2章『結局のところすべては自分次第。』
「……」
「あー、今日卵じゃなかったな。」
「……」
「肉だったな、肉が特売だった。どちらにせよもう時間的に終わってるんだけどな…。」
「……」
「どうせならもっと格好いい言い訳とか思いつけよ。俺……。なんだよ、卵の特売日だから先に帰るって、庶民派アピールかよ…。」
「……伊藤。」
「あー…本当、格好つかねえ……。」
「……」
伊藤の名前を呼んでみても俺の声は届いていないようで、頭抱えている。
何故か反省会をしている伊藤に声をかけていいのか迷っている。1回意を決して名前を呼んでみたが聞こえていなかったようで何の反応もない。
俺としてはこのままでも良いけれど、伊藤が気にするかもしれないし、何よりそろそろ視線が痛くなってきた。
学校から駅までの道を伊藤と歩いている。
学校から出てしばらくはそのままの勢いで歩いていた伊藤だったが、5分ほど経ってから少しずつペースダウンしていき、今に至っている。
段々と肩が落ちていくのを俺は後ろから見ていた。
前を歩く伊藤が独り言を言っているのは分かるのだが、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
卵じゃない、とか肉だったとか断続的に聞こえてくる。あのとき余裕が無かったからなにも考えていなかったが、そう言えば特売をしていたのは卵ではなく肉だったな。
時間的にとっくに終わってしまっているけれど。
どうやら間違えてしまったことに落ち込んでいるようだ。
…さっき、伊藤が俺を引っ張って連れ出してくれてよかった。あのままあそこにいたら、きっと俺の予想通りになっていたと思う。
あそこから連れ出してくれた伊藤が、自分の手を握りしめてくれた手が、うれしかった。
「……伊藤」
「ん?」
また俺の声が聞こえなかったらどうしようと思ったが、杞憂に終わって伊藤は俺の声に反応した。
手を繋いで歩いて大丈夫なのか、とさっきは聞こうとしたのだが、今はそれより言いたいことがあった。
「ありがとう。」
あの場から連れ出してくれて。
心のなかでそう続けた。俺は伊藤にしてもらってばかりで、伊藤に俺は何も返せていないからせめてお礼を言うことだけは忘れないようにしたい。
気取って格好つけて何を言うか迷われるよりも、その場で適当に言い訳して手を引っ張ってくれたことが、なによりうれしい。俺のことを気遣ってくれることが、その気持ちがうれしい。
格好なんて、つかなくていい。伊藤は伊藤らしくあってほしい。
「……おう!」
そんな俺の想いはきっと伝わっていないんだろうけれど、俺の言葉に笑顔で返してくれる伊藤を見ると胸が暖かくなる。
心臓のあたりが、きゅうと締め付けられる。居心地が悪いような良いようなよくわからない気持ちになる。でも、逃げ出したいとか思わないから桐渓さんに向けるのとは違うものなのだろう。
「なぁ、透。」
「……ん?」
伊藤が立ち止まったので、俺は少し歩いて伊藤のとなりに来てから同じように立ち止まる。
そろそろ繋がれている手がついに気になったのか、と思って首を傾げて伊藤の反応を待ったが、どうやら違ったらしい。
何かを言いたそうにしつつも口を開けて、後ろめたいのか俺から視線は外している。いつもと違う態度が不思議だった。どうしたのだろうか。
「あ…えーっと……いや、透さ。昨日何か俺になにか聞きたいことなかったか?」
しばらく伊藤は挙動不審で視線を斜め上に向けていたが、俺の目を見てそう聞いてきた。
きのう。ああ、俺が転校してくる前の伊藤を知りたいと思った。湖越に言われた通り、伊藤本人に聞こうと思った。
でも、それを聞くか聞かないか迷って、伊藤に寝ているか寝ていないか賭けのような気持ちで名前を呼んでみたけれど返答はなく寝てしまったのだと思ったのだが。
「……昨日、起きてたのか?」
「?何のことだ?」
「……いや、なんでもない。」
昨日呼びかけたとき返事はなかったが、もしかしたら起きていたのかと思ったが違ったようだ。
聞こえていなかったりしたのならともかく、聞こえていたのなら返答がないのは可笑しい、よな。聞こえているのに聞いていないふりをするなんて考えられない。そのはずなのに一瞬伊藤を疑った自分を恥じて内心謝る。
でも……俺が、気軽に聞いていいものなのだろうか。
きっと聞けば答えてくれるだろうけれど、決して伊藤が言いたくないことを無理矢理言わせたくはないんだ。伊藤が俺を傷つけないけれど、俺が伊藤を傷つけてしまわないか不安だった。
俺の言葉で、傷付けたりはしないだろうか。『俺に聞かれたから』てそんな理由で、無理矢理答えさせてはいないだろうか。
今まで人の輪に入って行かず、罪の意識からずっと1人でいることを選んでいた臆病な俺は弱虫で。
「……いや、今のところは、何も無い。」
伊藤の過去のことだが聞きにくくて、一瞬『友だちってなんなのか』と言う質問も頭に思い浮かんだものの、それも聞くのは、俺は伊藤に対し何の遠慮が無さ過ぎなのではないのかと思いとどまる。
いくらなんでも記憶がない俺も親友と言ってくれた伊藤に、首を振って、何もないと……うそを吐いた。
どれが伊藤を傷つけてしまうのか分からなくて怖かった。さっき桐渓さんに会ったときよりも、正直こわかった。
「そう、か。」
伊藤がそう言って、俺は頷いて微妙な空気のまま歩みを進めた。
胸の内がもやもやするけれど、それを晴らす方法を俺は知らなかった。どこか居心地の悪さも感じるけれど、それでもつないだ手を伊藤は離さなかった。俺も離そうとも思わなかった。
さっきの俺の返事は正解なのかわからない。
どう、答えるべきなのか分からなくて、伊藤を傷つけたんじゃないかって、そんなことばかり考えてしまう。
あの日から、悩むことが増えた。
今の今までその日を流されるように生きていた、そんな日々を過ごしてきた自分がこんなに悩む日が来た。これが人らしい生き方なのだろうか。
もし、これが人らしい生き方と言うなら、予想以上に人として生きるのはしんどいものなのだろう。
それでも。
今のほうが、ちゃんと生きていると思える。
目の前の伊藤がいてくれるから。知らず知らずのうちにぎゅうっと伊藤の手を力を入れて握りしめた。
結局駅に着いて定期をとろうとした際に、伊藤が今の今までこの状態でいたことに気が付いて、羞恥のせいか顔を真っ赤にして「悪い!」と叫ばれ、繋がれていた手がついに離されてしまった。
手のぬくもりが消えて涼しくなってしまったことに少し寂しいと思ったのは……内緒にすることはないが、わざわざ言うこともないから言わないことにした。