1章『それぞれの想い。』
いろんなことが起こりすぎた1日、いや2日間だった。今日を振り返ってそう改めて思った。
良い担任に会って優しい大人に会って、普通にクラスのなかに入って普通の男子高生みたいな日。まるで夢のような日だ。これからそんな日が続いていくんだ。
自分を責めてもいいから後悔したっていいから、それでも『人間』として生きてほしいと言ってくれた、初めてのひと。
今は、根本的なことは何一つ解決していなくても罪は相も変わらず続いていて、何も感じずにいるふりをするよりもちゃんと人として生きることのほうが辛いのかもしれない。
進んでいるのか後退しているのか分からない、動けてすらいないのかもしれない、立ち止まったままなのかもしれない。
それでも、ちゃんと生きる、と決めた。
ちゃんと怒りたいときは怒るし楽しみたいときは笑うよ、それが、両親が願っていたことなら、記憶を失った俺がしていいのかわからないけど、それでも伊藤がそう言う風に生きることを望んでくれるなら、罪の意識に潰されそうになって桐渓さんになにか言われてもそうしよう、俺もそうしたいんだ。
「いつか、いつになるか分からないけれど、それでも、絶対に思い出せるようになるから。だから、今はどうか俺を許してください。……父さん、母さん。」
目を閉じて脳内にある写真の中の彼らにそう言う。初めて彼らのことをちゃんと父さん母さんと呼んだ。少し、居心地の悪い気持ちになった。
皮肉にも無駄に記憶力のいい頭で写真を思い浮かべる。記憶のない俺には写真のなかでの彼らしかわからない。
写真だからその表情は変わらない、だけど、怒ったり責めたり悲しんだりする予想は出来なかった。写真がとても幸せそうだっただからだろうか。それとも……都合の良い予想が過りそうになって頭を振って拡散させた。
さすがにそこまで思ってしまうのは記憶のない俺が予想するにはあまりに都合が良すぎてしまう、だから写真があまりに幸せそうだったから怒ったりなんて想像もできない、と脳が予想するのをあきらめたんだ、と言うことにした。
布団に寝っ転がりながら、携帯電話を見た。
……相変わらず、桐渓さんからのメールの嵐は収まらない。よっぽど保健室から逃げたことに苛立ちを覚えたんだろう。
朝から見ていないので未読のメールがとんでもない数になっている。
確かに身近に自分の親しい人たちを失わせた原因となった俺がそばにいるのは桐渓さんからは耐えきれないところなのだろう。それは分かる、それは俺が受けなければならない罪であると。
だが……今日まで俺にしたところをほかの人に見られて困るのは桐渓さんのほうで。
しかも、わざわざ授業が始まる少し前に呼び出して、学校で問い詰められるのは……俺が言うのもあれなのかもしれないが、少し……異常だと思う。
俺は俺のことについて言い訳するつもりはないけれど、学校にまで……彼の立場からすると職場なのだが、職員としての立場を利用するのは決してよろしくはないことだ。
出来ることなら桐渓さんからの呼び出しを避けたいが……先生として呼ばれてしまえば俺は行かざる得ない。上手く呼び出さないようするしかないか……。
桐渓さんからのメールを開いていけばいくほどに、どんどん汚い言葉になっていく。『お前がいなければ』と言う内容のメールがいくつもあって、気が滅入る。
新たにメールが届いたことを知らせるバイブレーションに少し驚きながら反射的に新しいメールを開いた。伊藤からだった。
『さっきぶり。
今日は疲れただろ、明日五十嵐先生には学校行くって言っちまったけど無理するなよ。』
シンプルに、でも俺の身を案じてくれているメールだった。
さっきまで伊藤はこの部屋にいたのにな。心配されるのが聊か不謹慎かもしれないが、やっぱり嬉しいと思ってしまう。
『大丈夫だ、ありがとう。明日、また。』
メールが届くことはあっても返信はほとんど求められてなくて、しても『はい』ぐらいなものだから慣れない手つきで文字を打ち込んで送信した。
何度でも伊藤に礼を言いたい気持ちだったが、あまり言えば迷惑になってしまうだろうから、言っても問題ない流れで思ったら言うことにした。何度言っても足りないぐらいのうれしさだ。
誰かと一緒にいる安心感、誰かに信頼される安堵、誰かと一緒にご飯を食べる喜びも、俺がいてもいいんだと認めてくれたことも、すべてに、感謝している。
いつか苦しみあう日が来るとしても、今は、幸せだと思えた。
またメールが届く。
『また明日な』
その言葉すらもうれしい。
明日が来ることをこれほど待ち望んだ日はなかっただろう。
消えてしまいたい、と思うことすらも徐々に思わなくなって、ただ呼吸を吸って吐いて、出されたものを口に入れて、誰かと話すこともほとんどなく、勉強するかボーっとしているかそれだけだった。
楽しさどころか苦しみすらも感じないようにしていたのかもしれない。自分が傷つかないように。でも、今は違う、傷ついても苦しんでも、ちゃんと生きて見せる。
「……また、明日。」
明日から、今までとも今日とも違う明日が始まるんだと思うと胸が暖かくなった。そして眠くなった。
瞼を開けることすらも困難になるほどの睡魔。こんな睡魔も今までやってきたことはない。眠くなくとも決めた時間に布団に入って目を閉じればいつのまにか意識が無くなっているの常だったから。
でも、あれだけ泣けば疲れもするか、と納得もする。ただでさえ転校初日だったり色んなことがあった上に泣いて叫んだのだから。
メールも区切りがついたので、そのまま返信はせず、歯を磨いて眠ることにした。
寝ようと部屋の電気を消して布団に潜って目を閉じた。
意識が遠のく前に思い出したのは伊藤に抱きしめられた感触とか俺に泣いてくれよ、と言ってくれたどこまでも優しい笑顔だった。
それを思い出して、心地よさに胸が満たされて胸あたりをぎゅうっと握りしめた。
暖かさが優しさが嬉しくて仕方がない。
その心地よさとともに、意識は眠気に穏やかに攫われた。
明日から、自問自答しながらそれでも自分として生きるために足掻く日々が始まる。
正直恐いし傷つくのは嫌だとも思う。
だけどきみが、伊藤がとなりにいてくれるなら、頑張れる。
いつかは、何の隔たりもなく笑い合いたいから。