ここから始まる『俺』のものがたり。
あの後何も言えずに伊藤を見つめるだけの俺を、どこか照れくさそうに笑いながら「もう帰るのか?」と聞かれて、首を振って「……スーパーに」とだけ返した。
「なら俺も買い物付き合うわ」
と何でもないように言われて、こっちだ、と一緒に行く流れになった。
どこか足取りがふわふわしているままに伊藤のとなりを歩いた、たまに彼の様子を窺っても普通の顔して普通に話しかけてくる。
彼の低い声も聞き取ってはいるし内容も入ってこないわけではないけど、どこか遠くに聞こえた。いうなれば、夢うつつ、とそんな気持ちなのかもしれない。
「いつから引っ越してきたんだ?」と聞かれて「……今日」と答えれば驚いた顔をされた。
これから生活用品をそろえる、と言うと「なら、今俺と会って正解だったな!」とにかっと笑う。
三白眼で第一に目付きが悪いと言う印象を受けたし、きっと強面に入るであろう彼だが、そうして笑っている顔は幼く見えるし、記憶がない俺でも親しみを持たせた。
前にいた学園ではないタイプだった。
こうして誰かと歩くなんて、初めてかもしれない。
一種の感動を覚えながら伊藤と話しながら……と言っても話をする伊藤に、下手くそな相槌を打ったり頷いたりしたりするぐらいしか俺は出来なかったが、それでも伊藤は楽しそうに笑う。
戸惑いが大きいけれど、正直嬉しい、とおもう。
夜と朝と、昼の分の食料や飲み物と歯ブラシ歯磨き粉、フェイスタオルとボディタオル、食器用洗剤スポンジ、洗濯用洗剤……あとまだ良いかと思ったが伊藤は薄いグレーの硝子のコップ入れられた。
引っ越し祝いに買ってやる、と押し切られてしまった。
スーパーには初めて来たが意外と色んなものが売っているのだと思った、それなりに大きいスーパーだったおかげか生活雑貨も充実していた。
当初の予定よりもかなりの量になってしまったので、伊藤がいてくれてかなりありがたい。
「……ありがとう」
「おう!」
一瞬何を言っていいのかわからなかったけれど、手伝ってくれたのだから感謝の言葉を述べるのが一番だろうと、伊藤に言えば嬉しそうに笑いながら元気のいい返事が返ってきた。
……なにか言って返ってくるって、こんなにうれしいことなのか。
伊藤なら、なにかを言っても無視されることない、と思ってもいいのだろうか。
そう言えば自分にとってイレギュラーなことが起こったおかげか意識が伊藤にばかり行ってフードを被らなくても、あまり周りの視線や声が気にならなかった。
ガサガサと袋を揺れて耳障りな音を出しながら帰路につく。
当然のように伊藤は俺の家までもっていくつもりらしく、俺のとなりを何も言わずに歩いている。
しばらく静かに歩いていたが、なにかを思い出したかのように伊藤は
「そういや、新しい家どこなんだ?」
「……前と同じ家。部屋も同じらしい。」
「まじか!あの家なのか、うわ、懐かしいな。家上がってもいいか?」
「……うん」
正直家のことを聞かれてすぐに出てくると思ったのが、両親のことだと思ったから少し拍子抜けした。
懐かしいと彼の口からその単語が出たと言うことは何回か家に遊びに来ているってことだ。両親と伊藤が顔を合わせていても不思議ではないし会いたがると思ったけど、そういう風にならない。
伊藤の真意がつかめなくて、チラリと伊藤の様子を見るけど、目が合っても優しい色はそのままに笑顔でどうした?と聞かれた。
ううん、とそれだけ返して歩くことに集中した。
あの公園でよく遊んでたんだぜ、とかこの道あんまり車が来ないからよく透の家までかけっこしていたとか、小さいころの話をしてくれた。
俺はどう返していいのかわからなくて頷くばかりになったけど、それでも伊藤は笑っている。俺に思い出させようとしているんじゃなくて、本当にただの雑談だった。証拠にこちらの反応を窺うことは一切なかった。
……何故伊藤は俺になにも聞かないんだろう。
何故、忘れてしまった俺を責めたりしないんだろう。