ここから始まる『俺』のものがたり。
「立てるか?」
「……うん」
彼が俺を立ち上がらせるべく力を入れたので、その流れに逆らわずにその力を利用して立ち上がることに成功した。
さっきまで力が抜けていたのが嘘のようだった。
彼と目線が近くなった、と言うか同じと言っても過言ではなかった、身長は俺と同じぐらい。
意外と距離が近くなったことに驚いたのか、彼は少し後ずさりをした。
そして彼は俺をまじまじと見た。視線が苦手なので少し居心地悪い、でもフードを被っているし彼の目はなんだか優しいから、いつもよりは平気、な気がする。
「……やっぱり、透…だよな?
よかった、勘違いじゃなくて。すごい、久しぶりだな!
本当は公園からお前を見ててさ、でも見間違えかともちょっと思って、また戻ってくるの待とうと思ったんだけど、そっち見ると項垂れているの見て驚いちまってさ。
つい、まだ透だって確認してなかったのにお前の名前呼んじまった。」
親し気に話しかけて少し照れたように笑う彼。
公園のときから俺のことを確認していたらしい、今顔を見れて『一ノ瀬透』だと完全に確認がとれたらしい。
……俺を『一ノ瀬透』と呼んでくれる彼は誰なんだろうか。
口ぶりからすると俺のことを知っている、きっと、引っ越す前の友人、なんだろうか。
話しかけているのに何も声をかけず静かに凝視している俺に気付いたようで、嬉し気な顔が一気に悲し気な表情になって
「……俺のこと、忘れた、か?」
と、切ない声でそう聞かれて、俺は胸が痛んだ。
どうして、俺は、忘れてしまっているんだろう、口ぶりからして彼は俺の友人なのだ。そして俺はあれ以降誰とも連絡を取っていない。
彼は、6年間俺を待ってくれていたのだ。記憶のある俺のことを。
右手で左の袖をぎゅうっと握りしめた。
彼の顔を見れなくて頷いたあと、視線を逸らして告げた。
「……ごめん、なさい」
俺のことを見て、心配してくれて透って呼んでくれたのに、俺はなにも返せない。
散々さっき誰かに認めてほしいとか言っていたのに、返せるものを持っていないんだ。
また俺は傷付けてしまった。
『一ノ瀬透』じゃない俺には何の価値はないのだ。分かっていたのに、あの日思い知らされていたのに、なんて愚かなことを望んだんだろうと後悔した。
今から彼に俺は罵倒されるんだろう、最悪手が出てもおかしくない、だって俺はこうして俺を望んでいた彼を忘れた、そして彼のことを見ても思い出せもない自分が情けなかった。
指先が白くなるほど握りしめて彼の反応を窺う。
しばらくの沈黙のあと、彼の右手が自分に向かってきた。
殴られるのだろうか、それで彼が少しでも気が済めば良いと思いながら来るであろう衝動に身構えた。
けれど、彼の手は俺の頬や腹を殴るのでもなく頭の方へ向かい拳骨なのかと思いきや、目深に被っていたフードをぱさりと取られ、間髪入れず俺の頭を撫でてきた。
ただ親しみだけを込めた、優しい手だった。
驚いてどうしていいかわからずに逸らしていた視線を、彼の眼へと向けた。
そこには冷たくて憎しみと怒りを込められたものではなくて、もっと暖かくて穏やかで、……優しくてほんの少し悲し気な眼をした彼が視界に入った。
「……そっか。
俺は伊藤 鈴芽(いとう すずめ)、お前の親友だ。
まぁ、なんだ、記憶は無くてもとりあえず言わせてもらうな。
約束守ってくれてありがとな。
おかえり、透。」
俺の目から逸らすこともなく、彼、伊藤は、少し微笑みながら優しくそう言ってくれた。
いつの間にか痛くなるほど握っていた手にも伊藤の手が重ねられていて、自分よりも高めの伊藤の体温が伝わって、目頭が熱くなった。