2章『結局のところすべては自分次第。』
帰り道、また微妙な空気になるかもなと思ったけれど、案外そんなことはなかった。
肉も卵も特売はやっていなかったが、トイレットペーパーの安売りしていたのでそれを買ったり普通に買い物をしているうちに徐々に伊藤はいつも通り俺に話しかけてくれるようになった。
俺も何か話せればよかったんだが、うまいことを言える気がせず結局伊藤が話しかけてくれるまで無言のままだった。
今日はもう帰るな、と荷物だけ俺の家に置いて、昨日洗ったTシャツを持って伊藤は帰って行った。今日は勉強会もしたんだし、充分だろう。そう思うが、さっきのことがあってつい深読みしようとしてしまう。
やっぱり、気まずくなったんじゃないかって。少しずつ気分が落ち込んでいく。
伊藤がいない、この家はずいぶんと静かだ。
テレビはあるが特に見たいものもないので消しているのが相まって静かだ。
別に伊藤と常に話しているわけではない、無言で互いに好きなことしているときだってあるのに。
スーパーで買った唐揚げ弁当は、伊藤の料理より美味しくはなかった。
いつもは伊藤が見たい番組があるとかでテレビを付けていることも多かった。昨日、伊藤が泊まりに来たのとは打って変わってつまらないものだ。
弁当も食べ終わって片づけて、風呂に入って居間へと戻る。
なんとなく窓の外を見る。
曇っていて月どころか星も見えない、そんな空だった。何の気紛れにもならない。諦めて窓を閉めた。
もう眠ってしまおうか。
眠気はまだやってきていないけれど、前だって眠気を感じなくても目を閉じていればいつの間にか朝になっていたんだから、大丈夫だろう。
そう思って部屋の電気を消して、布団に潜りこみ目を閉じる。
さぁ寝よう。
………寝よう。
…
……
………。
…眠れない。
目を閉じて、眠ろう、寝よう、寝ろ。そう自分に言い聞かせてもいつまでたっても眠れなかった。
昨日は大雨で伊藤の返事がなかったことに悶々としたものの眠れていた。どうしてか。……きっと、帰り道のもやもやが原因だ。
こうなるぐらいならちゃんと伊藤に聞いた方が良かったのではないか、と思うと同時に何を馬鹿なことを、と前者の考えに至る自分を否定する。
なんだか頭がぐちゃぐちゃだ。なんか、もう、いやだな。伊藤のことを知りたい、でも傷つけたくない、傷つけたくないから質問したくない、そもそも記憶がない地点で伊藤を傷つけている。
伊藤がそれでも良いと言ってくれても苦しい。うれしいと思うことに罪悪感を覚える。
色んな感情が湧き出て、その上にまた色んな感情が更新されていく。混乱する。
「……伊藤」
つないでいた手をそっと宝物をふれるようにもう片方の手でなぞる。
俺よりも少しだけ大きくて高い体温の掌。
170cmを超えている男子高校生が手を繋いで歩いている姿なんて傍から見れば不可思議なものだろうし、伊藤からしてもついつないだまま歩いていたんだろうけれど、それでも指摘して離そうと思えなかった。
むしろ、手を離されたことのほうが…寂しいと思った。
伊藤といるのはうれしい。笑ってくれると楽しい。悲しそうな顔をされると、辛くなってくる。
だから傷つけたくないけれど、距離感がつかめない。
どうしたら、良いのかわからない。どうすれば笑ってくれるのか、どうすれば傷付けずにいられるのか、何もわからない。
勉強が出来る、なんて。羨ましがられるけれど、一番知りたい答えを出せないのだから、たいしたことない。
…ともだち…か。
伊藤は俺のことを親友だと言ってくれる。だけど俺はどんな存在が友人なのか分からずにいる。
鷲尾に聞かれて言った通り、伊藤にも叶野達にも良くしてもらっている。良い関係だと勝手に俺は思っている。けれど、友人と言うべきなのか俺が勝手に言っても良いものなのか分からない。
伊藤には聞きにくくて、鷲尾は俺より先に『友人はどんな存在なのか』を疑問に思い俺に質問してきた張本人だ。
……それなら、叶野と湖越に聞いてみようか。彼らは小学生からの親友だと言っていた。俺も二人は仲が良いと思っているしあれこそ友人なのだろうと思う。
あの2人なら、答えを知っているはず。
分からないところがあるのなら聞けばいい。
少しずつ、一歩一歩答えに近付いていけばいい。
俺は、もう一人じゃないのだから。そう思えるようになれた。こちらに引っ越してきたときには考えられないことだったけれど、今は人の輪に俺はいる。大丈夫。
少しだけ気持ちが晴れつつも、鳴らない携帯電話を見つめてはどこか穴が空いたかのような焦燥感に襲われる。
どうして伊藤から連絡が来ないだけで、こんなにざわつくのか、分からなかった。