2章『結局のところすべては自分次第。』
「……で、ここを代入。」
「お?おー分かった、こうか?」
「……正解。」
「おー俺でも出来た。一ノ瀬の教え方って分かりやすいな、さんきゅ。牛島にどうしても聞く気にならなくてなぁ。」
昨日伊藤に勉強を教えたことによって少しだけコツを掴めてきたようで、湖越は分かったことに少しばかり感動を覚えながら感謝される。
礼を言われてどう反応していいのか分からず、とりあえず頷いてみた。
これなら俺も何とかなりそうだわ、と言う湖越はどうやら勉強が苦手なようだ。ただ分からない理由だとか理解の仕方が伊藤とよく似ていたので昨日のような苦戦はしなかった。
伊藤は昨日俺が教えたところを忘れないうちにと復習をしている。
見た感じ苦戦しているようには見えないので、コツはつかめたんだろう。国語とかと違って数学はコツさえつかめばそれなりに出来る、と慣れれば楽な教科だ。
楽と言えるまで時間はかかるようだが、伊藤がすらすらと淀みなくノートに問題を解いているのを見る限り苦しんでいるようには見えないので大丈夫だろう。
叶野と鷲尾は
「あ、鷲尾くん、ここ間違ってるよー」
「どこだ」
「ここここ!過去形にしちゃうと意味変わっちゃうよ、この日本文だと進行形のほうが正しいかなー。」
「……そうか、そうだな。」
「間違いやすいよねー。俺も何回もまちがえっちゃった。」
「僕は1回注意されれば二度は間違えないぞ。」
「お、嫌味だな~!このメガネ!」
「メガネは悪口じゃなくただの事実だ。」
俺が湖越に教えるから、と言えば鷲尾は不貞腐れたような雰囲気になったが、叶野にじゃあ鷲尾くんが一ノ瀬くん待ち時間の間俺らは日本語文を英文に訳してそれを見せ合って間違っているところ言い合おうと提案したのが聞こえていたのできっとそれを実行したんだろう。
叶野が鷲尾のちょっとしたミスに気が付いて指摘して、鷲尾は自分が間違っていないと思っていたようで不機嫌そうな顔をしていたが叶野に間違っていた箇所を見せられてかつ具体的に説明されて、ちょっと呆気にとられたような気の抜けた顔をした後納得したようす。
どこを間違えていて間違いやすいのか参考に、と思い鷲尾に許可をもらって皆で見てみる。叶野がここだよ、と指を指しているところに注目する。
「……叶野、良く分かるなこの問題。」
「えっ」
見てすぐ伊藤がそう叶野に声をかけた。
叶野は驚いたように目を見開く、それもそうだ。この問題は水咲高校ではまだやっていないところだ。
前の学校では俺はやっていてかつこの問題が書かれているプリントは、昼鷲尾に見せてもらった塾でやっていると言っていたものだ。
この学校の授業だけやっていても分からない、そしてテストの範囲外である。もしかして
「……英語好きなのか?」
「え、あ、あーそう!俺実は洋楽とか好きなんだよね!たまに外国の映画も見たりするし?だから、こう、ちょっと分かっただけ!」
「へぇ、確かに音楽な分、訳してどういう意味なのか分かるのも暗号を解いてるみてえで楽しそうだな」
「そうそう!話が分かるね、伊藤くん!」
確かに洋楽の歌詞を日本語訳にしたりするのは自然と身に着くんだろう。
あまり洋楽……と言うか、音楽などの娯楽を嗜んだりすることはない。伊藤が好きと言っている曲を聞くこともあるが、日本人のアーティストばかりなので洋楽には縁がなかった。
でも音楽ならリズムで覚えられるかもしれないし、伊藤との勉強でこういうのも取り込むと良いのかもしれない。
勉強だけしてても、勉強の良い教え方って思いつかないものだな。勉強は一人でやるもので、自分が理解していればいいだけだが、教えるとなればそうもいかない。昨日散々痛感したものだ。
人に教える立場となればきっともっと視野を広げるべきなのだろう。となると岬先生や五十嵐先生は視野が広いのだろう。
「……本当か?」
「ほ、ほんとうだよ!?」
感心して叶野を見る俺と伊藤とは逆に何故か訝しそうに叶野を見て問いかける鷲尾に、叶野は何故か焦って肯定している。どこか空気が悪くなった気がする。
「ふーん」
「なんすか、そのわっしーの態度ぉ…おれせっかく頑張って見つけて間違ってるとこ教えたのにぃ。」
「……わっしーってなんだ」
「え、鷲尾くんのニックネーム。」
「…許可した覚えはないし呼ばれた覚えもないが?」
「うん、俺がずっと考えていたニックネーム!今日からわっしーって呼ぶね!」
「辞めろ!」
どこか不穏な空気になりそうな気がしたが、いつの間にかいつも通りの流れで叶野が鷲尾を弄っていた。
何故いきなりニックネームで呼び始めたのか……わからん。
「今のなんだったんだ?」
「……分からない」
首を傾げて叶野と鷲尾が騒いでいるのを伊藤とともに眺めている。
一気に変わった空気に戸惑っていて気が付かなかった。
いつも通り鷲尾を弄るようなことを言う叶野は内心いつも通りの空気になったことに安堵していたことに、2人を眺める俺らの後ろで湖越が落ち着きなく叶野の様子をじっと見ていたことを、俺は知らなかった。
もしかしたら、鷲尾もいつも通りの空気にしようと無意識のうちに気遣っていたのかもしれない。
これ以上叶野に追求すれば『いつも通り』ではいられなくなるのだと、意識で分かっていなくても俺よりは長く叶野と話していたから、無意識にわかっていたのかもしれない。
だけど。
いつかは『いつも通り』ではいられなくなることも、きっと分かってた。
それを見て見ぬフリをしていたんだ。
叶野と湖越は確実に綻びつつあることに気が付きながらも、こうするしか出来なかった。こうしないと自分を守れなくなってしまうんだって、叶野が壊れてしまうんだって、知っていたから。
俺は、誰のことも何も知らずにいた。
決して自分だけが不幸と思っていたと言う訳ではないが、それでも俺は何も知らなかったんだ。分かってもいなかった。
誰しもが多かれ少なかれ悩みを抱えているんだと言うことを。
普通の高校生として幸せそうに見える叶野たちにも、俺の隣にいる伊藤にだって人前で言えないような悩みがあることを、ちゃんと理解できていなかったんだ。