2章『結局のところすべては自分次第。』
風呂の準備をして、お湯をはり終えるまでの時間に居間へ戻って携帯電話を開いた。
パチリ、と開くと叶野に返信しようとしたままになっている、さきほどの伊藤からのくすぐり攻撃に紛れて誤って送ってしまっていなくて少し安心した。
改めて叶野からの答えを見る。
『一緒にいて楽しい人もきっと友だちって言っちゃっていいと思うよ!一ノ瀬くんが楽しいならきっと相手も嫌なんて思ってないよ!』
そう書かれているメールを少し考えて見て
『そんな簡単な考えでいいのか?叶野は嫌だと思っていないか?』
と打ち込んで、そのまま送った。
思ったままを送って、少ししてこの言い方は少しあれかもしれないと思い始める。
せっかく質問に答えてくれたのに『簡単』と言ったり、嫌だと思っていないかを本人に聞くのは違う気もする。そう思ったときには『送信完了』と言う無残な文字で。
後悔して悶々と布団に寝っ転がりながらそう考えていると、手に持っている携帯が震えて驚いてつい枕辺りに投げてつけてしまう。
……名前は見ていないけれど、たぶん叶野か湖越か、伊藤なんだろうけれど。とにかく今の精神上見るのはきつそうなので…風呂に入ることにした。
少しでも長く風呂に入っていようと普段そんなに念入りに洗わないところを洗ってみたり意識を違うところに向けようと思って湯船につかりながらぼんやりしようと思ったけれど、メールが気になって仕方がなかった。
あまり見たいと思えないのにそれでも気になるのは、もうどうしようもないのだろう…。
最早あきらめの気持ちでさっさと風呂から上がる。
寝間着として使っているTシャツとジャージを身に着け髪を拭きながら出て、投げたままの状態で枕のところにある新着のメールが来ていることを知らせるランプをちかちかさせる携帯電話を開きながら画面を開いた。
メールは2件、伊藤と叶野からだった。メールが来た時間を見ると伊藤のメールが先に来ていて、叶野のメールは俺が風呂から上がる少し前だったので、つい携帯電話を投げ飛ばしてしまったときに来たのは伊藤からのメールだったらしい。
……確かに、そんなにすぐ返信が来ることはないかもしれない。うん。何となく伊藤に申し訳なく思う。
先に来ている伊藤のメールから先に見たい気持ちがあったけれど、叶野からの反応の方が気になって仕方がないので伊藤に罪悪感を覚えつつ叶野からのメールを開いた。
怒っているんじゃないかとか不快な気持ちにさせてしまっただろうか、とかそんな不安な気持ちのままに開いたのだが、
『簡単でいいよー!一ノ瀬くん頭良いから色々考えこんじゃうんだろうけど、そんなものでいいんじゃない?まぁ俺の意見だから軽く流してくれていいしね!
嫌だなんて思ってないよっ。むしろ一ノ瀬くんにうるさいかなーって思われてないかなって少し不安だったからさ、一ノ瀬くんに嫌だと思われてなくて安心したし!』
そんな不安な気持ちが吹き飛ぶほど叶野からの返信は穏やかなものだった。……色々考えこむとか伊藤にもそういえば言われたことがあったことを思い出す。
自分が考え込むほうとは思っていないが、確かに行動するより先に考える方が多い気もする。…別に悪いこととは言われていないけれど、なんとなく引っかかるものを感じる気がする。
気のせい、だろうか。
ふと感じた違和感を一先ず置いておいて、メールを読み進めると叶野は自分のことをうるさいと思われているかもと書いてある。
嫌だと思ってない、そう書かれてあって少しほっとしたけれど、俺は確かに叶野のことを明るくて賑やかだとは思っていたけれど、うるさいと思ったことはない。
でも、確かに本人にこう思っていると伝えていないことだから、本人は俺にどう思われているかなんて知らずにいるだろう。そして、俺も叶野にどう思われているのかを知らない。
当たり前だ。超能力でもなければどう思われているかなんて本人は知らない。……自分のことでも分からないときもあるのに、それでも『誰か』がどう思われているかをすべてを把握なんて出来ない。
言葉にしないと、伝わらないんだ。当たり前のことを、でもその当たり前のことで俺は確かに救われている。そしてその当たり前のことに傷を付けられるのも俺は身を以って知ってる。
祖父と桐渓さんに言われた事実と言葉。そして、伊藤が言ってくれた事実と言葉。どっちも本当のことで嘘偽りはないのだ。傷つくのも救われるのも、紙一重なんだろう。
「……」
『ありがとう。俺は叶野のことをうるさいと思ったことはない。むしろ、俺に話しかけてくれる叶野に感謝してる。一緒にいて楽しいと思う。ありがとうな。』
俺は言葉を知っているのにそれをうまい使い方を知らない。
だから、端的に思っていることを書くしかできなかったけれど、それでもいいと思う。
『送信完了』の文字列を見ても、もう悶々と考えることなく、そのまま伊藤からのメールを開いた。
……なんとなく、なにを書かれているのか察しているけど。
『悪かったな。もうああいうのはしないから。だから、離れないでほしい』
何に謝っているのか主語はなかったけれど、十中八九伊藤が言うには八つ当たり?の件のことなのだろう。
1か月前俺が伊藤に謝ったときとは逆の立場になっているな、と心のなかで思う。あのとき伊藤は何度も謝る俺に何度も『良いって』と笑って返してくれた。
伊藤が望むのであれば何度だって俺も同じ返答をするけれど一つだけ、言わせてほしい。
『良いよ。もし次があっても顔見せてくれるなら、いいよ。離れるつもりもない。』
『顔が見たい』これに尽きるのだ。
今の今まで髪を引っ張られたりぶたれたり、責められたりされてきたのだから、伊藤が本気で怒っているのならくすぐるだけじゃなくてあのゴツゴツした拳で殴られるのもやぶさかではない。
だけど、今日みたいに顔が見れないのは苦しい。くすぐられる息苦しさよりも胸辺りが締め付けられるように苦しかったから。そう書き込んで送った。
一息つくと、また携帯電話が鳴る。
伊藤についさっき送ったばかりだったから、たぶん叶野だろうと思ったけれど、そこに表示されている名前は伊藤だった。
速い返信に驚きながらも来たメールを開いた。
『もし次あったらちゃんと顔を見て話し合うから』
……うん。伊藤になら殴られてもやぶさかではないとは言ったものの、決して殴られたいとかそんなわけないので、最悪の場合はそうしてくれっという意見なのでそうしてくれるとありがたい。
伊藤も好き好んで人を殴ったりしたいわけでもないだろう。
『そうしてくれ。じゃあ、また明日な』
簡潔に返信。
さっきも言った言葉だけど、不自然じゃないし良いよな。
伊藤からも同じように返信が返ってきた。今日はこれでお終いと言う合図のようなものだ。
言葉にしないと伝わらないのは、きっと伊藤も例外じゃなくて。聞きたいことがあるのに聞けずにいるのは俺に勇気がないだけで。
それをいつか聞けるぐらい強くありたい。罪に苛まれても、それを乗り越えずに受け入れられるぐらいになりたい。そう、なりたい。
表示されている時間を見れば22時半を少し過ぎたぐらいだ。
伊藤とのメールのやり取りが終わっても叶野からの返信は来ないので、もう眠ってしまっただろうか。そう思い始めたころそれを察したかのタイミングで叶野からメールが来た。
『そう言ってくれると嬉しいな!じゃあ俺と一ノ瀬くんは友だちってことだね!やったね!あっ、俺そろそろ寝るねっおやすみ~またあしたね~』
『そう言うことで。ああ、おやすみ。また明日。』
友だちが増えた。いや、叶野理論で言うならば叶野はもっとずっと前から友だちのはずだ。叶野だけじゃなくて、伊藤は勿論湖越だって鷲尾だって、俺にとって友だちだ。
このことは鷲尾にも報告するべきなのだろうか。叶野に鷲尾にも友だちはなんたるものなのか教えていいのだろうか。湖越には教えないでほしいと言っていたから、叶野にとってあの答えは恥ずかしいものだと分かったから気軽に誰かに言えるものではないと言うのを察した。
……教え合う、とまでは鷲尾は言っていなかったのだし、叶野も人それぞれによって違う答えがあると言っていたし、最終的に俺も自力でその答えを見つけなくてはいけない。
とりあえず、友だちの定理は人それぞれで違う、とだけは確定しているからそれだけは教えるのは有りだろうか。叶野から教えてもらったとも何も言わずに通せば大丈夫、だろう。
歯を磨きながらそう結論付けた。
コップに水を入れて一口飲んですぐに洗って、電気を消して布団に寝っ転がる。
目覚ましついでに携帯電話を確認してみたけれど、湖越からのメールは来なかった。送るって言っていたけれど……あ、今日中にとは言われていなかったか。そうだった。
勉強で忙しいのだろうか。もう眠ってしまったんだろうか。決して無理強いしてまで答えてほしいとまではいかないけれど、具合などは悪くなっていないだろうか。
明日、湖越が普通に学校に来ていればいいなと思いながら目を閉じた。