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2章『結局のところすべては自分次第。』

『俺らが勝手に教えていいものなのか判断がつかなくてな。』

 伊藤のことについて教えてくれないのか、と問う一ノ瀬に俺はそう言った。そして伊藤本人に聞いた方が良い、と続けた。
 一ノ瀬は俺を見つめた後、納得したのか正直どう思ったのかも分からないいつも通りの無表情さで『分かった』とそれだけ言って立ち上がった。
 先生のもとへ向かおうと一ノ瀬は俺のとなりを横切った、俺も後を追うようにして歩き始めた。

 さっき自分が言った言葉を繰り返し脳内で反芻する。……良い言い訳だな、そう思って自分を嗤った。
 結局自分は我が身が可愛いだけだ。ああ言えば俺は伊藤のことを考えて言わないでいるのだから自分はこれ以上聞くべきではないだろうと相手に思わせるには充分だ。
 自分で言ったことで誰かが傷つくのが恐いだけだ。
 その俺が恐いと思う理由も、俺が正直にあの事件について一ノ瀬に言って、2人の友情にヒビが入ることではなくて『伊藤は何も悪くない梶井がすべての元凶』だなんて俺の口から言いたくない、それだけなのだ。
 そう言ってしまえば俺が認めなくてはならない気がして。記憶の中の梶井があの梶井と同一人物なのだとどうしても認めたくなくて。
 それでもだれかが梶井のことを言うのは許せなくてそのくせ自分も言いたくなくて、結局一ノ瀬が伊藤意外のだれにも聞かないほうが良いとそう誘導したのだ。
 なんて醜態な様なのだろう。
 突き付けられるのが嫌で誰かが梶井のことを言うのも嫌で、自分が傷つくのも嫌。なんて醜いんだろうか。

 前を歩く一ノ瀬を見る。
 顔が綺麗なだけではなく背筋をピンと伸ばしてしっかりと歩いている。その背中は俺よりも細いのに、その真っ直ぐに歩くさまは大きく見えた。
 ……転校してきた日はどこか自信が無さそうで儚い印象だったのだが、昼休み戻ってこないと思ったら伊藤とともに早退して、次の日登校してきた一ノ瀬の雰囲気はずいぶんと変わっていた。
 無口で無表情なのは変わらないし、どこが変わったのか昨日今日の付き合いでは分からなかった。希望も不思議そうにしていたが、日の浅い付き合いなので踏み入るつもりはなくてそのまま流したのだ。
 ただ、初日に比べて伊藤にしていた遠慮が少なくなっていたのは分かった。
 最初の内はあの伊藤が誰かと一緒にいてかつ笑っているなんて、とか色々と気になってはいたが非日常も1ヶ月も同じように続いていれば日常へと変化するものらしい。
 今ではたまに話題になるぐらいで気にする人はもういない。
 あれだけ伊藤といることで視線にさらされても一ノ瀬は気にせずに隣にいて話している。その2人の姿はいつも楽しそうに見える。
 あの伊藤といる一ノ瀬がすごいのか物凄い美形といる伊藤がすごいのか、という話題がちょくちょく開かれ始めている。ちなみに未だに答えは出ていない。いつまでも平行線である。

 ……俺は、もし希望がまたあのときと同じ繰り返しになるとするのなら、黙っているつもりはない。俺に話しかけてくれて俺の罪を受け入れてくれた。そんな希望を見殺しに近いことなんてしない。あのときも同じ学校だったらあそこまで希望が追い込まれることなんてなかったのに、あのときもっと話を聞いてやればよかった。
 そんな後悔はもうしたくなかったはずなのに、どうしてまた俺は同じ後悔をすることになったんだろう。

 どうして、それはもうタイミングが悪かったとしか言いようがなかった。
 いつも俺はタイミングが悪くて、そのせいで梶井だけでなく希望にも自責の念を抱くようになった。希望は気にしなくていいと言ってくれたが、決めたのだ。
 大切な親友だから、もう傷付けられるのをもう見たくない。だれが何を言っても俺だけは希望の味方であろうと決めた。

『僕のことはもういらないんだね』

「……っ」

 脳内で響いた声に鳩尾付近をグッと抑えられたかのような痛みに吐き気まで催してきた。
 胃を片手で抑えて立ち止まる。背中に汗がじわりと滲んできたのが分かる。
 前を歩いていた一ノ瀬が振り向く、俺の足音が止んだのに気がついてのことだろう。無表情ながらもどこか悪いのかと言わんばかりに静かに灰色の瞳が俺を映す。
 冷たく見えるはずの無表情に無口さなのに意外にも一ノ瀬の瞳は優しい。穏やかと言うべきか、あまり見慣れない灰色の目が感情的に揺れることもなければ冷徹と言うほど冷たくもない。
 常ならばその瞳になにかを思うことはないのだが、今はその眼で見ないでほしい。

 自分が『汚いモノ』に思えてしまうから。

 一ノ瀬の視線に気が付かないフリをして、横切ってみんなの集まるところへと歩いた。
 脳内に響く梶井の声も、現在進行形で感じる一ノ瀬の視線にも、裏切った罪悪感からも目を背けて。
 いつだって俺は自分が傷ついてしまうことを、何よりも恐れているんだ。
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