2章『結局のところすべては自分次第。』


 昨日のことを無かったかのように振る舞って、いつも通り伊藤と学校に登校した。
 普段より口数が少ない伊藤に俺は何も言えない。いつも通りに見せつつも、見えない距離感が生まれてしまったことに胸が痛んだ。

「んーと……一ノ瀬くん、伊藤くんとなにかあった?」
「……」

 昼休み、叶野に焼きそばパンを手に持ち、俺のことを窺いながらそう聞かれる。
 伊藤はトイレに行っていて、鷲尾は今日は家庭教師と塾の課題に追われているようで机に齧りついている。
 伊藤がいないことを狙ってのことなのかどうなのかは分からないが、周りに聞こえないよう小声で叶野に聞かれる。
 いつも通りを装っているつもりで、誰にも突っ込まれないから気付かれていないと思った。

「……ちょっと、な。」
「まじか、喧嘩でもしたのか?つか希望良く気付いたな。」

 俺らのことに気が付いていなかった湖越が少し驚いたように叶野に聞く。
 まさか気付かれていると思っていなかったので俺も驚いた。湖越の反応を見る限り他のクラスメイトたちも気が付いているようには見えない。

「んー何となくいつもと違う気がしたから?いつもより伊藤くん口数少ないしね、一ノ瀬くんも伊藤くんと目を合わせないしね。」

 席近いから案外見てるし聞こえちゃうんだよね!と笑いながらそう言う叶野に、感心する。
 空気が読める、とは思っていたけれど、そこまで見ているとは思わなかった。

「まぁまぁ、俺のことはともかく。何か俺に出来ることある?一ノ瀬くんと伊藤くんの友情を取り持つお助けになれるなら、協力もやぶさかではないよ!」
「……」

 人懐っこい接しやすい笑顔でそう明るく言ってくれる叶野に、昨日考えていたことを思い出した。今日になって伊藤に会って少し昨日考えたことが抜けていたけれど、今なら質問するのに良いタイミングなのかもしれない。
 常なら、人に話しかけることすら至難の業なのだから、今が一番いいタイミングだ。そう思い叶野と湖越に聞いてみることにした。

「……2人にとって、友だちって、どんな存在なんだ?」

 そう問うと叶野と湖越は呆気にとられたような表情を浮かべる。
 唐突な質問に驚いているのかそれとも他に理由があるのかは分からないが、何故か驚いた顔をされた。

「えっと、一ノ瀬くんにとって伊藤くんって友だち、じゃないの?」
「……良い関係だとは思ってる。だけど、なにを持って友だちって言っていいのかも俺にはよくわからないんだ。」
「別に自分が友だちだと思ってるなら『友だち』て呼んでも良いんじゃねえの?」

 そんな当たり前のことをどうしてわざわざ質問するのか、とでも言いたげな表情の湖越。
 確かに、普通に生きているのなら悩まなくても良いことなのかもしれない。俺が普通の『一ノ瀬透』と言う人間であるのなら、疑問に思わなかったのかもしれない。
 けれど『俺』は少しだけ事情が違っていて、記憶と言う機能に障害があって、そんな俺のことを親友と言って笑ってくれる伊藤のことを思い出そうともしていない、そんな汚い俺が伊藤を『親友』と呼んでもいいのかだろうか。そんなことを考えてしまう。
 伊藤のことを『友だち』だと胸を張って言うことも出来ない記憶もない俺が、伊藤に踏み込んでいいのかもわからないのだ。
 伊藤の優しさに甘受しているだけならそれでも問題はないのだろうけれど、俺が伊藤のことを知りたいと我儘になってしまったがゆえにこうして思い悩むことになっているのだ。
 湖越の言葉に何も返せずにいる俺に、叶野はあえてなのだろうか、明るい声で俺に話しかける。

「まぁ、デリケートなことだしね、色々と事情あると思うしこの辺は俺はノー突っ込みでいきまっす!俺から振っといてなんだけどさ、傍から見たら一ノ瀬くんは伊藤くんとかなり親しい仲ではあると思うけど、一ノ瀬くんが聞きたいのはそう言うことじゃないんだよね?」

 ね?と少し首を傾げて人好きする笑みを浮かべながら、毒のない優しい口調で問いかける叶野に俺は頷いて返した。
 湖越はさっき言ったことを少し後悔しているようでばつの悪そうな顔で「……わるかったな」と謝られた。それには気にしてない、と意志で首を横に振った。

「一般的に友だちってなんなのか、てことだよね?ううん、それはそれで難しいことを聞くなぁ……。」
「難しい、のか。」
「うん。勉強と違って一つの答えじゃないからね。友だちの定理って人それぞれで違うから、人の数だけの答えがあると思うんだよ。なんていうか……感覚のようなもの?なんだよね。」

 ……国語、のようなものだな。困った顔をしながら叶野が言うことを聞いて、第一にそう思った。
 国語が苦手な理由は数学のように一つの答えしかないのとは違って、感じたものを答えよ、と言ったハッキリしておらず、どこか曖昧なものだからだ。

「俺や誠一郎の答えが一ノ瀬くんの答えと限らないんだよね。それでもいい?」
「…………ああ、参考にさせてもらう」
「うん、了解!じゃああとでメールで教えるよ~。」
「今答えるんじゃねえのか」

 少し考えて頷いたのにあとでメール、と言う叶野に間髪入れず湖越が突っ込む。俺も内心そう思ったので叶野の様子を窺う。
 叶野はてへ、と舌を出して

「いやね、伊藤くんそろそろ帰ってくるかなって言うのぞみくんの細かなお気遣いと、一ノ瀬くんに偉そうなことを言ったけど自分の思う友人という存在をどう言葉に表すべきか考える時間が欲しいと言う本音が混じった結果ですよ。」
「後者ががちの本音だろ。」
「バレたかー。とにかく、放課後にでもメールするね、誠一郎もちゃんと送るんだよ!」
「おー、一ノ瀬の役に立つのか分かんねえけど、まぁ俺のなかで友だちってどんな存在なのかっていう質問の答えを一ノ瀬に送ればいいんだな。」
「そうそう~、それでいいかな?」
「……ああ、ありがとう。」

 二人の答えを思っていたよりも後になったが教えてもらえることにホッとした。
 いや、決して2人が意地悪をするとかそんなことは思っていないけれど、良い奴らだと思っているけれど、それでも俺が聞いていいものなのかそんなことをつい考えてしまうのだ。
 無意識に胸に手をやって安堵する。

「まだ食ってんのか。食い終わってるかと思ったわ。」
「あ、伊藤くんおかえりー待ってたんだよー」

 丁度トイレから戻ってきた伊藤に叶野が声をかける。嘘つけよ、と伊藤は叶野の言うことを軽く流して弁当箱を開けた。
 いつも通り俺はみんなの会話を聞きながら、たまに質問に答えながら伊藤が作ってくれた弁当を食べ進める。甘めの卵焼きが最近弁当の中で一番好きだな、と自分の好みがわかった。また一つ自分のこと知る。
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