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ここから始まる『俺』のものがたり。


 家から最寄駅まで大体15分前後、自宅最寄駅から高校最寄駅まで16分ほど、高校最寄駅から水咲高校まで10分足らず。
 誤差はあるが、合わせると40分ぐらいか。
 明日は8時半には学校についておきたいから、7時50分ぐらいに家を出れば間に合うだろう。
 駅前にはコンビニもあって薬局もある。時刻表を確認するために改札前まで入ったが、服屋も雑貨屋も料飲店もそれなりにある。
 どうやらこの駅は急行は止まらず各停でしか止まらないようだったが、それなりに人も住んでいるようだった。
 物凄く便利というわけではなくとも普通に暮らしていく分なら困ることはないだろう。
 ただまだ少し見ただけではあるが、自宅の近くはスーパーと公園ぐらいしかなく、少し離れているし閉店時間も決まっているのですぐにこれが必要となると言うものを買う際には少し不便かもしれない。
 とは言えそのぐらいはよっぽどの非常時以外は誤差の範囲だ。
 とりあえず今日のところはもう駅付近には用はないので、スーパーで買い物するために来た道を戻った。
 ……何故か道行く人の視線がすごいので、疲れたからと言うのもあるが。正直、人の視線は苦手。どうも誰かに見られるのが好きじゃない。
 誰かと目を合わせたくなくて、パーカーのフードを被って下を向いて視線に耐えて、信号が青に変わった瞬間にその視線から逃げるように早足でその場を去った。

 そんなに、日本人らしからぬ灰色の目が珍しいだろうか。
 珍しいという好奇の目、嫉妬の目、憎しみの目、そんな視線にずっとさらされ続けていたせいか、人の目が苦手だ。

 しばらく歩いていくと閑静な住宅街になってスーパーの字が見えるところまで戻っていた、ゴールデンウイークの最終日の夕方のせいか人がまばらにしかいないし、フードを深くかぶり下を向いているおかげでもう視線は追いかけてくることはなかった。
 それに安堵してそのままスーパーに行くことにした。
 買うものはたくさんあるが、細かいものは追々揃えていくとしてとりあえず今日は夜と朝と、昼の分の食料や飲み物と歯ブラシ歯磨き粉、フェイスタオルとボディタオルと……意外と買わなければいけないものが多い。
 前の家からは最低限の衣類ぐらいしか持たずに来たし、彼から送られてきたのは新しい学校の教科書と制服だけだった。
 引っ越してきて家に入って何故か既にあったのは段ボール一つといくつかの家具と洗濯機とハンガーぐらいのもので、段ボールに入っていたのは色あせていたアルバムと思われるファイル一冊だけだった。
 前の家にいたときは基本俺は全寮制の学園だったので寮生活で一人暮らしの真似事はしていたけれど、寮は最低限の生活用品は揃えられていたし祖父の家では召使いと呼ばれる人たちがいたので、ここまで1からすべてそろえることはなかった。
 1人で生活するのは予想以上に大変なことだと実感する。
 普通なら、引っ越しの準備とか誰かに手伝ってもらったりするだろうが、俺には味方はいないし友人と言う存在も出来たことはない。
 彼からここに引っ越すことを知らされたのさえも昨日だったのだ。今日中には必要なものすべてを持ち帰るのは1人では難しい。
 一回彼は顔を出したもののこれが祖父が渡してほしいと言われた、と渡してきたのは通帳と印鑑、そして半年分の定期券のみ。

 どうやら祖父は俺にも遺産を残してくれていて、預金残高を見れば一般の高校生がお目にかかることのないであろう金額が入っていた。
 彼に冷めた顔で憎んでいたお前にも残してくれたじいさんに感謝せい、と言われたのでそれに頷いた。
 聞けば新しい学校の学費も今住んでいるこのアパートも買い取ってくれているのだとか、後は生活用品やらなんにでも使えと言われた。
 ただもうこの金が無くなったら何も支援はないし自分も助けんからせいぜい大事に使えや、とそう言って彼は帰っていったのだ。
 多少の浪費癖があってもそうそう金は使い切れないほどにあった。
 それでも、必要最低限に使うだけにとどめておこうと思う。このお金は祖父が稼いだ金であり自分の金ではない後ろめたさがあった。
 本当は祖父も自分の娘を失った原因の上記憶を失くした俺なんて支援もしたくなかっただろうけど、それでも俺はまだ無力な子どもだから、仕方なく俺に渡したんだろう。
 彼も、俺のせいで自分の親友の父と幼馴染の母を失っている、おまけも記憶もないのだから、どうしようもない気持ちなんだろう。

 俺のせいで二人は死んだ。
 そのうえ二人のことを俺は忘れた。
 忘れたまま祖父は亡くなってしまった。
 それでも、思い出したいと少しも思わないのだ。
 なんて俺は冷たい人間なんだろう、なんで忘れてしまったんだろう。
 何度悔やんだかもう覚えていない。

 空を見れば薄暗くなっている、携帯電話を見れば17時40分と記されている。
 歩んでいたはずの足はいつの間にか止まっていて、景色は変わっていない、あと5分ほど歩けばスーパーに着くだろうか。
 さっさと行こうと、そう思うんだが、足は動かない。
 自分のために、自分が生きるためのなにかを買わないといけないと、そう思うと足が妙に重い。

 どうして、自分は生きているのか。
 どうして、両親が亡くなった原因の俺が、そのうえ記憶も忘れてしまった俺が、

 どうして自分が生きるための買い物をしなくてはいけない。

 薄情な俺なんて、『一ノ瀬透』ではない自分が、入院したことも死に目にも連絡をせず……葬式も呼びたくないぐらい憎んだ俺に遺した祖父のお金を使うのも、罪悪感しかない。
 祖父が亡くなったことを知ったのだって昨日だった。一週間、祖父が亡くなってすでに経っていてやっと知って、そのまま引っ越すと言われて。見送りもしていないし、墓場も教えて貰えてすらいない。
 ……それなのに、俺の生活のために祖父の金で買い物をしたくないと思った。
 俺がいなければ彼らはきっと幸せだったのに。

 二人じゃなくて、俺が、死んでいればよかったのに。

「……あ」

 自分の罪が塗り重ねられていく感覚に足から力が抜けてその場にぺたりと座り込んだ。幸い俺以外に周りに人はいない。

 ……もう限界なのかもしれない。

 なにも見て見ないふりをして、なにも感じないふりをしていても、それはあくまで『フリ』なだけで、いつか綻んでしまうものだ。
 6年、そうして生きてきた。
 自分自身が限界だと今も自覚は無いけれど、足に力が入らなかった。
 ずっと背けていた問題が今浮き彫りになったんだ。

 傲慢でわがままだけど、誰か、俺を見てほしい、誰かに肯定してほしい。
 誰でもいいから、俺が『一ノ瀬透』だと認めてほしい、受け入れてほしい。
 俺がここにいてもいいんだと、記憶がなくても、それでもいいんだって、言ってほしい。
 嘘でもいいから、すぐに嘘ですって言ってもいいから。
 それでもいい、から、何もかもを忘れていても、俺は俺なんだって、俺の名前を呼んで。


 幸せになれなくていいから、誰か、自分の存在を、『俺自身』を知っていて。
 そのあと、責められてもいいから、一回でいいから、うそでいいから。
 ついには上半身の力も入らなくて手を地面について上半身まで倒れないように支えた。
 ……大丈夫、分かっている。少ししたら、いつも通りに振る舞うから。少しだけ、本音を出したかった。
 何も言わないで、せめてこの場だけは俺を責めないで。
 わかってる、わかってるから。

 俺が俺なんだと受け入れられるなんてこと、ないんだってわかってるから。
 そう言い聞かせていると、誰かに腕を掴まれ引っ張られて項垂れていた上半身は強制的に上を向いた。
 上を向けば、三白眼が印象的な……たぶん俺と同い年ぐらいの、人口的な金髪をした……少し多分地毛であろう黒に近い茶色の髪が見え隠れしている……男の子が、きっと普段であれば強面と呼ばれるであろうその顔は眉を寄せて俺を心配そうに見ていた。
 地べたにも関わらわず座り込んで項垂れていたのを見て、心配されてしまったんだろうか。
 心配かけてしまった、俺のことなんて気にしなくていいから、大丈夫だ、とそう言おうとした瞬間に、彼は

「だいじょうぶか、透!?」

 『俺』を見て、そう言った。俺のことを見て『俺の名前』を、言った。
 何年も動かしていなかったであろう表情が、驚きに目を見開いていたなんて気付きもしなかった。

 そして見て見ぬフリしていた心は、高揚して熱を持っていて、きっとこれが、『喜び』なんだって、そう馴染んだ。
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