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2章『結局のところすべては自分次第。』


 唐突に伊藤にラーメンを食べに行こうと言う約束を取り付けられた。
 先生の話を終えて他のクラスメイトたちが移動し始めるなか伊藤はボーっとしていて、数回呼びかけてようやく反応が返ってきた。
 いくら砂を払ったからと言えど、相変わらず後姿が汚れており申し訳なく思う。もしかして先ほどのせいで背中や腰を痛めてしまっただろうかとも思ったが俺の呼びかけに痛がりもせずすぐに立ち上がったので大丈夫そうである。
 伊藤が笑顔で許してくれたし茶化してくれたのでもう気にしないことにはしたが……走っている伊藤の後姿が砂まみれで茶色くなっているのを見てなんとも言えない気持ちになる。
 今100メートル走を行った後で二回目を走りたい人がいれば走ってもいいと言うことで、俺以外二回目に並んで行ってしまった。……意外にも鷲尾も。
 鷲尾のタイムを聞いた叶野が「やっぱり鷲尾ってひょろいんだね!」と言われて苛立ったのか対抗意識が芽生えたのか「次こそは勝つ」と並びに行ってしまった。

 前々から思っているんだが、叶野って鷲尾に対してはずいぶんと辛辣な気がするが……気のせいだろうか?

 俺はもうさっきので割と全力だったから次やっても記録は変わらないだろう、コンディションも悪くはなかったしこけたりとかそう言った後悔は特にない、むしろ今の方が少し疲れている分記録が下がるかもと思って二回目には参加せず、少し離れたところでクラスメイトたちが走っているのを見ていた。

「おっす、一ノ瀬」

 誰かに話しかけられた。視線を向けるとクラスメイトの沢木と沼倉だった。どうやら俺と同じで走らない組らしい。
 話しかけられたので相槌として軽く手を振った。クラスメイトに声をかけられたときどう反応していいのか分からないと伊藤に聞いたらこうしておけと言われ、実践したところ特に不快な雰囲気になることはなかったからこれであっているんだろう。この方が透のキャラ的に合っているとか言われたがそれはよくわからなかった。

「一ノ瀬が引っ越してきてもう1か月かー」
「なんかいろいろ凄いやつ来た!と思ったよなぁ、とんでもない美形で?勉強できて?運動もそれなりに出来てるし?どこの少女漫画だと思ったなーここ男子校だけど。」
「……どうも」

 唐突に褒められてなんて反応していいのか分からなくなった。
 俺からすると自分の顔は普通に自分の顔だなとしか認識していない、ただ知らない人からの視線がすごい感じるので悪目立ちする顔なのかと思ったら皆曰く『とんでもない美形』らしい。伊藤にも言われた。
 自分では不細工とは思うことはないが美形だとも思えずにいるが、あまり否定ばかりすると嫌味にも聞こえるようなので軽く礼を言うぐらいにしている。
 あと、

「……彼女いたこともないけどな」

 この事実を自分から言うと受けがいいと言うかなんというか

「そうそう!それが一番意外なんだよやっぱ美形過ぎるから近寄りがたいのかもな?」
「案外男は顔より中身なんだと証明出来てるってことじゃね!?うっし!俺らにもチャンスはあるってことだな!」

 周りが何故か自信を持ってくれるし明るい顔になってくれる。その理由を知らなかったが、今2人の言葉を聞いて納得した。

「……確かに。俺といるよりも2人のほうが一緒にいて楽しそうだよな。」

 何を考えているか分からない無表情だとか言われてしまって、こうやって話しかけられても話すこと自体未だに苦手だ。
 話しかけられたら答えるけれど、今も相変わらず会話のテンポについて行けていないしな。
 伊藤に対しても自分から話題をふったりするのが苦手で察してくれた伊藤に聞かれてようやく話せるぐらいなので、とんでもなく苦手なのである。
 女性も俺といるよりも沢木や沼倉のように賑やかで楽しそうに話題をふってくれる人のほうが良いと思う。
 周りの空気を読むことに長けていて気を遣えながらもそれを察されないように出来る叶野は……きっとすごいモテるんだろうな。

「……なんか、肯定されるとむず痒いのはなんでだろうなー。」
「きっと汚い心をさらけ出して、それを優しく肯定されてかつ笑みを浮かべる聖女を目の当たりにしたときと同じ感覚なのかもなぁ……」
「分かりやすいような分かり難いたとえすんな」

 なにか変なことを言ってしまっただろうか。なにか気に障ることを言ったつもりはなかったのだが。じっと2人を見つめるとおっと、と少し間延びした声のあと何事もなかったのに話は続いた。

「ちょっと悪しき心が恥ずかしくなっただけだ、気にすんな。」
「そうそう!それよりさ、一ノ瀬に彼女がいたことがないのと同じぐらい意外なのは、あの伊藤と仲良いことだよな!」
「さっき伊藤をこけさせたのとか正直肝が冷えたわ…。」

 多少予想はしていたがやはり伊藤とのことを言われた。転校初日に視線を受けた大きな理由は俺自身のことではなく、俺が伊藤とともにいることだったのだ。最近では慣れて来たのか伊藤とともにいてもあまり視線は受けなくなったが、やはり疑問は残るようだった。
 なぜ、俺が伊藤と一緒にいるのか。
 叶野がどこか俺らのことを不思議そうにしていたから一番に突っ込まれるのは彼だと思ったがまぁクラスメイトも気になるだろう。
 仲が良いことと一緒にいることとの違いがよく分からない。周りから見て仲が良いと思われるのはうれしいことではある。

 ……それにしても、何故みんな伊藤のことを遠巻きに見ているんだろう。今は俺がこの高校にやってきたころよりは伊藤への視線は穏やかなものになったし、普通に話をするようにもなっている。だが、やってきた初日は伊藤を珍獣でも見るかのような視線だった。笑ったり、いや誰かと一緒にいたりすることにも驚いているようだった。
 驚いて伊藤に視線を集中砲火しても、話しかけるのはおろか視線も合わせようとしなかった、どこか怯えているようにも見えた。

 確かに無表情のときの伊藤は威圧的に感じるかもしれない。髪も金に染めていて全開の学ランの下に赤いTシャツで見た目は確かに不良にも見えるが、何故そこまで怯えているのか分からなかった。

「……なんで、そこまで伊藤のこと恐がる?なんかあったのか?」

 純粋に疑問だった。
 初めて一緒に登校していたとき、それを聞いた岬先生の驚いた顔や桐渓さんから聞いた伊藤の評価など頭の中で思い浮かべる。
 目の前にいる沢木と沼倉も当初恐怖で近寄りはせずとも好奇心に視線を向けて、今もさっき俺が伊藤にしたことに対してどこか怯えているようにも見える。
 見た目だけで決めつけているようには見えず、前にもなにかあったのではないか、と行きついた。俺が知らない時期に……俺が転校してくる前に。
 前々から思っていた疑問ではあったが本人はおろか叶野たちにも何となく聞けないでいたから、今聞いてみた。
 俺の疑問にきょとりと驚いた顔の2人。

「あれ?伊藤から聞いてないんだ?」
「……ああ。」

 そのことを気にしていないのか言いたくないことなのか分からないが、伊藤から俺が転校してくる前の話をあまりしない。俺から聞くのもなんだか違う気もして聞けずにいた。伊藤が俺を待ち続けていたのとは真逆に俺は伊藤のことを記憶から消して生きる日々を流すように生きていた時期だったから、後ろめたさがあって聞けなかった。
 沼倉に聞かれたことに肯定すると、『ふーん』とあまり興味なさそうに頷かれた。

「まぁ一ノ瀬がこっち来る前だったしな。いや、あれはすごかったな。入学式のときから伊藤って冷たいっていうか……こっちに興味なさそうだったしなぁ」
「すでに金髪で制服も着崩してた上に無表情で口数も多くないしさ、正直言うと近寄りがたかったわ。進んで話しかけてたのって叶野ぐらいじゃね?湖越も普通に話はかけてたな。あーあと隣のクラスの恐いもの知らずの吉田ぐらいか。」

 2人の話をどうも信じられないなと思いながら聞いた。いや、彼らのことが信用していないわけではないのだが、俺のなかの伊藤と他の人の言う伊藤と一致していなくて、接しにくい伊藤の想像が出来なかった。
 俺のことを気を遣ってくれて話しかけてくれるのも伊藤からで、表情もコロコロ変わる。
 どうしても引っ掛かりを覚えてしまうのだが、別に伊藤のことをそう言うことに責める気はないし転校初日のみんなの意外そうな顔からすると真実なのだろう。俺がどうこう言える立場でもないのだろうが、どうも陰りが心に残って消えなかった。
 内心引っ掛かりを覚えながらも2人の話を耳に入れた。俺の表情があまり変わらないことが幸いしてか俺の内心に2人は気付いていないようで話は進んでいく。

「入学式からそんなに日が経っていないときにあんなことあったからもんだから、伊藤のことよくわかんねえまま俺らも疎遠しちまったんだよな……」
「……あんなことって?」

 溜息を吐いて少し後悔しているような沢木が言う『あんなこと』とはなんなのか聞いてみる。
 少し言い淀んで、沼倉がその話題に言いにくそうに沢木と目を合わせながらもあーうーとうめきながら重たそうな口を開いた、とその瞬間

「おーい、お前ら先生呼んでるぞ。はやく来ねえと片づけをお前らだけでさせるってさ。」
「ゲッ!」
「それは無理っ悪い、一ノ瀬その話はまた今度な!」
「……わかった」

 気付けばとっくに100メートル走は終えていたようで、湖越が俺らを呼びに来た。いつの間にか近くに来ていたのか、話に夢中になっていたようだ。
 沢木と沼倉は湖越に呼ばれてすぐに行ってしまった。急いでいく理由は分かるが、どうしても俺に伊藤のことを話さなくてもいいと安堵しているようにも見えた。多分次聞いても逃げてしまうかもしれないので、俺も気にはなるのだが彼らを快くないことをさせるのは本意ではないのでもう聞かないことにしよう。
 俺が思っている以上に伊藤がしたことは大きなことなのかもしれない。結局伊藤が恐がられる理由はわからないが、それだけは分かった。
 呆けて動かない俺に湖越が近づいてきた。

「一ノ瀬。……伊藤自身は何もない、ただ巻き込まれただけの被害者だ。」
「……」

 眉を寄せながら少し苦し気に湖越はそういった。立っている湖越を座ったまま俺は見上げた。必然的に見下ろされる形になって高圧的に感じて時として恐怖さえも覚えるはずなのに、湖越の顔は……なんだろうか。悲しげにも見えつつ怒っているようにも見える。それは俺に対してではなさそうだが、だれに向けているんだろうか。

「あまり俺の口からは言えないが、伊藤は何も悪くない。これだけは信じてやってくれ」
「……」

 俺のことを救ってくれた伊藤を疑ったことなんてない上に俺が転校する前に伊藤がなにをしたのかなにか起こしたのかわからなくて教える気もないのに、なぜ湖越がそう言うのか。
 そうは思ったが、湖越の顔が切羽詰まっている様子だったから何も言えず無言で頷いた。
 頷いた俺を見てどこかホッとした様子にも見える湖越。

「……教えてくれる気は、無いんだな」
「……俺らが勝手に教えていいものなのか判断がつかなくてな。その辺は伊藤本人に聞いたほうが良い。」

 俺の問いに湖越も俺と同じように頷いたあと、そう答えられた。
 少し自嘲気味なのはどうしてなのか。よくわからなかった。伊藤のことを気遣って言わないのであれば俺もこれ以上食い下がるわけにもいかなくなった。
 湖越は勿論伊藤に気を遣っているのだろうがどうしても違う理由があるようにしか見えなかった。
 伊藤のことをあまり知らず距離を置いてしまったと後悔しているように見えた沢木と沼倉と違って湖越は伊藤に普通に話しかけていたのだから、そうやって自嘲気味に後ろめたそうに笑いながら答えている理由が見つからなかった。
 なにか隠しているのではないか、そう思ってしまったが……湖越の内側に土足で踏み込んでいくのは、違う。
 良い関係を築けている人にするようなことではない。親しき仲にも礼儀あり、だ。

「分かった。」

 湖越のその表情を見ていないことにして、そう言って立ち上がった。
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