このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

2章『結局のところすべては自分次第。』


 後片付けも終わり、風呂に入らせてもらってもうあとは就寝するだけになった。
 俺が風呂に入っている間も透は勉強しているようで、数学ではなく国語の教科書を見ている。
 集中しているせいか、俺が上がったのに気が付いた様子はなく特に何も感情を映すことなくその顔は教科書に注がれている。
 ……さっき、何故すぐに透に聞かなかったか。どうしてだか俺にも分からない。
 透が言っていたように分からないところがあればすぐに聞けばよかったのに。言い訳になるが、最初はちゃんと聞こうとはした。本当は教科書を開いてすぐにやべえと気付いたのだ。割とすぐ、序盤のところで。
 けれど、透はさらさらと何の淀みもなく苦戦する様子もなく解いているのを見ていると、何となく自分が場違いな感じがした。

 なんだか、恥ずかしくなったんだ。

 幼いころから透と俺の頭の良さは全く違っていて、透の頭はとんでもなく良くて俺の頭はとんでもなく悪いことぐらい、分かっていた。
 分かっては、いた。だがここまで差を見せつけられてしまうと、少し意地を張りたくなった。なんとか一人で解こうと思って透に教えてもらうと言ったのを忘れて自分自身の力だけでやるのに躍起になった。
 まぁすぐに透に見破られて白状させられたが。
 何となく自分が汚い存在に思えて、後ろめたくて怒っているであろう透を予想してしまって目を合わせられなかったが、

『……分からないところがあったら、言ってほしいのに。そうじゃないと、教えられない。』

 と、どこか拗ねた色をした声で透が言うものだからバッと顔を上げてしまう。
 少し寂しそうにも見えたその表情は胸が苦しくなった。沸いてはいけない感情が湧き上がってしまう気がしてこれ以上見てはいけないと思いつつも見てしまっていた。
 そのあと何故かすぐに謝られてしまったことに驚いて、湧き上がる前に終わってくれたのに安堵した。
 最初にお願いしたとおり、何とか透に教えてもらうことになって、とんでもなく分かりやすかったうえ、何度同じ質問をして透が答えてくれても俺は要領を得ず、首を傾げてしまう俺に透は根気強く教えてくれた。
 きっと透からして初歩的なことで、担当教師である牛島に聞けば馬鹿にされてしまうぐらい序盤の問題なのに透は何とか俺の目線に立って俺が分かるように挑戦し続けてくれた。何度も言い方を変えて俺を理解させようとしてくれた。
 ぶっちゃけ言うと、俺の学校の行っていなさは高校どころか中学も共通している。
 透にはあまり言いたくないが、今もまぁ素行が良いとは言えないんだろうが、中学のときはその倍以上酷いもので、売られた喧嘩はなんでも買っていたしここまでしなくてもいいだろうと今なら思えるぐらいの暴力行為をしていたこともある。
 教師どもも岬先生や五十嵐先生のような人なんていなくて、家族には何の期待もしていなかったものだから、同学年はおろか大人も全部が俺にとって敵以外の何物でもなく学校に行く意味も見失っていたから、正直変化のあった最後の半年ぐらいしかちゃんと行っていない。
 高校も行くつもりは本当はなかったが、とりあえず行っておけと透の両親以外で初めて出会った信頼出来る大人の人に言われたから渋々定員割れしたこの水咲高校に入学した。
 色々ごちゃごちゃ並べたが、とにかく俺はほとんど中学校にも行っていなかったので、勉強はからっきしだ。きっと普通なら中1から習わないといけないレベルだ。
 本当ならいくら教師と言う立場でそれが岬先生らのような人でも、俺のことを教えるのはかなりきついんだろう。中1の問題から見つめ直さなければならないのだから。
 なんで透に頼んでしまったんだろうと頭の悪い俺でも後悔した。
 それでも透はあきれた様子も馬鹿にした様子も見せずに真剣に打ち込んでくれた。
 透も教える側になるのは初めてのようで言い回しがぎこちなく少しだけ苛立った様子を見せたのは俺にではなく上手く教えられない自分に苛立っているのが分かって申し訳なく思う。
 透が真剣だったから、俺も真剣に理解しようと思った。なぁなぁで終わらせるんじゃなくて恥も捨てて分からねえところを遠慮なく聞いた。
 ようやく理解して、解けたときの爽快感はすごいものだった。透も嬉しそうだった。

 透が教師であれば、きっと良い先生になれるんだろう、そう心から思った。

 最初に感じていた不貞腐れた気持ちは吹っ飛んで、疲れたであろう透に料理を振る舞うべく台所へと向かった。
 さっきまで教えてもらう前に感じた情はどこかに消えてしまっていたのだが、1人教科書に熱心に見ている透の姿に今また復活している。

 自分のことなのに首を傾げた。
 なんだろうか、何故だろうか、どこから生まれるんだろうか、この感情は。
 綺麗か汚いかと聞かれれば汚い。どす黒いもやもやが胸に住んでいるようだ。
 何故、透はただ1人で勉強しているのを見ただけだろう。それなのにどうした、この感情は。

「……ん、あがったのか。」
「あ、おう」

 自問自答していると透は俺に気が付いて教科書から目を離して顔を俺に向けた。
 目が合うと、少しだけ胸のなかの影が晴れたような気がした。
 俺の感情とは真逆に透はくあ、とのんびりと欠伸をした。生理的に溜まった涙を拭っている。

「そろそろ寝るか」
「……ああ」

 チラッと俺の姿を一瞥して押し入れから毛布を出して俺に手渡してきた。
 そういえば週末に1回透の家に泊まったが、明日も学校がある平日の真ん中で泊まるのは初めてだな。なんとなく駄目なことをしている気がしておもしろい。

「寝るか、明日も学校だしな」
「…………そうだな」

 いつもよりも少し長めの沈黙のあと、やっと俺の言葉にうなずいた。
 電気を消すために立ち上がる透を俺はなにも考えずに見ていた。さっきのような感情はもう生まれない。
 けれど、今日少しだけ感じていた疑問が今また生まれた。
 今日の透は俺になにか聞きたいことがありそうな雰囲気があるのだが、どこか言い淀んでいるようだった。
 待てばいつか聞いてくれるだろうか、それとも今俺が聞いた方がいいのか、とか考えたのだが、明日学校もあるのに今も結構遅い時間で透も(俺もだが)勉強をして疲れたんだろう、夕飯を食い終えた後透はいつも以上にぼーっとしているし口数も少ない。
 聞かないでいるべきか聞くべきかを考えるのも明日することにしよう。時間は、たくさんあるんだから、焦ることもない。

「おやすみ、透」
「…おやすみ」

 そう声を掛け合って透は布団の中、俺はその辺で毛布だけ借りて座布団を二つ折りにして枕代わりにして横になった。
 普段なら耳障りで眠り難くもなる酷い雨の音も疲れた脳には関係なく、すぐに眠りについた。

「……どこまで、行ってもいい?どこまでなら、伊藤のなかに行っても…大丈夫、か?」

 雨音にかき消されてしまうぐらい小さな声で透がそう俺に聞いていたのは知る由もなかった。
16/100ページ
スキ