴をあげた。
結構な力で口の中に突っ込まれたのでこれがなんなのか認識せずに飲み込んだ。幸い気管には入らなかった、口の中に突っ込まれたのは一口サイズのチーズ味のパンだった。普通にうまかった。
「…いきなり、なにをする。」
「このままだと食わないで昼を過ごしそうだったからな。」
「どや顔で言うことじゃねえだろ…、まぁ食わねえよりはいいんだろうけど。」
「……食べる。」
このままだと再度伊藤にパンを突っ込まれることになると思われる、一旦考えることを辞めて今日買った牛タンおにぎりに手を出した。
「おにぎり食べてる一ノ瀬くんも絵になるね!どっかのCMみたいだね!」
「…どういう感想なんだ、それ。」