2章『結局のところすべては自分次第。』
まだ夕飯にするには早すぎる時間であり、伊藤曰くオムライスはそこまで時間もかからない料理らしいので準備するのも早いので、予定していた通り勉強をすることにした。
俺がカバンから持って帰ってきた教科書とノートを取り出すと伊藤も嫌そうな顔しつつも数学を取り出した。
「あー…本当に俺頭悪いからな。たぶん透が嫌気さすぐらい。しかも数学は一番不得意だからな……。」
嘆きながらもやる気はあるみたいで教科書を広げ始める、嫌気を指すことはないとは思うが授業でやる範囲内なのだし、そんなに難しいものでもないからきっと大丈夫だろう。
そう思いながらも何も言わず頷いた。
とりあえず最初の内は互いに自分の勉強することにして「分からないところがあったら遠慮なく言ってほしい」と伊藤に伝えて俺も教科書を広げた。
しばらくページを捲る音とノートに書きこむ音が誰も話していない部屋で雨の音の合間に微かに聞こえる。
伊藤が数学をやっていたので俺も数学を軽く復習してみた、鷲尾が言っていた通り俺が前にいたところは結構頭のいいところだったみたいで今授業で習っているものは中学のときにはもう習っているところばかりだ。
勉強は日々やっていないと忘れてしまうこともあると聞いたが、皮肉にも記憶力がよく覚える容量も俺には多めに出来ているようで公式などもすぐに当てはめられた。
数学はそこまで心配はないと言うのは分かった。この分なら問題は無さそうなので国語を中心にやっておいたほうがいいのかもしれない。漢字の書きなどは大丈夫でも細かい心理描写が俺は前から苦手だしな。
あと1頁数学を終えたら国語に切り替えよう。そう言えば伊藤の進行具合はどうだろうか。ずっと無言だが捗っているのだろうか。
数式を書き続けていた手を休めるついでに伊藤の方を見てみる。
「……」
「……」
伊藤は無言でとんでもなく難しい顔をしていた。
ノートを盗み見れば空白である。教科書を睨め付けながら熟読しているが、顔は険しいまま戻ってこない。
どうやら本当に数学が苦手みたいだ。何とか自分で解こうとしているのは見ていて分かるが、どうしても分からないようで苛立ったように伊藤の手は後頭部を掻いた。
「……伊藤」
「……はい」
声をかけるとビクッと体を震わせたあとすぐ何故か畏まった返事。
「どこから、わからない?」
「……正直言えば、最初から。」
「……最近の授業は分かったのか?」
「……まったく。ぜんぜん。」
質問しても俯いたまま返答。目も合わせないところ見ると後ろめたいようだ。
てっきり先生に質問もしていなかったし俺にも特に何も思っていないようだったので理解していたと思っていたが違ったらしい。
……周りのうわさを聞く限り、俺が転校してくる前までほとんど学校も来ていなかったようだったし、わからないのも当然なのかもしれない。
怒られたと思っているのか俺の目を見ずにうつむいたままの伊藤に思わずため息を吐いた。
「……分からないところがあったら、言ってほしいのに。そうじゃないと、教えられない。」
別に怒ってない。苦手得意なんて人それぞれちがうわけだし、そもそも伊藤は学校に来ていないのだからまずスタート地点が違うんだから。
でもこのぐらい出来るだろう、分からなかったら聞いてくれるだろうと俺も思い込んで自分のことばかりになってしまったのはいけなかったか……ほんの少しモヤモヤする。
自分はそう言うつもりはなくとも、知らず知らずのうちに傲慢になっていたのかもしれない。俺も省みないと行けない点もある。伊藤だけを責めるのはお門違い、だな。
「……ごめんな」
「え、いや!透は謝らなくていいし、謝るところじゃねえだろ?」
「……でも、俺の今の言い方が悪かった。」
伊藤だけを責める物言いになってしまったことには反省しなければならないところだ。
「あー…いや、でも透は悪くねえよ。勉強教えてほしいって言っておいて変なプライドで言わないでいたんだしな……」
最後の方は小声でほとんど聞こえなかった。首を傾げるが伊藤は誤魔化すように少し自嘲気味に笑って白状したかのように
「……何でかお前の前では少しでも格好つけたくなっちまうんだよなぁ。聞こうと思ってお前のほうを見たら何も悩んだ様子もなくさらさらと問題解いているの見たら、もうちょっと自分の力でやりてえなって思っちまったんだよ。」
そう言った。
聞こうとしていたのにそれを俺は見逃してしまったようだ。教えてほしいと頼まれていてそれを快諾したのに、自分のことに集中しすぎていたようだ。
そのせいできっと伊藤にとって言いたくないことを言わせてしまったのだ。そう気付いてしまった。出来ないことを教えを乞うことに勇気がすごいいること、俺は分かってたのに。
この1か月ぐらい前まで、俺は世界に対して怯えていた。それが今では大分平気になってきて視線を気にしなくなったのは、俺のことを見ていてくれた伊藤が気遣ってくれていたおかげなのに。
自分が頼られる立場になると、自分のことをしながら他の人を見るのは難しいんだと今気が付いた。自分に嫌気が指した。伊藤に謝りたいけれど、なんて言っていいのか分からなくて乞う様に伊藤の方を見ているしかできなかった。
「そんな顔するなって。ほらこことか教えてくれよ。理解するまで時間かかるぞ、俺は。」
眉を寄せているけれど笑ってそういう伊藤に俺は何も言えなくて、伊藤の指をさしているところへと視線を映した。
結局のところ、俺はこの1か月でまだまだ変わったとは言えなくて。進んでいるのか退いているのかも未だ分からないままだ。今も伊藤に頼り切りで困らせたのは俺なのに伊藤に助けを求めてしまうと言うなんとも……甘ったれている。
それを受け入れてくれている伊藤には頭は上がらない。今日の体育のときだっ、て…………。
……体育のときのことは、あまり詳しくは思い出さないでおこう。伊藤の体温を思い出すだけで何故か変な気持ちになる。悪いことをした、その事実だけは絶対に忘れずにいよう。
とにかく、伊藤に甘え切ってしまっていることは自覚はしている。気を付けないとと思うがどうしてか甘えてしまう、最近悩みになりつつあることなのだ。
たぶん記憶を失って初めて俺を認めてくれて、俺のことを最優先してくれて甘やかしてくれる存在だから、寄りかかろうと無意識にしてしまう。伊藤も少しは否定してくれれば、と少し八つ当たりにも近い感情が芽生えるが、きっと伊藤は俺への情があって突き放せないんだろうと予想出来る。伊藤は優しいから、俺に同情しているんだろうな。
せめて。
次から伊藤が分からないところがあったら見逃さないように、ちゃんと集中して教えようと思った。
どう分からないのか、伊藤はどんなところが苦手なのか、と聞こうと口を開く。